第18話 竜角


ヴィクトルが馬車に戻ってミルを探すと、ラーラが新入りの幼い竜人、キュールに甲高い声で話しかけていた。


「キタエダ部落の子は夜に蜂蜜を食べてもいいの?ほら、指一本よりもっとたくさんの蜂蜜……うちのお母さんは夜に蜂蜜を食べさせてくれないの。歯がダメになるって言うけど、竜の歯がダメになることなんてあるの?」


「……」


小さな竜人は少し怯えて、活発なラーラに戸惑っているのか、一言も発さずに体を小さくして部屋の隅に寄り、煩わしい竜人の同胞を相手にしようとしなかった。


「ヴィクトル様……何か御用でしょうか?」


ミルは跪いて、やってきたばかりの小さな竜人のためにシーツを敷いていた。ドアを開けたヴィクトルに気づくと、立ち上がって尋ねた。


ラーラを除けば、彼女が一番ヴィクトルに好意的な竜人だろう。


ファシルとコシルはラファエルと同じように、ヴィクトルに警戒心を抱いている。ヴィクトルが現れるといつも黙り込んでしまうので、まるでラーラとは正反対のようだ。


「ラファエルの体に、私にはよくわからない異変が起きている。君も一緒に見に行こう。」


「私も行く!ラファエルはきっと私に会いたがっているはずよ。私を見ればきっと元気になるわ!」


ラーラは青い爪を上げて興奮し、ヴィクトルと一緒に行こうとした。


だが、途中でコシルに抱きつかれてしまった。


「ラーラ、邪魔しちゃダメよ。蜂蜜の話でも続けていれば……」


「だって、全然喋ってくれないんだもん。つまんない!」


再び騒がしくなった馬車の中を見て、ミルは困ったように微笑んだ。彼女はヴィクトルの後について馬車の外に出た。


そして、馬車から出て初めて、ためらいがちに口を開いた。


「申し訳ありません、ヴィクトル様。ラーラは檻の中にいる時間が長すぎただけで……もしお気に召さないようでしたら、静かにさせますので……」


ミルは他の世間知らずな竜人たちに比べて年長なだけあって、より大人びており、色々なことを考えている。


「構わない。特に悪いことをしているわけでもない。」


ヴィクトルは歩みを止めなかった。彼は確かに、騒がしいラーラを気にしていなかった。大学で家庭教師をしていた頃、これよりも十倍わんぱくな子供たちを見てきた。その頃に忍耐力を鍛えられたのだ。


それは良いことだ。


ミールは後を追い、ヴィクトルの背中を見つめた。彼女が思った通り、やはりこの人間は違っていた


彼女は無言で微笑み、ヴィクトルの後についてホテルの上の階の部屋に入った。


部屋に入った途端、彼女は部屋中に充満した蒸気に目を眩まされた。しばらくして目が慣れると、ベッドに力なく横たわっているラファエルが見えた。


「ラファエル様!」


ミルは急いで駆け寄り、彼女の肌に触れた。腕の熱い鱗に触れると、慌てて手を引っ込めた。


「ミル……」


ラファエルの声は弱々しく、ヴィクトルは彼女が病気になったのではないかと疑った。


以前にラファエルが「竜人は人間のように病気にならない」と言っていたのを思い出すと、まさに因果応報だ。


「彼女は病気なのか?さっきから様子がおかしい。」


ミルはため息をつき、ヴィクトルに言った。


「違います。ラファエル様は成人を迎えようとしています。これは彼女が完全体になろうとしている兆候です……私も経験しました。深刻な問題ではありません。おそらく十数日以内に終わるでしょう。成人すれば、ラファエル様の力はさらに強くなります。残念ながら、部族で成尾の儀式を行うことはできませんが……」


「成尾の儀式?」


「えっと……ちょうど成人の時に伴侶を見つける確率が一番高いので、部族は成人のために交流会を開いて、より良い尾を選ぶことができるようにするのです。」


そう言うと、ミルは額の黄色い前髪をかき上げた。その額に、ヴィクトルは小さく跳ね上がった角を見た。


「これが竜人成人の象徴であり、私たちの力の源です。気量が大きいほど角は強くなりますが、私は臆病なので、角も小さいんです……」


ヴィクトルは彼女の額の小さな竜角を見た。彼は今までそんな特徴を見たことがなかったので、興味を持った。彼は真剣な表情で、ミルに尋ねた。


「君の角に触れてもいいかな?」


「え……ええええ?」


何かを思い出したのか、ミルの顔は赤くなった。


竜人種の間では、親しい友人や伴侶だけが角を使って竜人の角に触れることができる。しかし、ヴィクトル様はそんな習慣を知らないのだろう……


それに、彼はそんな考えを持っているはずがない……


ミルの黄色い竜の尾が揺れた。ヴィクトルの真剣な表情を見て、しばらくためらった後、小さな声で頷いた。


「いいですけど、角を使わないと触れないと思います……」


「ん?」


ヴィクトルは手を伸ばし、かすかに光る角に触れようとした。その小さな角に触れると、まるで空気のように通り抜けてしまった。この不思議な光景に、彼は好奇心をそそられた。


