第3章 LIKE A ANGEL

第14話 LIKE A ANGEL 1

 ヒカリは彼女ひかりの夢を見る。

 叶わぬ願いに身を焦がし、現実ゆめから醒めようとした彼女の夢を。


 家格を厳守する父と、成功に執着する母。

 正しい振る舞いを求められるうちに、自分が“商品”なのだと気がついた。

 容姿の美しさも、学業の優秀さも、すべては商品価値を高め、より良い取引先と契約するために。


 恵まれていた。愛されていた。周囲の羨望が息苦しかった。

 ピアノ、ヴァイオリン、英会話――両親から言われるままに、付加価値を高める習い事。


“なんでもやらせてもらえていいわねえ”と、悪気もなく人は言う。


 中学生のとき剣道を始めたのは、ささやかな反抗だったのかもしれない。

 ほんとうは直接打撃を伴うフルコンタクト空手をやりたかったけど、傷がつくからと止められた。

 その傷こそが、欲しかったのに。


 剣道ならば礼節も学べるだろうと許された。

 両親の手のひらの上で与えられた、条件付きの小さな自由。

 それでも嬉しかった。没頭した。必死に剣道に打ち込んで、大会で結果を残すこともできた。

 初めて自分の意志で、自分の手で掴んだ勝利だった。

 トロフィーを見た父の、「そんな遊びは中学でやめなさい」という、それが第一声だった。


 籠のなかで翼をもがれた鳥のよう。

 わたしは正しく出荷され、正しく成功し、正しく社会に貢献しなければならない。

 正しく、正しく、正しく――正しく、あらなければ。

 それが、権威ちからある家に生まれた者の責務なのだから。

 そう自分に言い聞かせて諦めかけたとき、彼女に出会ったのだ。


 憧れた。

 自由で飄々とした、刀間夢月のその姿に。


 田舎から出てきたらしい彼女は、いつも自然体で、誰の顔色を窺うこともなく、それでいて誰もが違和感を覚えない。

 きっと彼女はどこに行っても彼女らしいままで適応できるのだろう――見る見るうちに都会の少女らしく綺麗になっていく彼女を見て、そう思った。

 雁字搦めの自分とは、正反対に。


「……久遠ってさ、剣道とかやってた?」


 そんな彼女から声をかけられた。

 高揚した。剣道の経験者だと見抜かれたことが、努力を肯定されたみたいで嬉しかった。

 そんな彼女は実家が古流剣術の家元なのだと言う。

 正直にいえば、自分には剣道と剣術の違いなんてよく分からない。

 ただ、どうしようもなく湧き上がる思いがあった。


「……ねえ、刀間さんって強い?」


 この人と、立ち合いをしてみたい。

 そのために初めて家族に内緒でルールを破った。開放禁止の屋上に出たときは全身が震えた。

 そして互いに竹刀を持って相対した彼女は――すさまじかった。


 わたしは“剣士”というものを初めてこの目で見た。

 きっとその瞬間が、わたしの初恋だったのだろう。


 彼女との逢瀬を重ねるたびに、張り裂けるように胸が痛む。

 わかっている。こんな時間は長くは続かない。結局いつかは家のために役割に殉じなければならない。

 なによりわたし自身が、それが正しい行いなのだと理解してしまっている。

 だけど、どうか、それまでは。今だけは、彼女と剣を交えられる、この時間を。


 感情こころは彼女に惹かれながら、論理あたまが正しさをもってそれを否定する。

 理想と現実のギャップに摩擦しつづけた精神は、やがて当然のように限界が来た。


 夕暮れの屋上の端に立って、去り行く彼女の背中を見つめながら。

 わたしがわたしである限り、この願いが叶わないのなら。


 さあ、いっそこの現実ゆめから醒めるのだと───


     ◇


 そしてヒカリは目を覚ます。


「…………ばかみたい」


 夢を見るなんていうなんの役にも立たない無意味な機能が、人間という生物には備わっていた。


「そんなに好きなら、好きって言えばいいのに。……もう夢月はあなたのじゃない、わたしのなんだからね」


 ベッドのとなりを見ると、夢月はすやすやと寝息を立てていた。

 というか、夢月に抱き枕にされていた。


 うれしいけど。うれしいんだけど――ちょっと適応力が高すぎるんじゃないかと思う。

 わたし人間じゃないんだよ? さすがに無防備すぎない?


