第2話 魔法使いの家①

「おはようございます、ヴァレイヤさん」


 開店前に新聞売りから購入した朝刊を眺めていたところ、すぐ前から己の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


 ヴァレイヤ。私の名前を知る者は少なく、さらに呼ぶ者といえばもっと少ない。


 両親、王都には住んでいない友人、あとは――


「……何だ。お前か、コルテス」


 予想通り過ぎた来客だったため、あげた顔をすぐに朝刊に戻すと、さっと朝刊を取り上げられてしまった。


 抗議の意を込めて見つめてみるが、コルテスは何ともないと言いたげに柔和な笑みを浮かべている。


「何だとは何ですか! 僕が小さい頃はもっと可愛がってくれましたよね……」


 白々しい演技で悲しそうな顔をし、「もう可愛くないですか?」と言うコルテスを鼻で笑ってやる。


 コルテス・ブラウン。五代続く不動産会社の現代表だ。王都の中でも一、二を争う規模の会社であり、先代、つまりコルテスの父が会社を大きく成長させた。


 コルテスは一年前、父の引退に伴って代表になり、忙しい日々を送っていると聞く。


 私は一代目からこの物件を紹介され、黒くじらの長耳堂をオープンした。


 それからブラウン家とは長く付き合っており、たまにまだ小さかったコルテスを預かったりもしていた。


 しかし――


「お前、もう大分おっさんだろ。娘もいる奴が可愛いわけがあるか」


 正確には覚えていないが、もう二十代も後半のはずだ。人間で見ればもう大の大人である。可愛がれる領域ではない。


「なっ! まだまだ若いですよ、僕は。妻とは次は息子がいいねと話してますし」


「……そういう若さを言ってるわけじゃない。で、本題は何だ?」


 ため息をついて問えば、コルテスの顔に営業用の笑みが張り付けられる。


 こいつ、可愛がって欲しいとアピールするわりに仕事でしかここに来ないのだ。


 お酒の一つでも持ってきて遊びに来れば、やぶさかではないのだが。


「お話が早くて助かります。実は古本の買取をお願いしたいんです、出張で」


「ふむ。今日は無理だぞ、予定がある」


 午後からのスケジュールを頭の中で確認しながら言えば、コルテスは頷きを返した。


「できれば一週間以内に伺ってもらえると助かります。魔法使いのダッカスさん、分かりますか?」


「あぁ、魔法使いのおじいさんな。会ったことはないが、名前は知っている。人間としては結構な歳のはずだが……とうとう死んだのか?」

 

