〈路傍にて〉

 廃劇場の酒場を出たカウィーが、インナーのポケットから出した指輪を左手にはめるのを、シャフークはぼんやりと見ていた。変わり刃の調子はいい。体も、先ほどカウィーが裂いた前腕の皮膚一枚だけだ。さすが「相棒」と言うべきか、筋肉や腱など、生きていくのに必要な部分には傷一つつけなかった。今日はだいぶ稼げるかもな、と、通りの向こうや一本奥まったところの路地からかすかに響く賭け試合の声に、頭の中で損得勘定をする。さて、何人くらい相手にすればいいか―――

「おう、若いの」

 割れたような声がして、振り返ると、顎鬚を編んだ、大柄な男が立っている。灰色の獰猛な目がじろりと二人をねめつけた。「賭け試合の相手をお探しかい」

 シャフークとカウィーが頷くと、「ならこっちだ。今夜は二試合組む予定でいる。槍使いと格闘家がいるよ」と、顎で背後の路地を示した。細く天に伸びる隙間の向こうから、薄っすらと喧騒が伝わってくる。

 どうやら、店や人家などが戸口を構える大通りで大っぴらに決闘するのは昼間だけのことらしい。アウトローのルールは複雑だ。素直に従った方がいい。元締めらしい顎鬚を編んだ男は「ついてきな」と言うと、その路地へ入った。シャフークとカウィーもあとを追う。大の男が一人ずつしか通れないほどの狭さなので、カウィーが先に立ち、シャフークがしんがりについた。

「あんたら名前は?」振り返った男に、シャフークはにやりと笑って「……″カウィー″」と答えた。隣のカウィーは驚いた様子もなく、ただシャフークの方を横目で見て同じように口角を吊り上げる。「俺は″シャフーク″」と彼は名のった。「本名……なわけがないよな」男は低く笑うと、「まあ名前なんてどうでもいい。賭けに必要なだけだからな」と前を向いた。

 ………不意に、風を首筋に感じて、シャフークは咄嗟に足を止めた。その瞬間、路地に面した石を切って開けられた窓から、細いナイフが突きだされる。鼻先を掠めたそれはすぐに引っ込むと、今度は何事かと振り返ったカウィーの金髪を切り裂こうと飛びだしてきた。その腕を掴もうとした途端、窓に足をかけて路地に身を乗り出した見知らぬ男の蹴りが、あやうくシャフークの顔面を掠める。痩せぎすのその男は、もう一度カウィーの、赤い玉飾りの絡みつく金色の髪にナイフを持った腕を突きだした。「……こんなとこでそんな長い髪晒して、あぶねえなあ」下卑た声で笑いながら、カウィーをとらえたとその男が思った瞬間。

「………ッ」

 身をひねって狭い路地でナイフをかわしながら、カウィーはその男の首筋に向かって、何も持っていない左手を突きつけていた。……その耳の少し下から、あっという間に血が流れ出すのが、シャフークにも見えた。たぶん大丈夫だと思っていたとはいえ、やはりほっとする。 

 男は血の溢れ出る首筋を押さえ、後ずさって、窓の中へ消えた。一撃で致命傷になるほどではないが、早く治療しないと危険だろう。カウィーは笑い声をあげて、左手をかざした。その中指にはめられた指輪の台座から、親指の爪ほどの、鋭い金属片が飛び出していた。

「あぶねえのはてめえだよ」

 頬についた血を手の甲で拭い、カウィーはせせら笑った。ちろりと尖った舌先が覗き、唇を舐める。そのまま、手の甲に染みた血をじっとりと舐り始めた。シャフークはその様子を見ていて、我知らず、眉をひそめていた。

「若いの、あんたらやるねえ」

 まるであっけらかんと元締めは笑う。このようなことは日常茶飯事らしい。カウィーは血に染まった舌を見せつけて「あんたとは違うんだぜ、おっさん」と挑発的な目をしてみせた。男は肩を竦めただけだった。カウィーはシャフークを振り返り、血色の唇で弧を描く。「行こうぜ、″カウィー"」

 シャフークも少し目を細めてみせる。「俺が出るまでもなかったな、″シャフーク″」この名前の交換も、いつもどおりの「じゃれ合い」だ―――

 こうしていつでも二人でふざけ合う。いつもどおりに。けれど、不意に首筋を通り過ぎるまぼろしの感触がある。 

 時おりひどく残酷な一面を見せるこの相棒を、シャフークは稀に――恐ろしく感じる時があるのだった。血の匂いを好むこの生きものとは、離れるべきなのではないか、と本能が警告する感覚。

 しかし、そんな思いは瞬きする間に消えてしまう。カウィーがこちらを見て、にっと歯を見せて笑った途端に、そんな気持ちは霧散して「やり過ぎんなよ」と肩を小突く程度だ。カウィーは髪をかき上げる。「金巻き上げそびれたな」「あ、そうじゃん。間抜けかよ」「お前がぼーっと突っ立ってるからだろ。とっ捕まえてりゃ身ぐるみ剥がせたのに」「ここは砂漠じゃねえんだよ」

 お互いの失策を批難する遊びに興じながら、唇にまだ少し血がついているカウィーを見つめる。血にまみれているのは今更自分も同じだったし、普段は、ずっと一緒にいるのが全く苦でなく、むしろ隣にいないと不安を覚えるほどだった。

 それなのに、どうして。

 シャフークは、変わり刃をぎゅっと握りしめた。重たい刃が、じゃらん、と、低く鳴った。


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