第4話 雨天の空の下で

第4話

翌日。

天候は生憎の雨天。

遠くの方では雷の轟きが聞こえていた。


「せっかくの休日なのに最悪ね~」


空を仰ぎながらセレシアが不平を洩らす。

休みの日は気持ちの良いほどに晴天の方が、

心も躍り楽しみも倍になるというものだ。


「降水確率も七十パーセントみたいだし、

 青空は期待できそうにないね…」


「天候を変える道具が作れたらなぁ」

 

リムルとラシルも口々に言い、

セレシアと同様に空を見上げる。

傘を持ち門前に居る三人は

約束の時間より数分前に着き、

ノヴァとアークを待っていた。

雨天でも任務のある隊員達は

目的の場所へと向かうため門を潜っている。

その団体を見ながらセレシアが呟く。


「私、ノヴァくんと

同じ任務になった事あるのかしら?

 あんなに純粋で可愛い子なのに

知らなかったのが不思議だわ」


「いつも眼鏡をかけていたから、

分からなかったんじゃないかな?」


眼鏡で顔を隠して特徴的が掴めなかったのなら

解らないのも無理はない。

実際にリムルも写真を見せられた時、

セレシアから名前を聞くまでノヴァだと

解らなかったぐらいだ。


「そうかもしれないわね」


リムルの言葉にセレシアが頷いた時、

傘を差して駆けて来るノヴァとアークが眼に映る。


「す、すみません!待たせてしまいました!」

 

辿り着いたと同時にノヴァが

息せき切って聞いてきた。

姿を見かけた時に駆けて来たのだろうなと

思考してラシルは微笑む。


「時間より早く来たのは俺達だから、

ノヴァくんが気にする事ないさ」


それを聞いたノヴァが安堵して笑うと、

アークはラシルに言う。


「いつも遅れて来るラシルが早く着いているとは…。

 雨から雪にならないと良いけどな」


今まで一度も約束どおりにラシルは来た事がない。

どうして遅れるんだと以前聞いたアークに、

最後に来た方が相手を待つ不安も

ないだろうと返ってきた。

どうやら時間にルーズではなくワザと

遅れて来ていたらしい。

そのラシルが自分達よりも早く到着していたので

アークはどんな事情があるのかと首を捻る。


「そうなったら面白いよな。

 何ていうか俺のせいでノヴァくんを

待たすと悪いなと思ってさ」


何せ初めての約束事だからなと

ラシルは付け加えノヴァの頭をポンと撫でた。


「ありがとうございます。

でも、良いんですか?せっかくの休日なのに…」


自分の用事に付き合わせてしまって良いのかと

ノヴァは不安顔になる。

そんな不安顔を吹き飛ばすようにラシルは

ノヴァの髪を軽く掻き乱して言った。


「ノヴァくんは優しいな~。

 俺も街に買い物する物があったから

気に病まなくて良いんだ」


「うん、私も今日は街に行く予定にしていたから

気にしないでね」


リムルが笑顔でそう答えると、

ノヴァは安堵して微笑み返す。


「じゃ、雨が酷くならない内に出発しましょうか」


三人の会話が終わったのを確認したセレシアは、

空を一瞥して四人を玄関へと促した。





軍事国家ティエラ。

この国には四つの街が点在する。

自衛隊の施設は北と南に各二つ存在し、

付近の街も産業経済などが様々だ。

特に軍事国家であるティエラは剣や斧、

錬金術に使う道具や部品など優れた物が数多くあり

多国から買い求める者も居る程。

世界の移動手段は鉄道だが

飛空機械の開発も各地で行っており、

優れた部品が揃うティエラが

一番最初に飛空機械を

完成させるのではと噂されている。


「やっぱり雨だと人も疎らだな」


目的地の眼鏡屋がある東の街へと電車で到着し、

一番最初に降り立ったアークが一人呟く。

 