「待って……」彼は何かを思いついたように、そばにあった杖を手に取った。杖がわずかに光を放つと、彼は杖を伸ばした。今度は、光を帯びた杖が、その幻想的な小さな角に触れた。するとミルの顔は真っ赤になり、不自然に後ずさりして、床に座り込んでしまった。


「えええ……どうして……触れ……触れるの?」


もしかして……その杖は竜人種の角で作られたものなのだろうか?


「やはりそうか……竜人種の角は魔力回路の具現化だったんだ。竜人種が成人すると魔力回路が再び成長する。ただ、体内にはもう蔓延する場所がないから、体外に魔力回路の具象化として形成されるんだ。つまり竜角だ。」


ヴィクトルは何かを発見したように、杖を引っ込めた。胸の補完手帳もわずかに熱を発し、竜人種の研究が進展していることを知らせていた。


ヴィクトルの真剣な様子を見て、ミルの顔の赤みは少しずつ引いていった。


やっぱり、ヴィクトル様はそんな人じゃない。それに、人間が竜人種に……そんな趣味を持つはずがない。


ヴィクトル様は確かに素敵だけど、私にはもうつがいがいるし……でも、ヴィクトル様は竜人の基準から見ても素敵だし……


それに、ヴィクトル様は竜人種に……


ミルがホッとしたのも束の間、ヴィクトルの思考を遮らないように、体を振り返って再びラファエルの体の状態を確認しようとした。そして、そっと毛布の端をめくると、中には何も身につけていないラファエルの姿があった。


「え……」


彼女の脳は一瞬停止し、そして顔全体が赤くなった。慌ててめくり上げた毛布を元に戻した。


ええええ??


どうして……


さっきヴィクトル様とラファエル様は部屋で何をしていたの??


ちょっと待って……


まさかヴィクトル様は竜人に興味があるの?


ミルは隣にいるヴィクトルを見て、心の中で一つの推測を立てた。


どうりで私たちを買ったのか……そんな趣味を持つ人間がいるなんて初めて聞いた。でもラーラやファシルはまだ小さいし、私はもう……


彼女は唇を噛み締め、体からはラファエルと同じように蒸気が立ち始めた。ただし、その量も温度もラファエルには及ばない。


「どうしよう……ヴィクトル様に竜人種は成人するまでそういうことはできないって言うべきかな?」


「でもそうすると、私だけが成人していることになる……それってヴィクトル様は私にしか手を出せないってこと?」


「でも私にはもうつがいがいるし?」


「でもラーラのためなら……」


ヴィクトルは頷いた。ラファエルの病気ではないことが確認できたので安心した。ラファエルの体調ではもう研究はできないので、ミルの角を研究することにした。


彼は無意識にミルに話しかけた。


「ミル、少し……ん?」


振り返った黄色い竜人は、ラファエルと同じように全身から蒸気を噴き出していた。彼女の顔色はひどく赤く、目は震え、涙が出そうだった。


「そ……そんなこと、できません……ヴィクトル様……わ……私はもう……」


ヴィクトルの差し出した手を見て、ミルはぼんやりと座り込んで後ずさりした。拒否の言葉を言いながらも、抵抗する力がないように見える。彼女が言ったように、彼女は姉妹の中で一番臆病なのだ。それでも、彼女はヴィクトルに言わずにはいられなかった。


「す……すみません、彼女たちはまだ成人期に入っていないので、そういうことはできません……でも……でも、私にはもうつがいがいるので……だから……すみません、ヴィクトル様……」


「……」


ヴィクトルの無表情な顔がわずかに固まった。部屋には沈黙と竜人の香りのする蒸気だけが残った。


入り口にいた二人のメイドが口元を押さえながら通り過ぎ、ひそひそと話していた。


「聞いた?あの紳士が女性二人を連れて部屋に入ったけど、まだ出てこないのよ。部屋からは煙が出てるし。」


「あらあら、若い紳士はやっぱりね……」


「アハハハ。」




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