第174話 嘉兵衛は、桶狭間の決戦に臨む(3)

永禄3年(1560年)5月中旬 尾張国桶狭間山 松下嘉兵衛


朝、沓掛城を出立した今川本隊3千は、特にトラブルもなく昼前には桶狭間山の砦に到着した。ただ、山頂に登り、空を見上げると天気が怪しくなったので、俺はおとわに鉄砲隊共々、速やかに真田丸へ移るように命じた。


「雨に濡れたら、鉄砲は何役にも立たないから、早くな」


「わかったわ!」


ただ、そんな俺たちのやり取りを見たのか、義元公が不思議そうな顔をしながら俺を手招きした。


「なあ、大蔵よ。あれ……おまえの嫁だよな?何でここに……」


「あ、はは!何を仰せになられるのやら。他人の空似にございますよ!」


「そうか?」


……まあ、俺だって反対したさ。だけど、本人がどうしてもいうし、小平太や源太郎までもが「おとわ様が居なければ、鉄砲隊は機能しません!」と言い張るから、仕方なく参陣を認める事にしたわけだが……もちろん、太守様だけでなく、この事は他の方々には内緒だ。


なお、対外的におとわは、「井伊小次郎直虎」と勝手に名乗っている。やる気は満々だ。


「申し上げます!朝比奈様より伝令。丸根、鷲津砦が陥落したとの由!」


「相分かった!」


だが、おとわの事は一旦脇に置くことにして、いよいよ桶狭間の戦いが始まる。史実では、この両砦の陥落を聞いて、太守様は油断して宴を催したところに信長が襲来したのだ。もちろん、宴などは開いたりしないが、こちらに到着するまであと1刻(2時間)前後だろう。


「皆の者!速やかに持ち場につけ!織田は遠からずこちらに来るぞ!!」


「「「「「おう!!」」」」」


俺は皆に号令を下して、準備を急がせた。


ちなみに、この後の大雨に備えて、屋根付きの待機所を多数設置している。壁などはないが、視界は確保した造りになっていて、信長が襲来すれば、速やかに迎撃態勢を整える事は可能なはずだ。あと、やらなければならない事はと言えば……


「太守様」


「なんだ、大蔵」


「これは念のためにございますが……どうぞ、こちらへ」


山頂には義元公と俺を含めた幹部が指揮するための小屋を用意しているが、俺はその奥にある床の間の前に立ち、垂れさがっている紐を引いた。すると、壁板が横にスライドして、隣の部屋への道が現れた。部屋は土間だが、その中央には例の石碑がある。


「これは……?」


「万が一に備えた抜け道にございます。石碑の頭にある突起物を押せば、このとおり……」


ゴゴゴという音と共に、石碑は奥にずれていき、代わりに地下へと続く階段が現れた。


「この階段を下りて進んでいけば、この桶狭間山の南西に位置する長福寺の近くに出る事が出来ます。使わなければそれに越したことはございませんが、もし、ここが危ないと思われたら、速やかにこちらから避難いただきますよう……」


なお、この話は巻山に布陣する舅殿には話してある。もし、この桶狭間山でいくさがはじまったら、速やかに抜け穴の出口に向かってもらうようにと。


「使わずに勝てればよいな、真に……」


「御意にございますな」


そして、これにて準備は完了という事で、俺は櫓へと昇る。桶狭間山周辺に布陣した味方の配置を見たが、特に問題は見当たらない。あとは、本当に信長が現れるのを待つだけだ。


「あ……」


今、ゴロゴロと雷が鳴った。雨もポツリポツリと振り始めて、その勢いは次第に強くなっていく。


「殿、下に降りるのであれば、お早く!」


雨がこのまま強くなれば、梯子を下りる際に足を滑らせる可能性がある。だから、弥八郎はその前に降りる事を俺に勧めたが……俺は思案した。ここに居れば、異変があればすぐに気づくのではないかと。だから、首を左右に振る。


「ですが、雷が落ちる事も……」


「わかっている。わかっているが……やはり、俺はここに留まろうと思う」


もちろん、雷に打たれるのは恐ろしい。だけど、ここがきっと……俺の転生人生にとって、勝負所になるはずだ。それに信長も……同じ危険を冒して山道を駆け抜けている。


雨はさらに強くなる中、俺は覚悟を決めてここに留まる事にしたのだった。

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