世間は休日や祝日でもないので行き交う人々は

仕事中の大人が多く目立つ。

中には任務へ向かう制服姿の隊員達の姿もあった。


「アークさん?」


雨の日に任務は憂鬱だろうなと

アークが茫然と思っていると、

後ろからノヴァが呼びかける。


「あ、あぁ。行こうか」


頷いてノヴァと歩き出すと改札口に

向かっていたセレシア達も歩みを進めた。


「…アークさん、ありがとう」


「え?何がだ?」


突然、ノヴァが感謝の言葉を言ったので

アークは聞き返す。

お礼を言われるような事を

何かしただろうかと思考していると、

ノヴァは嬉しそうに答える。


「アークさんと知り合えてなければ、

 こんなに楽しい休日過ごせなかったと思うから…」


今まで友達が一人も居なかったノヴァは、

誰かと休日を満喫した事がなかったのだ。

その心情に気付いたアークは

すぐに微笑むとノヴァの背中を軽く叩く。


「そうか。

なら、これからは皆と良い思い出を作ろうな」


「うん!そうだね」


満面の笑顔で頷くノヴァを見たアークは悲しい過去も

忘れられるような思い出を作ってあげようと心に誓う。





それから五人はセレシアのお薦めな飲食店で

食事を済ませた後、眼鏡屋よりも

近い場所にあると言う事で

ラシルの買い物する店へと入る。

その店は錬金技術で作られた置物や

錬金術の材料となる部品や液体などが並んでいた。


「へぇ~…こういう店に初めて来たけど、

色々な物があるのね」


ぐるりと見渡しながらセレシアは呟き

手前の棚にある瓶に入っている液体を見る。

店内には若者も多数居たが

置物目当ての年配の客も目立ち、

それなりに繁盛している店のようだった。

ラシルが目的の品がある棚へ行き

セレシアがリムルの腕を取って

飾り物を見ている中、ノヴァがじっと

一つの置物を見ているのに気付きアークは近づく。


「オルゴールか」


視線先の棚を見ると四角い形をした

大中小のオルゴールが所狭しと並べられていた。

白板に薔薇の華で装飾された

四角いオルゴールを手に取ったノヴァは

箱を静かに開ける。

その瞬間、透き通るような美しい音楽が流れ出す。


「綺麗な音色…」


「買うのか?」


眼を瞑って音楽に聴き入っているノヴァに

アークが聞く。

すると、ノヴァは小さく首を振って

箱を閉じオルゴールを元の場所に戻した。


「ううん。

眼鏡の代金しか残っていないから諦めるよ」


「ねぇ、ノヴァく~ん!ちょっと来て見て~」


「あ、はい」


苦笑してノヴァがアークに答えたと同時に、

置物を見ていたセレシアが手招きをする。

その後ろ姿をアークは

何かを考え込み見つめていた。






「よし、

それじゃ最後の目的地である眼鏡屋に行くか」


店から出たラシルは良い買い物が出来た

昂揚感から元気良く言い笑う。

セレシアとお揃いの置物を買ったリムルは、

そんな兄を見つめて頷く。


「ノヴァくん、

眼鏡屋は此処から路面電車で行くの?」


「はい。あそこに見えている停留所で待ちます」


反対側の歩道にある停留所を指で示し、

ノヴァがリムル達に行き先を説明していると

店からアークが出て来た。


「有名人は大変ね~」


「そうだな」


ニマリとした笑みで言うセレシアに

反論せず溜息雑じりにアークは返答する。

店内にいた客の数人が闘技大会で

優勝したアークが居ると知り、

サインを迫ってきたのだ。

客だけでなく店の従業員や店長までが握手を求め、

店に飾るからと色紙まで渡された。


「アークのおかげで

激安で買い物が出来て助かったぜ」


友人という事で割引されたラシルが

ご満悦な顔で礼を言う。

どういたしましてとアークが苦笑すると、

全員は停留所のある方向へと向かい始める。


「ノヴァ…これ、プレゼントだ」


セレシア達の後ろ姿を見ながら

ノヴァの隣に来たアークが掌サイズの箱を

ポケットから取り出しそっと渡す。

それは先程、ノヴァが手に取って音楽を

聞いていた白いオルゴールだった。


「えっ…ア、アークさん。どうして?」


驚いて眼を丸くするノヴァにアークは微笑んで、

口元に人差し指を立て小声で言う。


「一番最初の思い出作りの貢献かな。

セレシア達には内緒だぞ」


自分達にも何か買ってくれと煩いからと

言うアークにノヴァは微笑み返して小さく頷く。


「ありがとう。アークさん…大切にするね」


大事そうに両手でオルゴールを包むと、

そうノヴァは言いポケットにそれを仕舞う。

そして、反対側の歩道に行くため

二人を待つセレシア達の元へ行こうとした時だ。


「きゃっ!」

 

車道を走っていた一台の車が水溜りを踏み、

勢いよくリムルの服を濡らす。

すぐさま状況を知った運転手が車を止め

後部座席から一人の男性が傘を差して近づく。


「だ、大丈夫ですか!」


「ちょっと!

