旅の終わりに

1.

 玄関の鍵を丁寧に閉め、濃い青色に真っ白な雲が浮かぶ真夏らしい空の下を少し歩く。鬱蒼うっそうとした木々と今日も元気に鳴いているせみの声を背にすると、長年過ごした家に向かって、ゆっくりとお辞儀をした。


 ――ありがとう、行ってきます。


 心の中で挨拶を済ませ、日傘をさしてバス停に向かう。


「良かったです。雨降りじゃなくて」


「そうですけど、良い天気すぎて物凄く暑そうですね」


 独り言のように呟いても、尾畑おばたさんはすぐに返事をくれる。それがどんなに嬉しくて心強いか。油断すると涙腺るいせんが緩んでしまいそうで、パンパンッと頬を叩いて気合を入れた。


「えぇ、とっても暑いですよ。でも、夏はこうじゃなきゃね」


 ダルそうにしていたって暑さがなくなるわけじゃない、と湿気をたっぷり含んだ空気の中を軽快な足取りで歩いたけれど、最寄りのバス停に着きバスを待つ為に立ち止まると汗が一気に噴き出した。


「今回も車で来れば良かったのに。一人旅を装うにしても、駅に置いておくとか言い訳はどうとでもできましたよ?」


「ふふ、いいんです。以前はバスで移動するのが私の当たり前だったんですから。とはいえ、私も自動車の便利さを痛感していますけどねぇ」


 時間ピッタリに来てくれたバスに乗りこむと、運良く空いていた席に座り、窓の外に広がる景色を眺めた。

 心機一転、新しい場所で穏やかに過ごそうと主人があの土地を買った頃は、まだ周りは田んぼだらけだった。今では随分と住宅が増えたこと。昔よく買い物に行っていた商店街はすたれてしまったけど、歩いて行ける距離にできた大きいスーパーはとても便利だった。

 人も町も時代と共に変わっていく。そんな当たり前の事を噛みしめながら、心地よい揺れに身体を預けた。


「あの花屋さんに行きます」


 目的の場所でバスを降りて尾畑さんにそう告げると「お出かけ先はここだったんですか?」と不思議そうに言われた。


「いいえ。ここはいつも立ち寄るお店。店長さんが良い人でねぇ。いつも体調を気遣ってくれるのよ」


 店長さんは今日も変わらない笑顔で「暑いですねぇ。お姉さんも熱中症にならないように気をつけて」と声を掛けてくれた。この人のこういう分け隔てない優しさがしおれてしまいそうな私に勇気をくれていたな、と思いだして、また泣きそうになった。


「さぁ、最終目的地に向かいます。もう少しで着きます」


 目的の方向を指差すと、尾畑さんが「げっ、何? この見るからにエグイ坂」と、まるで自分が今からのぼるように悲鳴を上げた。


「そんな大袈裟な。若いんですし余裕ですよぉ。もう何年も歩いてのぼれなくて、タクシーを拾っていたから嬉しいわ」


 そう言い張り切って歩き始めたのはいいけれど、この延々と続くなだらかな坂道が足にくるのに年齢は関係なかったようで、思わず「うぅ、ツライ」とため息混じりの声が漏れてしまった。


「見ているだけで嫌ですよ。あぁ、浮遊局ふゆうきょくに連れて来られた日に、あの男に上らされた階段を思い出す」


「何ですか? その階段って」


 聞いてしまったのを少しだけ後悔した。尾畑さんが脚色きゃくしょくたっぷりにたちばなさんとの出会いを話してくれるので、笑って余計な体力を消耗してしまった。


「あぁ、キツイ。笑わせないで」


「真面目に経緯を話しているだけですよぉ。今更ですけど」


「ふふ、本当ね。でも、橘さんがあなたを救ってくれて良かった。あなたと出会えて本当に良かったわ。あぁ、やっと着いた。尾畑さん見て、この景色」


 永遠に続くんじゃないかと思える坂は、突然終わりを迎える。上がり切った先では、太陽の光に照らされ輝いている海を見る事ができる。手前には風情ふぜいのある街並みと、時代を感じさせる建物が堂々と建っている。切り取って持ち歩きたくなる、私の大好きな景色だ。


「わぁ、見晴らし良くて綺麗。なんだか、ひと昔前の時代に来たみたい」


「そうでしょ? ツライ思いをしてココに来てこの景色を見ると、生きているなぁってたまらなく実感するんです。命がはじける音が聞こえるような気がするんです」


「来たかったのは、ココなんですね?」


「いえいえ、本当の目的はあちらのお寺です。夏木なつき家のお墓があるんです」


 十五段程、階段を上った先にある夏木家の菩提寺ぼだいじを尾畑さんに紹介した。


「何十年と来ているんですけどねぇ。道中いつも、私に来る資格があるのかしらって悩むんです。夏木の家の誰も望んでいないんじゃないか……って。でも、この景色を見ると勇気を貰えるんです。さぁ、行きましょう」


 もう一度、足に負担をかけ、階段を上りきり、目的の場所へ向かった。

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