第71話 嘉兵衛は、義妹を受け入れる
天文24年(1555年)6月上旬 駿河国駿府 松下嘉兵衛
奇妙な夢を見てから2日後。我が屋敷に寿殿が遠江からやって来られた。
「ご無沙汰しております、嘉兵衛様」
「…………」
「あの……どうかされましたか?そのようにお化けでも見るような目でわたしをご覧になられて……」
「あ、すまぬ。懐かしいからつい……」
言えない。まさか、寿殿が「側室になりたい」などと言い出して、着物を脱いで迫られた夢を見たなどと……口にすれば間違いなく、「気持ち悪い」「変態」とか言われて、軽蔑されること間違いなしだ。
「ちなみに、源左衛門と一緒では……」
「実は……」
そして、そこからの会話は、夢の中身と左程変わらなかった。源左衛門に先がないとみて別れた事、しかし二度目の破談となったため、それが災いして碌な縁談しか来なくなったから家出した事……。
「それで、お願いがあるのですが……」
ただ、一つだけ違うことがあった。それは、この頼みごとが側室ではなく、義理でもいいので妹にして貰えないかということだった。
「それは、亡き父上の養女という形にするという事だな?」
「……こうなっては、もう真面な縁談は望めません。それゆえに、どうかお願いです。同じ一族の誼で、そのお力をお貸しいただけないでしょうか。わたしだって、幸せな結婚がしたいのです!」
寿殿曰く、婚約が二度も破談となった身の上でも、今川家でお屋形様の片諱を頂く俺の妹ともなれば、石見守殿の娘のままでいるよりも、良縁が望めると見込んでいるらしい。
まあ、そういう事情ならば、協力するのもやぶさかではないが、答える前に藤吉郎にアドバイスを求めることにした。何しろ、夢の中で散々、おとわに「あんたは、人が好過ぎるのよ!馬鹿ぁ!!」……って泣かれたものだから、少し用心しようと思って。
「よろしいではありませんか」
「いいのか?」
「はい。寿殿の申される通り、殿の妹ともなれば、良縁も期待できましょう。そして、それは即ち、縁組によって殿の御立場を強化することに繋がるわけで……」
ただし、それだけに間違いだけは起こしてはならないと念入りに釘を刺された。妹としてこの屋敷に同居することになるが、それだけに気をつけてもらいたいと。
「わ、わかっている」
手を出したらおとわにどのような目に遭わされるのかは、夢の中で予習済みだ。虎に食い殺されないためにも、俺は絶対に過ちは犯さない……。
「しかし、こうして話はまとまりつつあるが……石見守殿はご存知ではないのだろう?駿府にいることも、このような頼みごとをすることも……」
「はい、半月前に黙って家を出ましたから……」
黙って家を出て、どうやってこの駿府まで女一人でやって来たのかはわからないが、それならきっと石見守殿は、心配して今頃探しているはずだ。
「これは早急に、石見守殿にも話を通しておく必要はあるだろうな……」
「そうですな。書状で……というのも失礼な話ですから、ここは左近に頼むことにしましょう」
「え……しかし、それなら藤吉郎殿の護衛は……」
「その間は無人斎殿にお願いするさ。どうやら、あの坊さん……どこかの寺の僧兵だったようでな……」
無人斎殿が元・僧兵だったとは初耳であるが、藤吉郎のいう事だ。きっと、その通りなのだろう。ならば、心配はいらないな。
「では、そのようにしよう。左近も頼んだぞ」
「畏まりました。必ず、お役目を果たして参ります」
「あと、寿殿の部屋の事だが……」
「その前に嘉兵衛様……」
「なにかな?」
「その……妹になったわけですし、いつまでも他人行儀では寂しいのですが……」
他人行儀?一体何のことかと思っていると……少し恥ずかしそうに寿殿は言った。「これよりは、寿と呼んでください、兄上様」……と。
「こ、これは……」
何というか……前世でも妹は居なかったせいもあって、この破壊力は俺の倫理観を危うく粉々に粉砕しそうになった。前世の友人で重度のシスコンがいて、その言動を尽く馬鹿にしたことがあったが……今になって、その気持ちがなんだか理解できた。
「殿……なりませぬぞ」
「わ、わかっている!過ちは……犯さない」
しかし、コスプレくらいしてもらって、目の保養をする位ならばいいのではないかとちょっと思ったりするが、さて……。
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