リムルが風邪をひいたらどうするのよ!

 水溜りくらい避けなさい!」

 

白髪雑じりの男にセレシアは

強気な態度で腰に手を当て怒る。

そんな態度に反論するでもなく、

男は深々とお辞儀をして謝罪した。


「申し訳ない…お詫びとして私の屋敷で

着替えを用意させましょう。

 もちろん、服の弁償代金は私が払います」


「えっ!

い、いえっ…そこまでして貰わなくても…」


スカートが半分濡れただけなのに、

服だけでなく代金までお世話になるのは

気が引けると遠慮するリムルに

男は大きく首を振って懇願する。


「グランツ自衛隊の方々なのでしょう?

 街の平和を守ってくれている貴方達を

蔑ろにするなど私の気が治まりません」

 

どうしてもお詫びをしたいと言う男の目に、

リムルが困っているとラシルが言う。


「ここまで言ってくれているんだし、

少しくらい良いんじゃないか?」


屋敷に行き着替えをさせて貰うだけなら、

そんなに時間も掛からないだろう。

承諾しても良いのかなと

リムルがノヴァの方を見る。

このまま男性の要求を断れば、後で嫌な思いに

囚われるかもしれないと感じたノヴァは

笑顔で黙ってリムルに頷く。

それを確認したリムルは安堵して

男の方へと目線を戻す。


「解りました。宜しくお願いします」


「良かった…では、後ろの車へ乗って下さい」


乗っていた車へ案内されると思っていた五人は、

後ろと言われて首を傾げ車道を見る。

そこには男が乗っていた車よりも、

さらに高級なリムジンが停車していた。

二台の車でどこか遠出をするつもりだったのか、

誰かを迎えにいくつもりだったのだろうか。

そう思考しているアーク達を男は

車のドアを開けて中へと促す。


「あなたは剣士なのですか?」


運転手の隣に乗った男が

最後に乗ったアークの腰にある剣を見て聞いてくる。

興味がないのか屋敷から外へ出た事がないのか、

闘技大会で優勝をしたアークの事は知らないらしい。

アークは苦笑して自己紹介をしようとしたが、

男がハッとしたような顔をして先に名乗る。


「私から名乗るのが先ですね。

私はヴァルト・ラムレーン。

 錬金材料の産業をしています」


「お、そうなんですか?

