妹の方が良かった?ええどうぞ、熨斗付けて差し上げます。お幸せに!!
古森真朝
前編
「いいか、アイリ・シェーンベルク! お前みたいな地味で根暗な女を、俺が愛することは決してない!!
今後一切表に出るなよ、邸の片隅でせいぜい大人しくしていろ! お前なんぞいるだけで迷惑だッ」
結婚当日。式と披露宴を終えて、引き上げてきた本邸にて。渾身の決め顔で言い放たれて、衝撃のあまり泣き出すか言葉を失うか――
するはずだった花嫁は、何故かにっこり微笑んだ。え? と思った次の瞬間、
ばっすぅっ!!!
「ぐはっ!?!」
真空を生む勢いでかっ飛んで来たクッションが、新郎の顔面に直撃。受け身など取れるはずもなく、呻いてソファに倒れ込んだ。当たり前だがすごく痛い。
だがしかし、直後に襲ってきたアイリの舌鋒に比べれば、柔らかいクッションの方がまだマシだった。
「ぴいぴいぴいぴいうるっさいんですよ、甘ったれのゲス野郎が!! ちったぁ近所迷惑ってもんを考えたらどうなんですか、みっともないッ」
「うっぐ……そ、そんな汚い言葉使って、お前それでも淑女か……!?」
「やかましいって言ってんでしょうが。第一あなた、わたしがいないとこで散々にこき下ろしてましたよね? 母親が市井の人間だなんて汚らわしい、あんな下賤の輩、父の命令でなければ目もくれたくないって。口汚いのはどっちだか」
「う゛」
そもそも、だ。婚約は父親同士が勝手にまとめたもので、当の相手――ファーレンハイト侯爵子息・ゲオルク本人には数回しか会っていない。その数回で好感度が底をつくのには十分だったんだから、性根のひねくれ具合は推して知るべしだ。相手に言い放たれるまでもなく、こんなところ一秒たりとも居たくない。
「で? 確かでしょうね、さっきの」
「な、なにが……?」
「だーから。一生愛することはない、表にも出るなっていうの。男に二言はありませんね?」
「そ、そうだ! そもそも俺はお前の妹のアミーリアと一緒になりたかったんだ、妾腹で出来損ないの姉と違って美人だし、女らしくて淑やかで優しくて……!!」
「ええ、知ってますよ?」
すっぱり言い放ったら、ゲオルクの顔が面白いくらい引きつった。本気で隠せると思っていたのか、あれで。
「知ってますとも。家に挨拶に来たとき、わたしに隠れて会ってたでしょう。密会するんなら前後左右だけじゃなく、頭上にも注意した方が良いと思いますけど」
「きっ、貴様!! 他人の逢瀬をのぞき見するなんぞぶべらっっ」
「やかましい、だったら万が一にもバレそうなとこで会うな! わたしだって見たくないってのッ」
それからも家に来るたび、いや来なくても呼び出してはいちゃいちゃ。挙げ句『不慮の事故で帰れない』という口実で、仮にも未婚の令嬢であるアミーリアを同じ屋根の下に数日泊らせた。目に余りまくる一連の行動に、元からあまり長くないアイリの堪忍袋の緒はあっさりぶち切れたのだ。
この際、家のことなどどうでも良い。伯爵家当主の名の下に独裁を敷いている父が、上の爵位の家との繋がりを欲したうえ、姉のモノを何でも欲しがるバカ妹のしわ寄せまで全てアイリに行くと分かっていて結んだ婚約だ。ならばその全責任、自力で取ってもらおうではないか。
ちりちりと、どこかで微かな音がした。心でこっそり拳を握って、アイリは素早く背後を見やる。入ってすぐにあの発言だったので、ドアがちょうど真後ろに来ていた。退路を確認しつつ三個目のクッションを後ろ手で掴み、ふらふら起き上がって来る新郎へ問いかける。
「――ところでゲオルク様。神殿に提出した宣誓書なんですけれど、しっかり文面を確認なさいました?」
「はあ!? あんなもの、どこもみんな一緒だろうが! サインだけすればいいんだろ」
「ですよね、あなたならそう言うと思ってました。先にわたしがやったときもぼーっとしてましたし。
だから、ちゃーんと書いといたんですよね。妹の名前を」
「…………え゛っ」
恐ろしいことをしれっと告げられて、今度こそゲオルクが凍り付いた。
度しがたいバカ息子でも、さすがに気づいたようだ。今自分がどんな状況にあるか。
「ちなみにあの婚姻宣誓書、文面のフォーマットは数種類あるんですよ。式の準備で面倒なことはぜーんぶわたしに押しつけてくださったから、一番ぴったりなものを選ばせてもらいましたので。
名前をサインした両者が人倫に
じゅわあああああああ!!!!!
「っぎゃあああああああ!?!」
突如何かの焼ける音がした。同時にゲオルクが絶叫し、身悶えしながら床を転げ回る。心配もせずさっと避けたアイリの目に、彼の額にくっきり浮かんだものが飛び込んできた。出来たばかりの痛々しい火傷が、連なって文章を作っている。
『この者、姦淫せり。誓約を破りし不逞の輩なり』――婚姻誓約書に書かれた事項を破った際に現れる、神罰による烙印だ。
「ほーら、だから言ったのに。……妹の方が良かった? ええどうぞ、
「き、き、貴様あああああ――あべしっっ」
どばっふ!!! と、とどめに力いっぱい振り下ろしたクッションが顔面を直撃する。そっと除けてみると、白目を剥いた上に鼻血まで出して気絶していた。つくづく打たれ弱いな、この人。
「よし、スッキリした! さっさとずらかろうっと」
幸い、式典で着ていた動きにくい婚礼衣裳は着換え済みだ。質素すぎるダークブラウンのドレスを翻し、すっかり暮れなずんだ廊下に出たところで、前庭から響いてくる騒ぎに気が付いた。大勢のざわめきの中、ひと際耳に付く甲高い悲鳴は、間違いなくアミーリアのものだ。熱い痛いと泣き喚いているのが聞き取れる。
「あら、まだ帰ってなかったんだ。……ま、いっか!」
傍から見れば冷酷極まりなかろう。が、もうこれ以上関わってやる義理はない。いまはとにかく撤収あるのみだ。
今度こそその場を離れ、隠して持ち込んだ旅荷と黒いフード付きマントを回収する。それをすっぽり被って邸の裏手から抜け出し、父が見栄を張って馬車に繋いでいた、実家で一番賢くて速い馬に跨った。
こうして両家が追手を差し向けるどころか、現状把握も出来ずにいる間に、アイリはとっとと逃げおおせたのである。
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