第3話 最初の一手

 放課後。


 俺は制服のポケットにスマホを忍ばせながら、自転車をゆっくりと漕いでいた。


 向かう先は、駅前の本屋。30年前の俺にとっては、立ち寄ることが当たり前の場所だったが、今の俺にはまったく違う意味を持っていた。


 ——未来の知識をどう使うか。そのヒントを探すために。


 ***


 本屋に入ると、懐かしい紙の匂いが漂ってきた。


 時代はまだ平成7年。ネット通販も電子書籍もない時代。情報を得るには、本や新聞が頼りだった。


 俺は店内をぐるりと見回し、経済コーナーへ向かう。そこには、株や投資に関する本が並んでいた。


 「……あった」


 手に取ったのは、日経平均株価の推移をまとめた冊子だった。パラパラとページをめくると、現在の株価はおよそ1万7000円前後。


 ——この後、2000年代初頭にはITバブルが来て、一時的に2万円を超える。でも、2008年のリーマン・ショックで暴落する。


 未来を知っている俺なら、この波を利用できるはずだ。


 だが問題は……。


 「金がない」


 高校生の俺には、投資に回せる金なんてほとんどない。バイトで貯めた小遣いが少しある程度。


 「くそ、今の資金じゃどうしようもないな……」


 ため息をついたとき、不意に後ろから声がかかった。


 「お、真人じゃん。何してんの?」


 振り返ると、そこにいたのは田中大輔だった。


 「大輔、お前こそ何してんだよ」


 「俺? 競馬新聞買いに来た」


 「競馬?」


 「そうそう。オヤジがよくやっててさ、俺も最近興味出てきてな。お前もやる?」


 ……競馬。


 そうか、この時代なら「未来の知識」で簡単に資金を作れる手段があるじゃないか。


 競馬、競輪、宝くじ——。


 未来を知っている俺なら、確実に当てることができる。


 「大輔、ちょっと付き合え」


 俺はそう言って、大輔を引っ張るように本屋を出た。


 未来の知識を生かすための、最初の一手を打つために——。


 駅前の喫茶店に入った。


 平成7年の地方都市にしては洒落た雰囲気の店で、BGMには小室哲哉プロデュースのJ-POPが流れている。まだ禁煙の規制もなく、隣の席のサラリーマンが煙草をくゆらせていた。


 「こんなとこ来るの、珍しくね?」


 田中大輔はそう言いながら、競馬新聞をテーブルに広げる。


 「たまにはいいだろ」


 適当に返事をしながら、俺はポケットのスマホを取り出した。


 「お、おい。なんだそれ?」


 「……携帯電話みたいなもん」


 平成7年にスマホを堂々と見せるわけにはいかない。適当に誤魔化しつつ、画面を操作する。


 ——よし、やっぱり見られる。


 スマホの検索窓に「平成7年 競馬 G1 レース結果」と打ち込むと、すぐに当時のレース結果一覧が表示された。


 「桜花賞 1着 ヒシアマゾン」

 「皐月賞 1着 ジェニュイン」

 「日本ダービー 1着 タヤスツヨシ」


 ——そうだ、確かこの年は……。


 記憶とデータを照らし合わせながら、俺は慎重にレースを選ぶ。


 「なぁ、大輔。今度のG1レースってなんだ?」


 「は? お前、競馬興味あんの?」


 「ちょっとな」


 「えっと、次は『桜花賞』だな。牝馬クラシックの第一戦」


 「ふーん。で、本命は?」


 「人気はヒシアマゾンだけど、まだオッズは動いてるな」


 「ヒシアマゾンか……」


 スマホの情報と一致している。つまり、俺が知っている未来はこの世界でも変わらない。


 「お前、金あるのかよ?」


 「少しな。でも確実に当てられる自信がある」


 「はぁ?」


 大輔は呆れたように笑う。


 「競馬をなめんなよ。そんな簡単に当てられるわけ——」


 「3万円、貸してくれ」


 「は?」


 「次の桜花賞、ヒシアマゾンの単勝に全部突っ込めば、確実に増やせる」


 大輔は目を丸くした。


 「お前、マジで言ってんのか?」


 「マジだ。100%当たる」


 「お前、霊感とかあるタイプか?」


 「まあ、そんなとこだ」


 さすがに未来から来たとは言えない。


 「……まぁ、面白そうだし、いいぜ」


 「助かる」


 大輔から受け取った3万円。これを元手に、俺は未来の知識を使って最初の一歩を踏み出す。


 もしこれが成功すれば、資金は一気に増える。公務員になる未来とは違う、新たな道が開けるはずだ。


 スマホを握りしめながら、俺は静かに確信していた。


 日曜日。


 俺は田中大輔と一緒に、駅前の場外馬券売り場——WINSへ向かった。


 「競馬デビューがいきなりG1戦ってのもすげぇな」


 大輔は笑いながら言う。


 「どうせやるなら、一番でかいところからだろ?」


 適当に返しながら、俺はポケットのスマホを握りしめた。


 未来の知識を利用する初めての勝負。


 桜花賞の結果はすでに知っている。1着はヒシアマゾン。これに単勝で3万円を賭ければ、オッズ次第では2倍以上になるはずだ。


 WINSの中はタバコの煙が充満し、オッサンたちが新聞を片手にレースの予想を語り合っていた。


 「さぁて、どうすっかな……」


 大輔はマークシートを取り出しながら悩んでいる。


 「お前はどうする?」


 「決まってる。ヒシアマゾン単勝、3万円」


 「マジかよ。思い切ったなぁ」


 大輔は呆れつつも、どこか面白がっているようだった。


 「まぁ、俺も本命には乗るか」


 俺は迷わずマークシートに記入し、窓口で馬券を購入した。


 ——これで準備は整った。


 後は、レースを待つだけだ。


 ***


 レースの実況は場内のモニターで流れていた。俺たちは他の観客と一緒に、固唾をのんで画面を見つめる。


 スタート。


 ヒシアマゾンは中団につけ、じっくりと脚をためている。


 ——そう、ここから一気に追い上げる。


 最後の直線。


 「いけぇぇぇぇぇ!!!」


 場内のオッサンたちが叫ぶ中、ヒシアマゾンは一気にスパートをかけ、他の馬を次々と抜き去っていく。


 ——わかっていても、すげぇな……。


 そして、ゴール。


 ヒシアマゾン、1着!


 「おおおおお!!!」


 場内が歓声に包まれる。


 「すげぇ! すげぇよ、お前!! 本当に当たった!!」


 大輔が興奮しながら肩を叩いてくる。


 「まぁな」


 俺は平静を装いながら、内心でガッツポーズを決めていた。


 レース終了後、払い戻し窓口へ向かう。


 俺の馬券のオッズは2.1倍。つまり、3万円が6万3000円になった。


 「すげぇな……まさか本当に増やしやがった」


 大輔は信じられない様子だった。


 「だから言ったろ? 100%当たるって」


 「お前、本当に何者だよ……」


 俺はスマホをポケットに押し込みながら、次の一手を考え始めていた。


 ——これはまだ、始まりにすぎない。

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