夢葬都市
煙上ミカド
第1章 光月
第1話 光月 1
その日、
高校に行くにはまだ早い。けれど二度寝をするには微妙な時間。
なにか、ちょうどよく時間を潰せるもの。
――そうだ、そろそろカタナの手入れをやらないと。
そこまで考えて、夢月はのそりとベッドから這い出した。
身支度を済ませて、刀掛けから日本刀を取る。模造刀じゃないガチの真剣。
床にばさっと道具を広げ、慣れた手つきで
拭い紙で古い油をとり、
鋭い目つきで刀身を観察する女子高生。
ウルフカットに青のインナーカラー。少年めいた中性的な顔立ち。狼を思わせるキリッとした琥珀色の瞳。ブレザーの制服で立て膝をつき、翻ったスカートから黒のスパッツと、無駄なく鍛えられたしなやかなふとももが覗いている。
刀身に異常がないことを確認し終え、新しい
手入れを終えたカタナを鞘に納め……る前に、ちょっとした思いつき。
冷蔵庫からりんごをひとつ取り出して、テーブルに皿を置いたかと思うや否や、ぽいっとりんごを宙に放り投げた。
すかさず構えたカタナをくるりと振るう。
まるでペンでも回すような気負いのなさで、刃の煌めきだけが三重の軌跡を描く。
ひと呼吸の間を置いて、皿の上に落ちたりんごは綺麗な六弁の花を咲かせていた。
りんごの断面に、先ほど塗った丁子油は1ミリたりとも付いていない。
目にも留まらぬ超絶技巧を終え、ようやく鞘に納めた日本刀を刀掛けに置く。
りんごをひと切れシャクっと口に放り込みながら、少女はつまらなそうに呟いた。
「オッケー、カタナにもワザにも問題なし。……どうせ使う機会はないんだけど」
一人暮らしの女子高生が、部屋に本物の日本刀を置いている。
行き過ぎた防犯対策というわけではない。理由は彼女の出自にある。
「それにしたって、なにもいきなり廃業することはないよなぁ」
不満げに呟いて、夢月は父の言葉を思い出す。
あれは今からおよそ2年前のこと。
『刀間の家業は僕の代で終わりにする。おまえもこれからは
寝耳に水だった。
刀間家は古くから
そんな家に生まれたものだから、夢月はすっかりそのつもりで生きてきた。
昼は正体を隠して生活し、夜は人知れず怪物退治に奔走する……そんな少年漫画のヒロインみたいな生活を送るのだと思っていた。
けれど、現実はそうはならなかった。
時代が進み、科学が発展し、神秘は衰退していった。
怪異や妖怪なんてものは神様と一緒で、“ある”と信じられることで存在しうるものらしい。今の人々は、化け物なんて創作の中にしかいないと思っている。その共通認識が現実にも影響を及ぼして、実際に彼らは存在すること自体が難しくなったそうだ。
祖父の代までは妖怪なんかもバリバリ現役だったようだが、父の代ではもう「いるところにはいる」レベルにまで落ちぶれていた。
――なら、夢月の代では?
うん、もうツチノコみたいなもんだから根気よく探し出すしかないね。そんな有様じゃ退治してくれなんて依頼も来ないし、安定した収入にはならないね。
「食い扶持が稼げないから廃業って、夢がなさすぎるだろ。そういうのじゃないじゃん、マンガとかではさぁ。あーあ、カタナ持って電柱の上に立ってわけ知り顔で夜の街を見下ろしたりしたかったなー」
いや、やろうと思えばできるけど。本業じゃないのにやるのは恥ずかしいし。
まあ、要するに、そういうことだ。
時代と共に必要とされなくなる仕事。そのひとつが、刀間の家業だったという話。
廃業宣言を受けてからというもの、釈然としないながらも、一応は意識を切り替えてまっとうに生きている。
高校受験。都会進出。一人暮らし。
このまま行けば無難に大学を出て、どこかの企業に就職し、普通の社会人としてやっていくのだろう。今日のように、使う機会のないカタナを手入れしながら。
部屋には本物の日本刀がある。
過酷な修行で身につけた戦闘技術がある。
それを振るう機会だけが、ない。
裏の世界でヒーローになるはずだった少女、刀間夢月の、これが今の日常だった。
「ま、都会の生活も悪くないし。私が戦うためだけに化け物に出てきてほしいとも思わないけどさ。……それに今は、ひかりだっているんだし」
そうだ。学校に行けば、彼女に会える。
女々しく過去を惜しむのはやめにして、夢月はマンションを後にした。
◇
東京都
駅を挟んで東口は人で賑わう繁華街。西口は高層ビルの立ち並ぶオフィス街。駅前を抜けて南にしばらく行くと住宅街が広がっていて、夢月のマンションもそこにある。
「…………」
オフィス街の高層ビル群を横目に、西に向かって歩いていく。
もうすぐ9月も終わるというのに、肌で感じる気温は夏。どうやら季節は移り変わることを忘れたらしい。四季も時代に追いつけず廃業したのかもしれない。
「……………………」
都会の夏は田舎よりもひどく暑い。
東京の端っこにある自然豊かな場所に夢月の実家はある。夏場はよく川で釣りをしたものだ。照りつける日差しは強くても、生い茂る木々がそれを和らげてくれた。
