第19話 "俺"が死んだ日 2/4
「あの・・・影山さん? お時間、よろしいでしょうか?」
二週間後、影山がまた休み時間を無視してデスクに向かっていると、聞き慣れない声に呼び止められる。振り返ると、知らない女性社員が恐る恐るという様子で縮こまっていた。
「はい、私は大丈夫です。どうしましたか?」
見る限りは春川と同世代ぐらいだろうか。若手、特に女性からは怖がられがちなので影山は特に気に留めることもなく、至って普通の態度で応対する。
「えっと、私、楓・・・春川の友人なんですけど、ちょっと彼女のことで相談がありまして・・・」
「春川さんの?」
女性の言葉は影山にとっては意外なものだった。仕事以外の用事で自分に声を掛けてくる人間はほぼ居ない。春川関連で上司の自分に相談となると、春川に何か問題があったことになるが、彼女に限って仕事での問題は考えにくい。ならばどういった用事だろうか。
「なんか最近、あの子調子が悪そうなんですけど、事情を聞いても教えてくれなくて」
「春川さんの調子が・・・ああ、確かにそうかもしれませんね」
女性の話には心当たりがある。春川は二週間前から今までしなかったようなミスが増えており、休憩時間にうたた寝をしている姿をよく見るようになった。単に疲れているだけかと考えていたが、友人から見ても様子がおかしいというならば、もっとちゃんと対処した方が良いだろう。
「仕事のことじゃないとは言ってたんですけど、やっぱりちょっと心配で・・・」
「なるほど。ご友人には話しにくい内容なのかもしれませんね。貴重なお話ありがとうございます。すぐに春川さんとの面談の予定を立てます」
「ありがとうございます、お願いします」
女性は小さく会釈をすると、足早に影山の元を立ち去った。そんな女性の様子を気にすることもなく、影山は面談の予定を立てるべく、自身と春川のスケジュールを確認する。それからいくつかの候補を見繕い、春川にメッセージを送った。
仮に仕事が原因ならば上司である自分の責任だし、部下のケアは最優先事項だ。初動が遅かったことを影山は後悔しつつ、なるべく早く解決ができるように準備を進めるのだった。
後日、影山と春川は小会議室に二人で向かい合い、面談を始めようとしていた。春川の様子は影山の目から見ても緊張しているように見える。やはり、どこか普段と違うようだ。
「面談をセッティングした理由と経緯については概ね先に共有したとおりです。尋問をしようというわけではないので、そんなに気を張らないで大丈夫ですよ」
「ああ、はい。すみません」
影山がリラックスするように促しても春川の表情は硬い。面談を拒否こそしなかったものの、彼女は事情を話したくないように思える。さて、自分のような人間に彼女の抱えているものを解決できるだろうか。
「これからいくつか質問をしますが、その前に説明しておくことがあります。まず、ここでの会話は記録を取りますし、内容次第で上や人事に報告もします。良いですか?」
「はい、大丈夫です」
自信はないがやらなければならない。機微の分からない自分にできる限りの配慮といえば、誠意を見せることぐらいだ。空気が重苦しくなることも覚悟で影山は説明をする。もしかしたら彼女はより頑なになってしまうかもしれないが、自分は彼女に隠し事をしてはならないと考えた。
「ただ、報告する決定をしたとしても、具体的に何を報告するかの内容は先に春川さんに共有します。無断で他所に話すことはないと約束します」
「ありがとうございます。そうしていただけると助かります」
影山が断りを入れると春川の表情は少し和らいだように見えた。誠意は伝わったようでまずは一安心だ。
「さて、早速質問なのですが、業務上で何かトラブルがありましたか?」
「いえ、そういった事情ではないです。あくまで個人的な問題です」
最初の質問に春川は凛とした口調で答える。誤魔化しているという様子はない。彼女の友人から聞いていた通り、仕事のことではなさそうだ。
「プライベートのこと、と捉えてよろしいですか?」
「はい。迷惑を掛けて申し訳ないのですが、その通りです」
少し踏み込んだことを訊くと春川は気落ちしたように答える。迷惑、とは最近のミスのことだろうか。何に起因する事情であれ不調ならば影響が出るのは当然であり、当人に責任はないと影山は考える。ただ、影山が黙ってミスをカバーしていたことで逆に春川には精神的に負担を掛けたのかもしれない。言葉でのフォローも必要だったと影山は反省する。
