第6話 二人だけのお楽しみ時間
「智くん、これってどこ見ればいいの?」
「ブックマーク」の隅っこに置いてあるテーブルで智くんと私が二人で向かい合っている。テーブルの上には英語の教科書と問題集を広げてね。
「うん、これは、『何をしたいのか?』って聞いている質問だから、どちらかと言えば、前の方に答えがあることが多いんだよ。英語の場合は何をしたいって先に言ってから、後づけでその理由を書いていくことが多いんだ」
「そっか……。じゃぁ、これ?」
「そうそう。正解。そうやって探していくと、焦ったときにも全部見直す必要がなくなるし、慣れてくると、先に問題を全部頭の中に入れておいて、そこから欲分を一気読みして見つけていくこともできるからね」
「そこまでの上級テクニックは私には無理だぁ!」
そんな私たちの様子を、他の常連のお客様たちは微笑んで見守っていてくれる。
ゴールデンウィークに入って、智くんと私はこんな感じのお休みの日々を過ごしていた。
学校の方では、智くんも私もこれまでの素性を話すこともなかったから、少し謎めいた転校生というところでポジションは収まっている。
少し謎めいているというのは、体育の授業のことだ。お医者様から激しい運動は止められているという診断書が出ているということで、基本的に体育は授業見学。でも、そういったことは他のクラスでもあることだし、お医者様からの指示ということであるならば、誰も文句は言わない。
もちろん心配だよ? でも智くんが自分から話してくれるまでは私も詮索しないって決めた。
だから、ゴールデンウィークはどこかに遊びに行くってスケジュールを立てたのではなくて、私が苦手な英語の先生をお願いすることにしたんだ。課題で出されたその日の宿題をお互いに教え合って終わらせた後には、智くんのプチ英会話の時間がある。
智くんはそこに市販の教科書とか参考書を使おうとはしない。
智くんのお家から、いろいろな外国のパンフレットや地図を持ってきては、スマホでその場所の画像を一緒に混ぜてくれながら、いかにも私たちがそこにいるかのようにゆっくり英語で喋りながら説明もはさんでくれる。
ここまでになるには少し大人の話が挟まることになるんだ。
突然の転校生が智くんだと分かり、私が同じクラスメイトになっていて、しかもその私がお爺ちゃんのお店に仮住まいをしていることを知った智くんのご両親が、週末に「ブックマーク」に来てくれて、久しぶりの再会を懐かしんだあと、今度はお母さんたちから、「夏休みに、智くんと二人でイギリスに遊びにおいで」と言ってくれたんだ。
学校じゃないし、まさか私たちが学校の目の前にあるお店で二人だけの勉強をしているなんて誰も気づかない。
だから、智くんは昔一緒に遊んでいた時と同じように、イギリスにいた時の思い出話や「旅行中はここに行こう」といった話を混ぜて英会話レッスンをしてくれている。
智くんはもちろん「先生」じゃないけれど、現地で実際に英語を話して生活していた経験があるから、苦労とかドジ話も混ぜてくれる。
そういった生の話ってとても楽しくて、時間なんて全く気にならなくて、いつの間にかお爺ちゃんが夕ご飯を準備してくれている……なんて週末を過ごすようになったんだ。そして帰りに私が智くんのお家まで送っていくことにしている。
「帰りが危ないじゃないか」と智くんは言うけれど、塾に通っている子たちが帰る時間までには戻るようにしているから大丈夫。
そんなある日の夕暮れ、私は夕焼けが差し込む窓のそばのテーブルに両手を組んだまま眠ってしまったみたい。
* * *
「智弘くんと言ったね。いつも文音のことを見ていてくれてありがとう」
お爺ちゃんはお手洗いから戻ってきて私が眠ってしまっているシーンにどうしようかと迷っていた智くんに話しかけたんだって。
「いや……。僕の方が文音ちゃんには色々な部分で感謝しなければならないと思います。この街に帰ってきたとき、僕は文音ちゃんの家に行ってみました。でもそこには別の名前が書いてあって……」
「文音たちが前に住んでいたマンションだね?」
「はい。でも転入生で入ることは決まっていたし、正直どうしようって気持ちの方が先行していました。でも、教室で挨拶をして顔を上げた時に、信じられないことに、小学三年生をそのまま大きくしたような文音ちゃんを見つけたんです」
「そうだったなぁ。君と離れてしまってから、文音はまた会うための願掛けのように髪型を変えなかった。それを今も変えないのは、また君が離れて行ってしまわないか不安な部分があるのだろう。ただ、君の方にも何らかの理由があるのは分かっているよ」
「はい……。突然同じ街に戻って来るなんてのは正直僕のわがままだと思います。僕は文音ちゃんに伝えなきゃならないこともあります。それをいつ言えばいいのか、迷っている自分がいます」
「焦る必要はない。ただ、文音が納得できるように、その時間を持っていてほしい。君との時間は、毎週こうして体力や気力も関係ないくらいに待ち焦がれているようだからな。こんなに柔らかい顔をするようになったのは本当に君と再会してからだよ。孫が楽しいと思う毎日を送れているのは君のお陰だ。感謝しているよ」
お爺ちゃんはそう言って、水筒に氷をいっぱいに入れたアイスティーを渡して日が暮れる前に帰したんだって。
私が起きた時にバスタオルが掛かっていたんだけど、それは智くんがかけてくれたってお爺ちゃんは笑っていた。
* * *
「文音、智弘くんとは本当に仲がよかったみたいだな」
テーブルの上だけでなくお店の中も片付けて、閉店後のお店のカウンターで夕食をいただく。
もちろん、智くんにはうっかり居眠りして送っていけなかったことを最初に謝ったよ。
そうしたら、「いつも送ってくれるのだから、その疲れもあったんだよ。今日はゆっくり休んで」とすぐに返事があった。
私からも「勉強教えてくれてありがとう。おやすみなさい」と返した。
「うん、幼稚園の時からずっと同じクラスだった。『お嫁さんにして?』なんて今から考えれば恥ずかしいことも言っていたけどね。でも……、もし智くんが「いい」って言ってくれたら、それは今でも変わらないかな……」
「そうか……」
「早すぎたかもしれないけれど、今も変わらない私の初恋かもしれない。智くんに何かの事情がありそうなのは私でも分かる。きっと体のことだと思うけど、でも無理には聞かない」
その事情が体に関係ありそうだと知って、本当は心配でたまらないんだよ。でも、私がそこでいつものペースを保てなくなったり、智くんとの楽しい毎日が途切れてしまう方がもっと怖い。だから、ちゃんと待つって決めたんだ。
「うん、それでいい。文音も先に空に行っちまった婆さんに似てきたな。婆さんは逆だが、最後までわしに心配させることのないようにと黙っていたし、自分がいなくなった後、わしの老後に困らないようにと、印税をほとんど使わずに残しておいたのを知ったのは、亡くなった後だった。文音にはそこまで似ては欲しくないがな」
お爺ちゃんは今でもおばあちゃんが大好きだ。だから、カフェのカウンターでお客様から見えないところにお婆ちゃんの写真が置いてある。
そんな心配もあるけれど、今の私たちの目標は「無事に期末テストも終えて、夏休みに二人でイギリス旅行に行くこと!」になったんだからね。
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