地元の暮らしを懐かしみながらコンクリートの照り返しがきつい住宅街を歩いていけば、目的地までは20分もかからない――のだが。
「……あのさ、気配バレバレ。隠れて見てないで出てきたら、ストーカー?」
不意に立ち止まり、振り返って曲がり角の陰に声をかける。
修行の一環で熊のいる山に放置されたこともある夢月には、自分を尾行してくる人間の視線など筒抜けだった。
相手は姿を現さない。
程なくして、曲がり角の向こうの気配は遠ざかっていった。
「尾行はするのに襲ってくる度胸はないのかよ……つまんないな。ま、私にもファンが付くようになったってことか。都会ではよくあることなのかな」
雑に納得して歩みを再開する。どうせなら私の正体に気づいた怪人とかならよかったのに……などと思いながら、通い慣れた通学路を進んでいく。
私立観鞘高校。
全校生徒はおよそ千人。都会の真っ只中という立地の良さで毎年多くの受験生を集めている。
学力的には一流の名門校を目指す生徒がワンランク下の受験校として検討するレベルで、全国的に見れば上から数えたほうが早い。
近年になって制服のデザインを一新。有名デザイナーを起用し世間の評判もいい。校風も昔に比べてかなり自由になっている。「髪の長さやスカートの長さをじろじろ見て文句をつけるのはセクハラではないのか?」という世間の風潮に後押しされ、公序良俗に反しない程度のおしゃれには寛容だった。
広々とした校庭を横切って、階段を上がって2年3組の教室へ。
「よお、トウマ! 昨日の馬術大戦見たか⁉」
「見た見た。作画ヤバかったなアレ。ネットでアニメーターが愚痴ってたけど」
「それな〜。アニメ自体はすげえのに制作側の背景事情が見えると素直に楽しんでいいのかわかんなくなっちまうよなあ〜」
声をかけてくる陽気な男子。サッカー部でおしゃべり好きのお調子者。名字は
春田と適当に情報交換していると、じとり、とした視線を背に感じる。
チラとそちらを見ると、隅っこの席に座った陰気な男子に見られていた。
目元が隠れるほどの前髪。猫背で痩せ型の、いかにも陰気なオタクくんという感じ。
「あー、気にしない方がいいぜ。
陰気な男子――影井とは2年で同じクラスになり、ちょっと前に告白された。
好きになる理由もなかったので断って以来、ああして負のオーラを発している。
「……だね。――え、てか抜け駆け禁止の協定ってなに? 私、知らないんだけど」
「い、いやー? ほら、トウマって男子との距離感近いだろ? それでまぁ色々」
「ふーん……? 地元じゃこれで普通だったけど、大変なんだな都会の人間関係って。あ、それならさ、ひかりにもあるの、そういう協定?」
「
「なるほどね。……なんか私なら手が届きそうって言われてるみたいでムカつくけど」
噂をすればなんとやら。ちょうど話題の相手が現れた。
「ひかり様が登校なされたわよ!」「ああっ、今日も麗しいですひかり様!」
「もう、様はやめてって言ってるのに……。おはよう、みんな」
取り巻き女子AB(自発型)を軽くあしらう彼女の名は
腰まで届く濡羽色の髪。白皙の美貌に黒曜石の瞳。容姿端麗、成績優秀、実家は超がつくほどのお金持ち。漫画のような完璧超人でありながら人当たりもよく、生徒間で半ば神格化されている。
そんな学校一の美少女が、夢月に気づくと微笑を浮かべて近寄ってきた。
「おはよう、夢月」
「おはよ、ひかり。今日もひかりの髪はきれいだね」
自然な手つきでさらりと黒絹のような髪を撫でる。
「ああ……そんな、ひかり様の髪を!」「なんて畏れ多い……」「クソ羨ましい……」
その様子に女子たちがざわめき出す。なぜかひかりと夢月は仲が良いので、彼女たちには見ていることしかできない。中にはハンカチを食い千切っている者もいた。
「あんなイケメンムーブできねえよ……」「やっぱすげえよトウマは……」「悔しいがトウマが久遠を独占しているこの状態が俺たちにとってのベストでもある……」「尊い……」
ついでに男子たちも複雑な顔でこっちを見てた。……おもしれーなこいつら。
優越感に浸っていると、じぃーーーっ、とひかりがこちらを見ているのに気づく。
なんか、今日はやけに人の視線を感じる日だな……。
「……ひかり、どうかした?」
「う、ううん! なんでもないよ!」
バッと慌てたように離れるひかり。心なしか少し顔が赤い。
かと思えば彼女はくすりと笑うと、口元に手を添えて、そっと夢月の耳元で囁いた。
「放課後、いつもの場所でね♡」
夢月の耳がおかしくなったのでなければ、確実に語尾にハートマークが付いていた。今までに聴いたことのない甘い声だった。男子が聴いたら心停止で死ぬと思う。
「あ、おい――」
聞き返す暇もなく、ひかりは自席に行ってしまった。
それから放課後まで、ひかりの様子はいつも通りの優等生。
予想外の不意打ちに、夢月は悶々とした時間を過ごす羽目になった。
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