【幕間話-14】義元公は、抜け穴を抜けて……

永禄3年(1560年)5月下旬 尾張国桶狭間 今川義元


抜け穴を抜けると、そこには井伊信濃守が手勢1千と共に余を出迎えてくれた。一瞬、堀越や瀬名のように余を裏切っていたら、これで詰むなと思いもしたが……信濃守はそんなそぶりを見せることなく、すでに巻山の飯尾勢にも声をかけた事を報告してくれた。


そして、到着したらそのまま桶狭間に再び向かうと。


「相分かった。良きにはからえ」


「では、太守様にはそれまでの間、暫しご休息の程を!」


ちなみに、ここからでも桶狭間山の山頂は窺い知ることができた。煙が立ち上っているので、織田勢は本陣まで攻め込んできたという事だ。大蔵は無事なのかと思いもしたが、今の余にできる事はない。信じるしかなかった。


「太守様!よくぞ、ご無事で!!」


やがて、飯尾豊前守も手勢を引き連れて駆けつけてくれた。そこで2千の兵を率いて再び桶狭間山へと向かう。それにしても、高根山の堀越、生山の瀬名はやはり動かない。本陣から煙が上がっているのは見えているはずなのに。


「信濃守」


「はっ!」


「そなたはどう思う?堀越と瀬名は……やはり、裏切ったと見るべきか?」


「おそらくは……」


「豊前守はどう思う?」


「某も井伊殿と同じ意見にございます」


はぁ……血の繋がりってなんなのだろうな。今となっては、井伊や飯尾といった他人の方が信用できるとは、何と情けない話だ。信じた余が馬鹿だったという事か!


ただ、その時砦の方角から駆け込んできた者があった。織田上総介が降伏したという知らせだ。


「おめでとうございます!」


「ああ、めでたいな」


裏切り者の始末を考えたら、必ずしもめでたいとは思えないが……それでも、今川のために働いてくれた将兵には関係のない話だ。まずは労わなければならない。


「それで、使いの者よ」


「はっ!」


「余が桶狭間山を退いた後の話を聞かせてくれ。どのようにして勝ったのか……」


すると、石川五右衛門と名乗るその男は、知っている範囲で……と前置きして、色々と教えてくれた。余が小屋の中で腹を切っていると見せかけて敵を嵌めた事、加えて上総介を狙撃した物の話を……。


「ちなみに、その狙撃した者とは……?」


「鉄砲隊を率いた井伊小次郎様にございます」


「井伊小次郎……?」


そういえば、大蔵の嫁が鉄砲をかついで砦の中でウロウロしていたことを思い出して、余は信濃守を見た。


当の信濃守は「そんな者が一族に居たっけ?」……というような顔をしているが、余が五右衛門に「それはおとわの事よな?」と訊ねると、面白いように顔を青くした。あのバカ娘は……とか呟いて。


「しかし、織田の別動隊を殲滅した事といい、大手柄だな。おとわは……」


だから、これは褒美をたんまりと与えなければならないと思っていると、五右衛門はそのおとわからだと言って、書状を差し出してきた。中身を確認すると……そこには、この先大蔵が加増されて大名となった時に、人質の役目を免除してもらいたいと。


「対象は……自分と子供たち、あと側室とその子か……」


「お認めいただけまするか?」


「まあ、あのような暴れ虎なら、人質にしても自力で檻を食い破り、逃げ出しそうだな……」


いや、下手をすれば……そのまま余の城に乗り込んできて、その銃口をこちらにむけてくるかもしれないな。それでは、人質ではなく、いつでも余を仕留める事ができる暗殺者を手元に置くようなものだ。


「よかろう。此度の褒美として認めると伝えてくれ」


「畏まりました」


しかし、腑に落ちないのはこのような先を読む力があの娘にあるのかという事だ。誰かの入れ知恵だとすれば……一体誰の入れ知恵だ?


「太守様。そろそろ……」


「そうだな。砦に向かうとするか」


ただ、いずれにしても大した問題ではない。それよりも、戦後処理だ。尾張は60万石に近い大国ゆえ、このいくさで活躍した大蔵への褒美も含めて、論功行賞は慎重に検討しなければならない。


裏切り者たちの処分も含めて、忙しくなりそうだ。

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