いつか約束した長い道

小林汐希

第1話 通学時間は徒歩三分!


「お爺ちゃん、行ってきます」


 私はお店のドアを開けて、開店準備中のお爺ちゃんに声をかけた。


「そっか、今日から文音あやねも三年生か。車に気をつけてな」


 お爺ちゃんは準備中のカウンターの中での仕事の手を止めて答えてきた。


「車って言っても、学校はお隣だもん。歩道もあるから大丈夫。じゃぁ行ってくるね。帰ってきたらお店のお手伝いするから」


「あぁ、文音がいてくれると助かるからな。でも、友達もいるだろうから、慌てなくていいからね」


「うん」


 ドアを閉めて、空を見ると青空にポツポツと小さな白い薄雲が浮いている程度。これなら雨の心配もないだろう。とは言ってもさっき話していたように、お爺ちゃんのお家から学校の門までは歩いて三分。地図で見れば学校のお隣だ。これで遅刻でもしようものなら、絶対に寝坊だと言われちゃう。突然の雨も走ってしまえば何とかなる距離だよね。



 私、水樹みずき文音あやねは今日から中学三年生。そんな私がどうして「お爺ちゃんのお店」から通っているかを最初に話さなきゃならないよね。


 みんなが考えちゃうような不安系のお話ではなくて……。


 私のお父さんとお母さん、実は今イギリスにいるんだよ。去年の秋にお仕事の都合で転勤が決まってね……。


 その当時の私は中学二年生。一緒に行くという選択肢も無いわけじゃなかったけれど、私が通っているのは、県立の中高一貫校。高校入試がない学校に通っているのだから、その条件を活かさないのはもったいないし、以前からの友達もいるから、中学生の微妙な年頃で転校。しかも海外となると、私もその話を聞いてすぐに「うん」とは言えなかった。


 そんな話を聞いて、「じゃぁ文音、ここから通うか?」と助け舟を出してくれたのが、私のお爺ちゃん。


 お爺ちゃんは偶然にも中学校の隣のお家に住んでいて、二年前にお婆ちゃんを病気で亡くしてから一人暮らし。私も様子を見たり話し相手に学校帰りによく寄っていたんだよね。


 お婆ちゃんは生前、絵本だけでなく小説を書いていたこともあって、お家の中にはいろいろなジャンルの本がいっぱいあった。自分で書くだけでなく、いつも本を読んでいたり、幼い頃は私にいろんな物語を読み聞かせてくれたって印象が先に来るくらい。


 一方のお爺ちゃんは、会社を定年まで勤めあげてからお婆ちゃんと第二の人生を……と思っていた矢先にそんなことになって、一時は外に出歩くのも億劫おっくうになっていた。そこで私がよくお買い物に行ったり、話を聞いているうち、学生の頃は喫茶店でアルバイトをしていて、本当はバリスタになりたいと思っていたことを聞き出した。


 その話をお父さんたちにして、市のシルバーセンターのお祭りで模擬店を開いてみたら大好評。


 それならみんなが集まれる場所を作ろうという流れになって、シルバーセンターのみんなが喜んでリフォームを手伝ってくれた。壁には本棚もいっぱい作って、お婆ちゃんの遺した本を誰でも読みながら過ごせる図書室カフェとして開店したのが去年の春のこと。


 お店の名前は「ブックマーク」。ブックマークって栞のことだ。一日一日を自分らしく刻んでほしいとの願いからつけたんだって。


 お客さまは、シルバーセンターで知り合った人やご近所の常連さんが多い。ファミレスがある駅とは逆の方向という立地もあって、軽食も出せること。それらが上手く重なって、集会所のようにみんながいつも集まる場所になっている。


 私はまだ中学生だからアルバイトは禁止だけど、お爺ちゃんのお手伝いという名目で放課後にはお店に寄って、宿題をしたり、本棚の本を読んだり、お客さまのお話の相手をしながら過ごした。


 お客さまも、お孫さんと同じ世代の私がいることで、会いに来るのが楽しみだと言ってくださる方もいる。


 こんな環境ができたから、お父さんがお母さんとイギリスに行くことになって迷っていた私は、お爺ちゃんからの申し出を快諾して、自分の荷物をマンションからお店の二階に少しずつ運んで、ここから隣の学校に通うことになったというのが経緯いきさつなんだよね。



 お店の扉を出て左に歩いていくと、すぐに学校のグラウンドが目に入ってくる。今日は始業式の日でもあるから朝練習などはお休みだ。


 そんなグラウンドの隅、お爺ちゃんの家との境に近い場所には一本の桜が立っている。


 今年は冬場の寒さが響いて開花が遅れているとのニュースのとおり、まだこれから満開に向かう途中だ。


 あの木には、いろいろ言い伝えがあると先輩たちからも聞いてきた……。



「文音ちゃん、おはよう」


 後ろから少し遠慮がちな声が聞こえて振り返る。


「瞳ちゃん、おはよう!」


 中学に入ってから二年間、同じクラスだった大崎おおさきひとみちゃん。


「今年も同じクラスがいいな……」


 瞳ちゃんはおっとりしていて、成績もわたしと同じような感じで話もよく合う。


 それと、あまり大きな声じゃ言えないけれど、「ブックマーク」の常連さんでもある。名目上は一緒に宿題をするってことなんだけれど、それが終わると壁に並んだ本を読みに来ることを楽しみにしている、お互いに文学少女だと勝手に言い合っているけれど、実際に学校の中では一番のお友達だと思っている。


「成績も似たようなもんだからね、たぶん今年も大丈夫だよ」


 私も瞳ちゃんがクラスメイトになってくれていれば、年度頭に新しいクラスメイトの中で緊張することも和らぐから、こちらこそお願いしたいくらいだよ。


「門を入ったところに貼ってあるって言ってたよね。去年もヒヤヒヤして、文音ちゃんが一緒だって分かってすごく安心したんだよ」


 瞳ちゃんの言葉は私も全く同じだ。クラス分けは年度頭の楽しみでありながら、不安材料でもあるんだよね。


「あれだね」


「うん」


 学校の正門が見えてきて、瞳ちゃんと私はクラス分けの紙が貼られている立て看板を見つけると、二人並んで歩み寄った。

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