第2話 熟練度上げ開始
目が覚めるとあちこち身体が痛かったが、思っていたほどでもなかった。しかし木製とはいえ、スプリングの入ったベッドが恋しくて仕方ない――次はいつその上に寝られることか。
(……朝食の時間って、ドアノッカーで呼べばいいんだっけ? 食事が一日何回なのかも聞いておけば良かった)
食事は出しません、そのまま餓死してください――ということには、今すぐにはならないと思いたい。絶食でさえなければいいけれど、育ち盛りの身には響きそうだ。
いつ食事が出てくるだろう、と扉の窓の方を見て気づく。窓から大きめのトレイが差し入れられていて、その上に着替えらしき服と水の入った木製のコップが置かれていた。
(……良かった、澄んだ水だし普通に飲める。脱水になるのだけは避けないと……塩も必要だけど、食事で摂れるのかな)
そんなことを思いつつも、私はこれから一つ間違えば脱水を起こしかねないことに挑まなければならないのである。
この世界は前世でやっていたゲーム『アーティファクト&ブレイド』に似ている。その世界において、
要は初期装備を振っているだけで、経験値と武器の熟練度が上がる。素振りをするための武器は例の木刀を使えばいい。
木刀を牢に持ち込むことができたのは僥倖だった。普通は荷物検査で取り上げられそうなのに、レイスさんは気に留めなかった――持っていてどうになるものでもないと思われたか、それしか持ち物がなくて憐れに見えたか。
(手が小さくて持ちにくいな……それにこの
素振りで熟練度を上げられるとしたら、相当な回数振る必要がある。そのための準備として、木刀を包んでいた布を手で裂き、持ち手に巻くことにした。
◆◇◆
「うぅ……も、もう限界……っ」
――素振り百回をまず目標にしたが、実際のところ全く無理だった。もう腕が上がらない。
それまで武術の類をやったことがなく、フォークより重いものを持ったことがないというくらいの身体には、木刀は想像以上に重かった。
(五十回も振れないって……でも十歳の筋力で、急に思ったようにはできないか)
木刀を振り抜いたときに身体が持っていかれるような感じで、普段使わない筋肉を使ったらしく、大変なことになっている。
王宮なら回復魔法でもかけてもらえるところだが、そんなものは教えてもらっていない。侍女の目を盗んで魔法書庫に行くとか、教会に訪問するなどして覚えようとしておくべきだった――魔力自体はあるので、やり方さえわかれば習得はできるはずだ。
(とりあえず、休んで回復するしかないとして……)
素振りの成果が出ているのかを確かめたい。自分の能力を判定する方法はあると聞いたけど、私は神器召喚に成功したあとで判定する予定だったので、今の自分の状態は分からない。
(……でも、『感覚』はある……のかな。素振りが何かの成果を出している、っていう)
なんとかまともに木刀を振ろうと振り方や身体の動かし方を意識してみたが、できるだけ真っ直ぐに、無駄がない動きを心がけると、その時だけ何かが違った。
それが熟練度が上がる振り方なのか。感覚を忘れたくなくて、あと少しだけ木刀を振ろうとする――そのとき、コンコンとドアを叩く音がした。
「ひゃ……は、はいっ?」
急なことだったので変な声を出しそうになる。ドアの窓が開いて、トレイが入れ替えられる――そこには食事が載っていた。
「こちらが朝食になります。食べたら元の場所に戻していただければ、回収いたしますので」
「あ……レ、レイスさん。ありがとうございます」
「……私に対して敬称は必要ありません、王女殿下」
「それこそ、私にも要らないですよ。もう、ただのアシュリナですから」
それは強がっているわけでもない、そのまま出た本音だった。
もう「王女だったもの」でしかない私を、『殿下』と言ってもらうのは心苦しい。なんとか地位を取り戻したいとか、そんなことはまだ考える段階にはない。
「それでもあなたが王女であることに変わりはなく、そのあなたのお世話をするために私がいます」
もしかしなくても、凄くいい人なのかもしれない――と言っても、甘いことは考えてはいけない。私に便宜を図るようなことをしたら、きっとレイスさんの立場は悪くなるし、彼もそんなことをする気はないだろう。