俺はグランツで錬金科に所属しているんですよ」


「では、私どもの会社が

お世話になっているかもしれませんな」


そうヴァルトが笑うと

ラシルは改めて自己紹介をした。


「俺はラシル・ジェーンです。

で、隣にいるのが妹の…」


「リ、リムル・ジェーンといいます。

呪術科に所属しています」


名前を促されたリムルが名乗ると、

次は自分の番というようにセレシアが言う。


「セレシア・ベルよ。武術科に所属しているわ」


「おぉ、数少ない女性の方でしたか」


外見では想像できなかったと、

ヴァルトは眼を丸くして感嘆の声を洩らす。

同じ武術科だろうという眼をアークの方に向けて

ヴァルトは自己紹介を待つ。

その眼に促されたアークは小さく頷き名乗った。


「武術科のアーク・レインエッジです」


「おや?名前に聞き覚えがあるような…」


ヴァルトが首を傾げて思い出そうとしていると、

ラシルが助言して笑う。


「今年、闘技大会で優勝した人物ですよ。

知りません?」


「あっ!なるほど!今思い出しました。

ははっ…歳のせいでしょうかね」


やっと思い出したのかヴァルトは

照れ隠しにそう言うと、最後に名乗る事に

なってしまったノヴァへと笑顔を向けて促す。


「医学科に所属しています、

ノヴァ・リィンスレットです」


小さく頭を下げて自己紹介すると、

ヴァルトは感心したような声で呟く。


「ほぅ…医学科なのですか。

 相当の腕と知識がないと医学科には

薦めないと聞きましたが…」


ヴァルトの言うとおり医学科の者達は

士官学校での苦しい特訓などはないが

候補者が五十名居た場合、

たったの十名しか合格できないほどの

難しい模試試験がある。

そのため回復魔術の成績が優れていても

試験で点数が取れなければ不合格になるのだ。


「医学科の貴方なら、もしかしたら…

いや、初対面の方に頼むのは失礼ですね」


顔を曇らせてヴァルトが言葉に詰まっていると、

リムルが心配そうな顔で聞く。


「どうかしたんですか?」


答えて良いものかと迷っていたヴァルトは、

全員の視線に促されて悩みを打ち明ける。


「はい。娘の飼っている猫が食欲がなく、

 獣医に診せても病状が解らないと

言われていまして」


「えっ!」


猫と聞いたノヴァは愛猫ロミオが重なり、

ヴァルトの話に聞き入った。

ヴァルトは眉を寄せ、そのまま話を続ける。


「症状が良くならないので

娘は毎夜泣いてばかりで…」


「僕の力で良ければ力になります!」


思わず言葉に力が入ったノヴァだったが、

猫の事で頭がいっぱいだったのか

ヴァルトの目をしっかりと見て頷く。


「動物の診察はした事がないですけど、

娘さんのためにも全力を尽くします」


「あ、ありがとうございます」


ノヴァの返事を聞いたヴァルトは

心底嬉しそうな顔で何度もお礼を言う。

そうしている間に車は目的地である

ヴァルトの屋敷へと到着した。






ヴァルトの屋敷は産業会社を

経営しているだけあって、

高級住宅の並ぶ一画にあった。

木と同じほどの高さである正門を潜ると、

小さな庭園や噴水があり住宅である建物も

十数階のビルを横にしたような長さの規模だ。

玄関口で停まった車から降り、

室内に入ると天井には宝石の装飾がされた

豪華なシャンデリアがありアーク達来訪者を

煌びやかに迎える。


「大金持ちって世の中に存在するのね~」


初めて大豪邸に入ったらしいセレシアが、

驚きを隠せずに小さく口を開け辺りを見渡す。


「リムル様、こちらです」


着替えを用意させたのかヴァルトの指示を受け、

一人の女性がリムルを誘う。

それにセレシアが同行し、

ノヴァとアークとラシルの三人が

何処で待つべきかと迷っていると、

ヴァルトが近づいてきた。


「ノヴァ様、さっそく猫の容体を看てやって下さい」


「あ、はい」


「アーク様とラシル様は居間の方に

お茶を用意致しましたので、

 そちらでお待ち下さいませ」


ヴァルトが手を鳴らすと

タキシード姿の老人が現れ、

居間へと二人を案内する。


「俺も同行しようか?」


猫の診察は手伝えないが

何か出来る事があるかもしれないと、

アークがノヴァに言う。

しかし、ノヴァが答えるより先に

ヴァルトが眉を寄せて小さく首を振る。


「申し訳ない…娘の猫は人見知りが激しいので、

 おそらく数人で行くと警戒するかと…」

 