「やめてくださいよ、縁起でもない!」


 せっかく声を落として聞いたのに、コルテスが大声で言い返してきては意味がない。まばらな客の視線が私たちに集まってくるのが分かった。


 唇の前で人差し指を立ててみせ、コルテスを見つめる。


「古本屋としては大事な確認事項だ。遺品だと教会でお祓いしてもらう必要がある」


 レアケースではあるが、遺品は死属性を持つことがある。そうなればゴースト系の魔物を引き寄せるアイテムとなるので、気軽に売り物として扱えない。


 一部の研究者や好事家には需要があるのだが、万が一の責任を負いたくなのでウチでは取り扱わないことにしている。


 そんなことを一から説明してやると、コルテスは納得してくれた。


 ……まったく、この説明も五回目だ。引継ぎとして徹底してくれるのを切に願う。





 コルテスがウチを訪れた三日後、私は準備を済ませて大通りを歩いていた。


 ダッカスの家は私の店から三十分ほど歩いたところにあり、出張買取としては楽な部類である。


 コルテスから渡された住所の書かれたメモを見てそう思う。


 ウチは個人経営の小さな古本屋だ。商売の大半が人付き合いと言っても過言ではなく、依頼があれば王都の外に行くこともある。


 まだまだ街道は十分に整備されているとは言えず、馬車移動は中々に負担なのだ。


「久しいな、この辺も」


 ぱっと辺りを見渡せば、ところどころ知らない店が建っており、記憶とは若干街の風景は異なっていた。


 ここらは大きな市場や馬車乗り場がなく、私が自ら訪れるような場所ではない。以前も確か出張買取で来たはずだが、はたしてどれくらい前だったか……


 しかし、まったく変わらない物も存在する。今私の目の前に聳え立っている教会はその一つだ。


 王都西教会。ヴィーレ皇国が信仰する唯一神ヴィーラレイスの分霊が祀られている場所。


 周囲のどの建造物よりも高く、確か三階建てだったはず。意匠を凝らした旧都を彷彿とさせる建築様式は周辺国でも有名だ。


 まぁ、私はあまり知らないし興味もないのだが。


 教会から視線を外し、突き当りを左に曲がる。すると道が一気に狭くなり、日差しも教会によって遮られてしまった。


 そこからしばらく進むと、活気のあるカフェなどは消え、夜は繁盛してそうなバーなどが目立つようになってきた。


 この狭い通り、私から見て右が教会、左が歓楽街と中々にカオスな雰囲気なのだ。教会側には侵入を防ぐ返し付きの塀があり、ところどころいたずら書きも見られる。


 教会の建築様式なぞどうでもいいが、この辺りは大変刺激的なのでたまに見物するくらいなら丁度いいだろう。


「……お前、暇なのか?」


 ダッカスの家までやってくると、扉の前でうずくまっている男がいた。一瞬酔っ払いかと思ったが、よく見るとコルテスである。


 コルテスは若干間が空いたものの、私の声に反応して顔を上げた。


「お待ちしてました。ささっ、中へどうぞ」


 おもむろに立ち上がると、懐から鍵を取り出して鍵穴に差し込むコルテス。私はその背中を見ながらため息をついた。


 こいつ、社長だろ。こんなところで油を売っている暇があるのか? てっきり案内は社員の誰かがやると思っていたんだが。



 コルテスに連れられ中に入ると、大量の紙の匂いが襲い掛かってきた。新品、中古を問わず様々な本が混じった匂いである。


「暗いですね~。明かりはどこかな……」


 長く店を空けてから帰ってくると、ウチも似たような物だと再認識できるが、つまり、この家は古本屋に匹敵する蔵書がありそうということだ。


蛍火リュシル


 人差し指を立てて呪文を唱えれば、指先に小さな明かりが宿った。それは一つ二つと増えていき、十個ほどになったところで人差し指をくるりと振る。


 すると明かりは空間を滑るように移動して天井付近へ。一度強く明滅したのち、家の中を光が満たした。


「眩しっ」


 コルテスが驚き腕で目を庇う。


 一言先に言っておくのを忘れたな、と思いつつ、謝罪すると面倒くさそうなので無視。明かりに満たされた部屋を見回した。


「――おぉ、これは中々」


 思わず呟いた私の視界は、壁四面に設置された本棚で埋め尽くされていた。


 もちろん、中身はパンパン。サイズや色の異なる本たちが詰め込まれている。


 おそらく入りきらなかった物だろう。床には上手に本が積まれており、言うなれば本の木だろうか。


 一見あふれた本を乱雑に積んだようにも思えたが、背表紙を確認すると、ジャンルや発売時期で分類されているのが分かった。


 独自のルールで支配された空間。こういうのは嫌いじゃない。


 部屋を見てそんな風に思っていると、本の木を避けながら奥に進んだコルテスが扉を開けるのが見えた。


「ワンルームで裏に物置兼勝手口。井戸とトイレは裏手にあって、共用です。ダッカスさんはここで数十年魔法の研究をしていたらしいですね」


「となると、この辺は自著か?」


 入口から見て対面の本棚、前に机と椅子が置かれているので研究している時は背を向けていたであろうそれを見て言う。


 並べられた本の内半分ほど、背表紙の題名が手書きのようだ。それに軽く触れてみると、市販品の本とは違った手触りなのが分かる。


 おそらく魔牛か何かの革で作っているのだろう。大量印刷、一般流通する本では使えない代物だ。非常に丈夫で長期間の管理に向いているが、非常に高価な素材。


「全て自費出版したそうですよ」


「どこに? 何冊だ?」


 即聞き返すと、コルテスは思い出すように腕を組む。


「……確か、アリア書堂です。流通は王都のみ、数はそこまで多くないと言っていました」


 アリア書堂は王都に本店、国中に支店がある本屋だ。新品本を中心に自費出版本も置かせてくれ、界隈の発展に大きく寄与している。


 だったら……


「その、自著は売れませんか?」


 遠慮がちにコルテスが問う。無言で見返すと、コルテスは弁明するように口を開いた。


「い、いえっ、何だか難しそうな顔をしていたので」


「……まぁ、十中八九売れないだろうな」

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