 と考えてから、そこでひとつため息をつく。

 あの夜に言われた言葉が、今もまだ消えてくれなかった。


『人と怪物が共に寄り添う未来などありえない。――あっていい、はずがない』


 あの言葉は本物だった。

 本物の、殺意と憎悪が込められていた。


 だから、こわい。

 夢月さえいれば他のことなんて全部どうでもいい、それは今も変わらない。

 けれど、自分は――あれだけの憎しみを向けられる存在なのだと知ってしまった。


 普通に考えれば、夢月のほうがおかしいのだ。

 たぶん普通の人は、人間じゃない化け物を抱き枕代わりにして寝たりはしない。


 ――ほんとはどう思ってるんだろう?


 人間じゃないわたしのことを。久遠ひかりじゃない、わたしのことを。

 今はそれを確かめるのが、なんだかどうしようもなく怖かった。


「ほら夢月、起きて。今日はデートしてくれる約束でしょ?」


 あんな夢を見たせいだ。そう自分を納得させて、不安を振り払うように夢月を起こす。


「ん、んぅ…………あと5年…………」

「ダメ♡」


 もぞもぞと掛け布団に潜り込もうとする夢月を、触手でぐるぐる巻きにして捕縛する。

 そのままベッドから引っ張り出して、触手を操作して持ち上げる。されるがままの夢月の身だしなみを整えながら、朝食のベーコンエッグの調理に取り掛かる。


「んもおー、またこんなに寝癖つけてー」


 ぽいぽいぽいっと触手で夢月のパジャマを脱がせ、この時だけは調理の手を止めて盗み見る。

 下着だけのあられもない姿であくびをする夢月。やっぱり無防備すぎない?と思いつつ眼福眼福。


「んん……テキトーに水つければ直るから……あ、今朝は納豆ごはんの気分……」

「わがまま言わないの! 今朝はベーコンエッグに決まりました! ほら、夢月が早めの時間にしようって映画予約したんでしょう? ちゃんと起きて食べなさいっ!」


 同棲を始めて数日。

 すっかり生活力のなくなった夢月の世話を焼く。適応力が悪い方に働くことあるんだ。


「ん〜〜〜〜〜〜でもだいすきっ! しあわせっ!」


 香ばしくカリッとしてきたベーコンエッグにバターを入れ、すぽすぽっと夢月に服を着せながら、上機嫌に鼻歌など歌ってみる。


 今日は土曜日。

 夢月と街で遊ぶのだ!


     ◇


 夢月はデートがわからぬ。ヒカリにもわからぬ。


 ――そもそもなんでデートってことになってんの?

 ――え、だって夢月とわたしが遊ぶんだからデートでしょ?


 街の掃除屋に目を付けられようが、殺人鬼が野放しになっていようが、それが人生を楽しまない理由にはならないという夢月の信念のもと、かくしてデートプランが策定された。

 午前中は夢月の趣味に合わせて映画。ランチのあとはヒカリの希望でウインドウショッピング。頃合いを見てカフェに入り、SNSで話題になっているパンケーキをしばき倒す――そういう計画だ。

 夕食までの時間はどうするのか、の問いに夢月は運を天に任せるつもりでいたが、「こういうのって水族館に行くのが定番じゃない?」というヒカリの鶴の一声により、夢月もそういう作品に心当たりがあったので、2駅となりの街で水族館に行くことになった。盛り沢山の内容である。


 そして今、ふたりは映画館に足を踏み入れていた。

 夢月は映画館が好きだ。

 近頃は公開されてから数ヶ月も経てば新作だってサブスクで視聴できる。

 にも関わらず、わざわざ映画館で観る価値があるのか?

 ある、と夢月は即答できる。

 都会に出てきてもっとも感動を覚えたのが映画館だったと言っても過言ではない。


 その時間、椅子に座って、照明の落ちた暗い空間で、ただ映画を見るためだけの場所。

 ここではスクリーンに映る非日常だけが真実だ。退屈な日常を忘れさせてくれる異界。その高揚は、地元で夜の山に踏み入れたときの緊張にも通じるかもしれない。

 期待に胸を膨らませる夢月の横顔を、ヒカリはそわそわした様子で盗み見た。


 映画館には馴染みが薄い。家族での観劇は経験があるが、それは父のお眼鏡にかなった高尚な作品が対象で、見たあとは“正しい”感想を述べなければならない小テストのような時間だった。