確かに知らない人間が二人も

来ようものなら驚くだろう。

人見知りの激しい猫なら警戒して

診察をさせてもらえないかもしれない。

そう認識したアークは苦笑してヴァルトに頷く。


「わかりました。ノヴァ、頑張れよ」


「うん、ありがとう」


小さく手を振ってノヴァは

ヴァルトの案内で、猫の居る部屋へと向かった。






「猫を飼っていらっしゃるのですか?」


部屋へと続く廊下を並んで歩くヴァルトが

確信をついたようにノヴァへと訊ねる。

やはり車の中で言葉の口調が強くなった事で

気付かれたらしい。


「はい、入隊した時から

飼っている猫がいるんです」


「そうなんですか。お好きなんですね」


自分の娘と気が合うのかもしれないと笑い、

ヴァルトは一つの扉の前で足を止める。


「ここです」


ヴァルトはノブに手をかけ回そうとしたが、

途中で止めるとノヴァに言う。


「警戒して逃げた時のために

私は此処に居ましょう」


逃げた先に見知った人間が居た方が、

猫も安心するだろうとノヴァも

思考して大きく頷く。

ノブに手をかけて薄暗い室内に入ったノヴァは、

そういえばとヴァルトに聞いた。


「あの、猫の名前は何ていうんですか?」


名前を呼んで近づいた方が警戒心も薄くなる筈。

そう思ったノヴァの耳に、

さっきまでとは違う雰囲気のヴァルトの声が

聞こえた。


「名前?そんなものはありませんよ。

 ついでに言うと、猫も娘も私にはいない」


「えっ…」


信じられない言葉を聞いたノヴァが、

ヴァルトの方を振り向こうとした時、


「くっ!」


突然、耳鳴りが襲いノヴァは

両耳を押さえて膝を着く。


(な、何で…どうして…

また耳鳴りなんか…っ)


保管庫で聴いた時より強くはなかったが、

それでも耳の奥で鳴り響く音は爆音に近い。

音で苦しむノヴァを見てヴァルトは

心配して駆け寄る事もせず、

ただ嬉しそうに笑う。


「ふっふっふっ…やはり私の思ったとおりだ。

 ついに、最高傑作を手に入れたぞ」


扉を閉めて軽快に狂ったように笑うヴァルトの声に

ノヴァは身震いした。

意味不明な言葉を発するヴァルトは、

さっきまでとは明らかに違っている。


「君の症状が悪い理由を教えてあげよう。

周りを見たまえ!」


そう言うとヴァルトは部屋の電気を点けて

ノヴァに室内を見せた。


「…っ!こ、これは…」


室内を見たノヴァは驚きを隠せず言葉を飲み込んだ。






その頃。

紅茶の入ったカップを見つめ居間にある

椅子へ座っているアークが一人何か考えていた。


「どうしたんだ?アーク」


じっと動かない状態のアークが

気になりラシルは顔を覗き込み、

片手をヒラヒラと振って訊ねる。

すると、アークは動かない状態のままで呟く。


「ちょっと気になるんだ…」


「お、ノヴァくんに惚れています発言か?」


「真面目に聞けよっ」


真剣な話をしようとしていたアークは

脱力して眼を瞑る。

その態度に満足したラシルは、

どうぞどうぞと両手を水平にして先を促す。

納得がいかないなと不満に感じながらも

アークは疑問に感じていた事を口にする。


「あのヴァルトさんの口から娘の名前や

猫の名前が一度も出てきていない。

 変だと思わないか?猫の名前なら兎も角、

娘の名前を口にしないなんてさ」


娘が毎夜泣いていると語っていた時の

ヴァルトの表情は娘を心底心配している顔だった。

そのヴァルトが娘の名前を口にしないのは

可笑しいとアークは思ったのだ。


「ん~…まぁ、初対面の俺達に

名前を言うまでもないと思ったんじゃないか?」


「そんなものなのか?」


納得できないアークが首を捻っていると、

セレシア達が居間に現れる。


「やっぱりお金持ちよね!服の素材が良いわ」


「こ、こんなに良い服…貰っちゃって良いのかな」


一度も来た事がない服を着て

落ちつかないリムルはスカートの裾を取って呟く。


「良いの!良いの!