「……では、失礼いたします」
レイスさんがドアの前から離れたあと、私は硬いパンを少しずつ千切って食べた。皮の部分が硬すぎて泣けるものがあったけれど、スープに浸すといくらかは柔らかくなった。
野菜の端切れと少しの肉が入ったスープ。最初はただのお湯かと思うような味の薄さだったが、それですら身体が必要としているのが分かった。
レイスさんは私を気遣ってはくれているが、食事の内容はここから向上することは無いのだろう。誰が献立を決めているのかは分からないので、なんとも言えないけど。
(できるだけ無駄な動きを少なくしないと……少ない
タイムアップは突然来てもおかしくない。私という存在は、王家の方針次第でどうにでもなってしまう。
それでも今は身体を休める以外にはない。無理をして病気になってはいけないし、ほぼ詰んでいる状況だからこそ、焦るべきじゃない。
とにかく、身体が動かせるようになったら素振りをする。手応えがある動きを何度も繰り返して、一番綺麗な動きを身につける――それで、思うような変化があるかどうかだ。
◆◇◆
古城生活三日目――待ちに待った沐浴の日がやってきた、のだけど。
(水浴びができるなんて思ってたわけじゃないけど……さすがに辛いというか)
それでもやるしかないので、まず濡らした布を絞って身体を拭き、そのあと残った水で髪を洗った。王宮では全て侍女がやってくれていて、そのことを思い出すとさすがに泣けるものがあったが、泣けばもっと惨めになるのでなんとか堪えた。
「……終わりました」
「申し訳ありません、殿下の護衛の方々からは、沐浴の際にはお世話をするという申し出もあったのですが」
それならお願いしたかった、という言葉が喉から出かかる。というか、まだ護衛の人たちが付近に留まってくれているのも意外だった。
「彼女たちは一度王宮に戻るとのことです。辺境での生活で疲弊しているとのことで」
上げて落とすとはこのことだった――でも、気持ちは分かる。閉じ込められていなくたって、僻地よりも王都での暮らしの方がずっと快適だから。
「ありがとうございます、教えて頂いて」
「……外のことを知るのは、お辛くは?」
「ありません。長い間一緒にいた人たちのことは気になりますが、元気でいてくれればと思うくらいしかできませんし」
この状況の私にそんなことを思われても、というのもある。人のことを心配している場合じゃないと、呆れられてしまうかもしれない。
もしくは、私を気にかける人はもういないのかもしれない。侍女のレイミアは私というより、王家に仕えている人で――今はもう、別の誰かに付いていると思う。
「……アシュリナ殿下。貴女は、このままここに居れば……」
「……え?」
レイスさんは何かを言いかけたが、誰かに呼ばれたのか、ドアの前から去ってしまった。
『このままここに居れば』という言葉の続きは、私に訪れる未来が芳しくないという話だろう。それは私が一番良く分かっている。
それでも、私は諦めてはいなかった。誰もが価値がないと見なした、この木刀を信じると決めていた。
(星1の神器は、ゲームでも使い物にならなかった……でも、使えるようにする方法はある。本当に、物好きしかやらないようなことだけど……)
私は木刀を手に取り、振り始める。休憩したり就寝を挟んで、体力が許す限り振り続けている――数を地面に刻んで数えているが、三日で千回は超えている。
ゲームなら素振りをするのは最初だけで、こんなに振り続けることはないのだが、微々たるものでも経験値は蓄積していく。この世界でもおそらくそうだというのを、私は身を持って検証しようとしている。
今は一振りごとにしっかり意識しながら、最も無駄がない動きを繰り返すだけ――それで感じる手応えがもし気のせいだったらという怖さはあるが。
(『神器召喚』で出てきたものなら、神器には変わりない。ただの木刀じゃないと私は信じる……!)
「――ふっ!」
なるべく声を出さないようにしていたけれど、その一振りの時だけは違っていた――そしてその一振りにもまた、形のない手応えを感じていた。
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