 それゆえ休日に娯楽作品を観るような機会はひかりの記憶にもほとんどなく、なんだか悪いことをしているような高揚感があった。

 夢月とシェアするキャラメル味のポップコーンをぱくぱくと口に運びながら、慣れないコーラの炭酸を流し込む。

 シュワシュワとした期待感に浮かされながら、そっと右手を夢月の左手に重ねた。


 ドキドキする。やたらと長い上映前の広告も気にならないくらいに胸が高鳴った。

 初デート(?)の甘酸っぱい緊張感のなか、ようやく画面にタイトルが表示される。


撫切御前なでぎりごぜん3』


 ゴリゴリのアクション&バイオレンスだった。


     ◇


 撫切御前シリーズ。国産のアクション映画としてコアなファンが多くついている。


 主演である太刀花たちばな刹那せつなの美貌と日本刀を用いた超絶アクションがネットを中心に話題となり、シリーズが続くうちに各国のアクションスターが続々と参加したことでアクションシーン見本市のような映画になっている。

 3作目となる本作では、カンフーの達人で知られる香港映画のスターが参戦したことでも話題になった。

 アクション重視のエンタメ作品として、シリーズを通してストーリーは単純明快。復讐劇だ。

『愛する者を殺し、己は永遠に生き続ける』という呪いをかけられた姫君が、剣の修羅となって不死身の肉体を酷使しながら永劫の復讐に突き進む――というもの。


 その内容は苛烈に尽きる。

 撫切御前の名に恥じることなく、まず殺す。とにかく殺す。敵は当然殺すし、呪いがあるから愛する者も殺す。復讐相手を殺す過程で協力者と信頼関係が結ばれ、なんかいい雰囲気になってもやっぱり殺す。そして最後には御前がただひとりだけ。己を陥れた亡国の一族郎党を皆殺しにするまで彼女は剣を振り続ける――

 とまあ、およそデートには向かない内容なのだった。


 が、脳みそ少年マンガ女である夢月はホクホク顔。


「いやーーーやっぱ刹那あいつ殺陣たては見応えあるな! まあ実際の斬り合いじゃあんな動きにはならないんだけど、それでも真に迫るものがあるっていうか……こう、情念? 怨念? こもってんだよなぁそういうのが! な!」


 起床時のぐーたらが嘘のようなテンションではしゃぐ夢月。

 な! とか言われてもヒカリには分からないのだが、たしかに素人目でもアクションはすごかった。人に見せるための嘘の動き(言い方は悪いが)で本職の夢月にここまで言わせるのだから、相当の水準にあるのだろう。


「それに見たかよ、バレット・イェンの功夫クンフー! ありゃ真剣ガチで戦える人間の動きだぜ。カタナ同士なら負ける気はしないけど、あっちが槍とか持ってきたら私でもそこそこ苦戦――」


 なおもアクションシーンについて熱く語る夢月。

 しかし、ヒカリの琴線に触れたのはそこではなかった。


「うん、たしかにアクションはすごかったけど……わたしは演技もよかったと思う」

「……演技? っていうと、芝居というか、人間ドラマの部分?」


 ヒカリの答えが意外だったのか、夢月が聞き返す。


「そう、ドラマのところ。アクション映画だから、たしかに人間ドラマの尺は短かったし、大体いつも殺したり血みどろになったりだったけど……わたしは、主演の子のお芝居がよかったな」


 忘れられないシーンがある。

 復讐鬼と化した撫切御前を、愛そうとしてくれる人がいた。

 だが、御前はその愛を拒絶する。


『愛なぞ不要。道理も無用。この身はすでに人にあらず。骸果てるまで彷徨う鬼なれば――』


 結局その相手も手にかけて、ラスボスである香港のカンフースターを倒したあと。

 エンドロールの直前で、御前は花畑で遊ぶ子供たちを眺めて呟く。


『――ここにはもう、花を愛でる姫君はいないのです』


 懺悔するような独白の、その表情が、ヒカリの胸に焼きついて離れない。

 あれは、誰に向けた言葉だったのか。


「……あの人はもう、人間には戻れなかったのかな」


 ぽつりと呟いて、ヒカリは夢月の手を握る。

 次の瞬間にはもう満面の笑みを浮かべていた。


「行こ、夢月! わたし――二郎系っていうのが食べてみたいの!」


 おう、と曖昧に頷いて、夢月はヒカリが手を引くのに身を任せた。

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