可愛いリムルは何を着ても似合うんだから」


そんなリムルが可愛いと感じたセレシアが

強く抱きしめながら言うと、

ラシルが紅茶を一口飲んで素直な感想を言う。


「へぇ~…似合うじゃないか。リムル」


「う、うん。ありがとう」


胸中ではアークに言って欲しかったと

思いながらリムルは苦笑した。

そのアークはスプーンで紅茶を回しながら

茫然と未だに考え込んでいる。

何を考えているのだろうかと

聞こうとしたリムルの後ろから、

アーク達を居間に案内した老人が

慌てたように駆けて来た。

どうしたんだろうと全員の目が向けられると、

老人はハンカチで額を拭きながら告げる。


「み、皆様…ノヴァ様が店に忘れ物をしたとかで

屋敷を出て行かれましたが…」


「えっ?」


予想もしていない事を老人の口から聞かされて、

四人は驚いて聞き返す。

同時にノヴァが誰一人にも相談する事もなく

出て行った事にも驚きを隠せずにいた。


「どこの店に行くのか聞きましたか?」


「いえ、

送りましょうかと言いましたが遠慮されて…」


アークの質問に老人は小さく首を振って

申し訳ないと頭を下げる。

窓の外を見ると雨は先程よりも激しさを増し、

店に行って此処へ戻って来るのは困難だ。


「どうする?追い駆けるか?」


ラシルも外の土砂降りを見て不安に

感じたのかアークの方を見て聞く。

考える間を置かずアークは

椅子から立つと大きく頷いた。


「あぁ。セレシア達は残っていてくれ」


せっかく着替えたのに土砂降りの中だと、

また濡れるかもしれない。

そう察して気遣ったアークにリムルは

大きく首を振って拒んだ。


「ううん、私も行きます。

ノヴァくんは友達だもの」


友達を迎えに行くのは当然だと言うリムルに

アークはノヴァを友達と言ってくれた事に

感謝して微笑む。


「ありがとな」


「あ…その、当然の事ですから」


微笑まれリムルが赤面していると、

セレシアも腰に手を当てて断言した。


「リムルが行くなら私も行くわよ!」


結局、全員で行く事になりアーク達は

老人に玄関まで案内してもらうと外へ出る。

車を出しましょうかと言う老人に

アーク達は丁重に断った。

薄暗い雨の中、車だとノヴァの姿を

見失う可能性があると懸念したからだ。

 


屋敷の門を出て此処へ来る前に寄っていた

錬金店のある方向へ行こうとした時、

ふと不審な点に気付きアークは立ち止まる。


「ちょっと待ってくれ…」


「どうしたのよ?」


降っている雨の音に負けないよう

セレシアが声を上げて聞くと、

アークは下を指差す。


「おかしくないか?

道にタイヤの跡しか残っていないんだ」


言われてセレシアが見ると

ラシルとリムルも下に眼を向ける。

アークの言うとおり確かに雨で

泥状と化した道にはタイヤの跡しか残っていない。

それを確認したセレシア達は

アークが言わんとしている事を理解する。


「あれ…何でノヴァくんの足跡がないの?」


リムルは先の道を見て首を傾げた。

自分達の足跡は正門の方から続いているのに、

先に出たノヴァの足跡が一つもない。


「もう一度、屋敷に確認してみる」


不安な気持ちを抑え、アークは

今来た道を駆け戻り正門に向かう。

その後をセレシア達も続き屋敷の正門へ走る。

正門に辿り着いたアークは門の柱に

設置されているインターホンを押した。


『はい、ラムレーン邸ですが…』


数秒後、一人の男の声がしてアーク達に応答する。

その声から先程知らせに来た

老人だという事が分かった。

アークは傘を持ち直しながら

スピーカーへと口を近づけて聞く。


「今までお世話になっていた者です。

本当にノヴァは外へ出たんですか?」


正門以外に屋敷から出る場所が

あるのだろうかと思考するアーク達に

老人は言った。


『今日は誰もお客様ありませんでしたが、

どちら様ですかな?』


平然と言う老人の言葉に

アーク達は絶句して顔を見合わせる。


「な、何を言っているんですか?

グランツ自衛隊の者です」


何とか平静を取り戻して言うアークだったが、

スピーカーから聞える老人の声は嘲笑した。


『依頼もしてないのに

自衛隊の方が来る訳ないでしょう。

 悪戯に構っている暇はありません』


そう言い捨てると一方的に

老人はスピーカーの電源を切る。


「ちょっ…ちょっと待ってください!」


「おいおい、あの人…

歳で物事が忘れやすくなっているんじゃないか?」


もし、そうなら老人はクビにさせられるだろう。

ラシルが苦笑してそう言うと、


「くっ…そういう事か…」

 

屋敷の方に目を向けてアークが悔しそうに呟く。

何が分かったのだろうと三人が見つめる中、

アークは振り向いて言った。


「七人乗りの車だったのは何故だ?

 あいつら、最初からノヴァを狙っていたんだ」


アーク達が五人で一般的な五人乗りの車では、

全員乗せれないと知っていたのだろう。

仮に普段、七人車を愛用していたとしても

自衛隊を知っている者が

アークの事を知らない訳がない。


「え…それじゃ、ノヴァくんは…」


リムルが屋敷の方に目を向けると、

アークは大きく頷き再び屋敷に眼を戻す。


「あぁ。ノヴァは屋敷に居る」

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