「ここ最近の業務のことでしたら、迷惑とは思わなくて大丈夫です。どんな事情であれ調子が悪いのならば仕方のないことです。こちらこそ、気付くのが遅れてすみません」
「いえ、影山さんは謝らないでください。私が自分から言えば良かったことですので・・・」
影山が頭を下げると春川は余計に申し訳なさそうな様子になってしまった。負担を和らげたいのだが、こちらが気を使えば相手も気にしてしまうようで、このままでは押し問答になる。それに春川は落ち込んで見えはするものの受け答えははっきりしているし、こちらが主導して進めた方が良さそうにも思える。
「そうですか。では、話題を戻しましょう。詳しい事情はやはり話しにくいでしょうか?」
「はい、それはちょっと・・・、すみません」
「分かりました、プライベートのことでしたら、こちらも詮索はしません。相談したくなったらいつでも声を掛けてください」
「ありがとうございます」
不調の原因が分からなければ対処も難しいので事情が知りたかったが、やはり話してはくれないようだ。あくまで彼女がプライベートだと主張するのならそれ以上踏み込む術を影山は持っていなかった。
「それでは今後のことを決めましょうか」
聞き出せることが無い以上はこの場で相談できることは限られる。いずれにせよ、このまま放って置くことはできないので、影山は事前に準備していた内容を伝えることにした。
「原因はなんであれ、春川さんの調子が悪いことは分かりました。各所には私が連絡をしておくので一旦休みを取ってください。病欠でも有給でも構わないので」
「えっ・・・でも・・・」
急な話に春川は面食らった様子だ。無理もない、彼女は真面目なのでいきなり休めと言われても業務の心配もあるだろう。だからこそ影山は先回りして準備を進めていた。
「何か心配や不満がありますか?」
「良いんでしょうか。まだ済んでない仕事が溜まってて・・・」
「そのことでしたら、大丈夫です。予め春川さんを休ませることになるかもしれないことは、関係者には通知して、許可もとってあります。みなさん協力的で助かりました」
「そう、だったんですね・・・」
影山はある程度この面談の結果を想定しており、春川に休暇を取らせることは半ば決定事項としていた。あとは本人に確認をとるだけなのだが、春川の表情は渋い。まあ、抵抗されることも想定済みであったのだが。
「休みたくありませんか?」
「だって、私が休むと影山さんの負担が・・・」
「その心配は不要ですよ。私も有給を取るので」
「えっ?」
影山の返答に春川は目を丸くした。無理を押して仕事に来ている以上、休めと言っても春川が簡単には首を縦に振らないことは分かっていた。どうやら影山の負担が増えることを心配していたようだが、ならば好都合だ。
「意外ですか? いつも私に休めと言っていたのは春川さんですよね」
「それはそうですけど、本当に休んだこと一度もないじゃないですか」
「まあ、確かに。ですが、今回は本当です。私が休暇を取ったらどうなると思います?」
「はあ、分かりました。私の仕事はなくしておいたって言いたいんですね?」
「察しが良くて助かります」
二人だけでやっている以上、上司の自分が休んでしまえば春川にはすることがなくなり、無理矢理にでも休ませることができる。これが影山の打った手だ。春川も影山の意図を理解し、観念したように溜め息を吐く。
「どうしても私に休めと?」
「命令は苦手なので。回りくどくて申し訳ありませんが」
「分かりましたよ、従います。明日から週明けまで有給付けておいてください」
「承諾しました。ご協力感謝します」
春川は両手を上げて降参のポーズを取る。まだ問題が解決したとは言えないが、一旦は必要な処置ができただろうと、影山も安堵した。
「ああ、でもひとつだけ約束してください」
これで今日の話は終わりだと、影山が荷物を整理していると春川が再び口を開く。
「なんでしょう?」
「絶対に影山さんも私と同じだけ休暇取ってくださいね。嘘だったら許しませんから」
「もちろん、誠実なことだけが取り柄なので」
ムスッとした表情で釘を刺す春川に影山は優しく笑って見せた。
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