第21話:オタク君はおうちにかえれない
念願の乗合馬車に乗り、ヴァレテルンに向かう。
…ようやくだ。
徒歩ではありえない速さで流れていく景色を眺めながら、俺は感慨にふけった。
ハーフゴーレムに改造されて売り飛ばされた義理の姉サフィーネをなんとか買い戻せたかと思えば、オーガの群れに襲われたり行方不明者の救助に駆り出されたり蛮族の群れの襲撃を受けたり父親を自称する
「疲れた…心底疲れた…ここ数日は人生最大規模で、いろんなことがありすぎた…」
つい、弱音が漏れる。
「クサナギ君、少し休む? お姉ちゃんが膝枕くらいしてあげちゃうよ?」
姉さんがそんなことを言ってくるのは、乗合馬車であるにもかかわらず、乗っているのが俺と姉さんの二人だけ(ちなみにミラは収納魔術の中)だからだ。
馬一頭で引く4人乗りの小さな馬車で、すでに二人分のスペースには荷台に乗り切れなかった荷物が山と積まれている状態だったので、割と安価に乗せてもらうことができた。
「…頼む」
正直かなりへろへろだった俺は、姉さんの誘いに抗うことはできなかった。
「もちろん。ほら、おいで、クサナギくん」
自分の太ももをぽんぽんと叩いて俺を誘う姉さんに、そっと頭を預ける。
ミラはそのまま、俺の頭を優しく撫でてくれた。
「眠くなったら、寝ちゃってもいいよ~」
優しくささやいてくれる姉さんの声に導かれるように、俺は体の力を抜いた。
のだが。
「
収納魔術から首を出してミラが恨み言を言ってきたことで、ちょっとだけ眠気がなりを潜めた。
…そうか、二股をかけるということは、二人きりのちょっと安らぐ時間とかは望めないのか。まあ、そのくらいの代償はあって当然と言える。
姉さんとミラの二人を恋人にするという最高の状況の代償としては、むしろ安すぎるくらいだ。
そして、この状況も悪くないというか、むしろ、一粒で二度おいしい。
俺は収納魔術から首だけを出しているミラの頭を撫でた。
姉さんに頭を撫でてもらうのはとても安らげるし、ミラの頭を撫でる時に手に伝わるミラの髪の感触も同じくらい安らげる。
「んぅ…っ…もう、オタク君ってば…」
少しくすぐったそうにしているミラの顔は、ずっと見ていたくなるくらいにかわいい。
「ありがとう、姉さん、ミラ、おかげでよく眠れそうだ」
意識が途切れる間際にそれだけを言い残した俺に、二人が何を返したのかは、知らない。
このまま寝て、起きれば、俺はヴァレテルンにつくことだろう。
姉さんとの10年分の思い出がある、俺にとってはどこよりも思い出深い場所に。
乗合馬車がヴァレテルンにたどり着いたのは、日が暮れる直前だった。
俺は馬車を降りた後、姉さんとミラを連れて、歩き慣れたはずの道を進む。
夕暮れの町並みは、しかし少しだけ、記憶の中の故郷とは異なっていた。
いくつかの家の窓が割れていたり、一度粗雑なバリケードを作った後道のわきにどかしたと思われる、傷ついた家具の山が道のところどころにあったりと、街中で戦いがあったかのような形跡がそこかしこに見て取れる。
何があったのだろうか。
「ラミアクイーンが蛮族の群れを引き連れて襲ってきてね…なんか、急にいなくなったけど…」
傷跡が残る建物の修復に精を出している街の人に聞くと、そんな答えが返ってきた。
ラミアクイーン…おそらく、フィンブル襲撃に駆り出されたあの個体だろう。
君主級の蛮族がそう何体もいてたまるかという話だ。
だが、それならばなぜ、連中は攻撃中のヴァレテルンをほっぽり出してまでフィンブルに集中攻撃をかけたのだろう。
仮にそうだとするとオーガキングやドレイクロードも近隣の地方を攻めていたりしたのだろうか。
謎は深まるばかりだが、俺はひとまず、思考を中断した。
目的地に着いたのだ。
「ただいま戻りました」
俺は若干の不安を抱えつつ、自宅…俺を拾ってくれた義両親の住む家の戸を開けた。
「く…クサナギ…」
奥にいた義両親は、俺を出迎えてはくれなかった。
ただ、奥のほうで抱き合って、俺におびえているかのように震えあがり、そして、俺の隣の人影を見て、ひっ、と息を呑んだ。
「サフィーネ!?」
この反応から察するに、どうやら、両親が姉さんを売ったというのは、本当らしい。
「く、来るな!」
両親は、恐怖にひきつった顔で俺たちを見た。
見慣れた顔だ。
魔人を恐れ、差別し、排斥する者の、ありふれた顔だ。
だから、俺は努めて穏やかに、玄関の戸を開けた姿勢のまま語りかける。
「いいでしょう。いくつかの質問に対して正直に答えてくれたら、俺はあなた方に一切の危害を加えず、すぐにこの家から、そして明日にもこの街から立ち去ると約束します」
俺の言葉に、姉さんとミラは驚愕の表情で俺に目を向け、両親は何度も首を縦に振った。
そのレベルで、今の俺は両親にとって恐ろしい存在らしい。
「何故、姉さんを売ったのですか」
恐れられていることを前提に、俺は単刀直入に訊ねる。
順序を追って一つ一つ確認し、それに時間をかけて両親を恐怖させ続けることは、俺には容認できなかったのだ。
たとえ豹変したとしても、それでも俺にとって、彼らは恩人だ。
「サフィーネは生まれつき魔人ではなかったのにいつの間にか魔人になっていた…お前を拾った私たちが度し難いほどに愚かだった!魔人が、近くにいるだけで感染するものだと知っていれば、お前を拾うことなどしなかったのに!」
義父の答えに、俺は深い納得の感触を覚えた。
おそらくは、緑髪の魔術師に吹き込まれたのだろうが…実にいい嘘だ。
起源種魔人の知識は、ミラがいなければ俺も知り得なかった古代の叡智だ。
ましてや、姉さんがこっそり俺を襲っていたなどと、両親は知る由もない。
その状況ならば、起源種という概念すら知らない一般人に、魔人は近くにいる人間を魔人に変えるなどという嘘を吹き込むのはたやすいことだろう。
「魔人が悍ましい病原体だと知らず、区別と差別を履き違えて魔人に情をかけた過ちを認めたから、私たちはお前たちが二度と帰ってくることのないように売った、それだけだ!」
そして両親は、自らが魔人を差別することはなくとも、自らが魔人に変貌し、感染源としてこれまで以上の差別にさらされるという想像に耐えられるほどの強靭な精神を持ってはいなかったらしい。
それならば、なるほど両親の豹変も、今の怯え切った態度もうなずける。
貴族連中の身勝手さや傲岸さなどより、よほど共感できる。
理解できないのは、ただ一つ。
「なら、何故俺も一緒に売らなかったのですか」
その質問に、義父は頭をかきむしって叫んだ。
「別の日に、別の口実で引き渡すはずだった!お前がサフィーネを取り戻すとフィンブルに行きさえしなければ…!」
なるほど、次に売るタイミングを待っていただけか。その前に俺が家を飛び出しただけで。
「事情は分かりました。納得もしました」
俺は、自分が帰る場所を失ったのだと知って、しかし、必死に義両親への配慮を口にした。
「今までお世話になりました。さようなら」
たとえ俺と姉さんを捨てた義両親でも、それでも、決して豊かではない暮らしの中で俺を拾って育ててくれた義両親を、憎悪する気にはなれなかったのだ。
「…オタク君、よかったの?」
義両親の家を後にした俺に、ミラが心配そうに声をかけてくる。
「平気では、ないかな…親に捨てられるのは、覚えていないものを含めれば2回目だ」
俺がため息をつくと、ミラは頬を膨らませた。
「じゃあ、何で怒らなかったの」
どうやら、ミラは俺のために怒ってくれているようだ。
その気持ちは、とても嬉しい。
だが、俺は首を横に振るしかない。
「それでも俺を拾ってくれた二人だ。姉さんを産んでくれた二人だ。それに、姉さんが売られなかったら、俺はミラに出会うことはなかっただろう…情けないことに、この期に及んで恨み切れないんだよ」
貴族連中はあんなに簡単に憎めるのに、俺は育ての親を恨めなかった。
「でも…それでもあいつらはオタク君を…」
納得いかない様子のミラを、姉さんがそっと後ろから抱きしめた。
「ミラ、これがクサナギくん…私の自慢の弟だよ♪」
姉さんはこんな時でも気丈だ。そんなところも魅力的だが、義両親に結婚の挨拶をするという俺の目論見は、これで完膚なきまでについえてしまった。
…とはいえ、捨てた娘が誰に嫁入りしようが、もうあの二人は気にもしないだろう。
皮肉にも、これで俺は晴れて、姉さんを手に入れたわけだ。
…どうせなら、きちんと義両親に筋を通して手に入れたかったな…。
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