6.

「おはようございます」という私の声に、体格のいい男の人が反応する。ラグビー選手のようにガッチリしている、この人が大崎おおさきさんだ。


「オバ待ってたよ。最悪な三日間だったんだ。この会社にはオバがいなきゃダメだ」


「朝からアメリカンだねぇ、大袈裟おおげさだよ。大崎が小山こやまさんにキレてたって美玖みくちゃんが教えてくれたけど、そんなにヤバかったの?」


「ヤバすぎだろ。何だよアイツ。今始まった事じゃないってお前はいつも通りかばうかもしれないけど、宇宙人レベルに会話が成り立たない」


「そぉ? 部長達とは仲良くやってるじゃん」


「あれを仲良くって言うかよ。もう呆れかえったね、俺は」


 初めて会った男の人と、昔からの何でも話せる友達のように会話をしている。そんな事だけでこんなにむずがゆい気持ちになるなんて、私ってピュアなおばあさんねぇと心の中でコッソリ笑った。


「手一杯だったから、今週やればいい注文は放置してあるけど、オバに任せていい?」


「了解。安心したまえ。今、私はやる気に満ちている。あ、部長おはようございます。お休み頂いてすみませんでした」


「あぁ、おはよう。遠くの親戚の葬儀って大変だよなぁ。まぁ、小山くんが頑張ってくれてたから安心だな。持つべきものはデキる後輩だなぁ、おい」


「あはは、ですね~」


 部長に笑顔を返して真っ暗なパソコンの画面に向き合うと、尾畑さんの仏頂面ぶっちょうづらが映った。  

 本物の尾畑さんが表情に出やすい人なのか、中身の私の感情が出ているのか判断できかねるけれど、どちらにしても気をつけなければいけない。私のせいで尾畑さんの評判が悪くなったら申し訳ない。

 ワクワクしながら電源ボタンを押し、仕事を始める準備をした。


「おはようございまぁす。あ、尾畑さん、もう大丈夫なんですかぁ? あれ? 何でお休みしてたんでしたっけ?」


「おはよう小山さん。親戚の葬儀よ。お休みの間、迷惑かけてごめんね」


「いいえー。ぜーんぜん、大丈夫でしたぁ」


 香水の甘い匂いを漂わせて登場した小山さんは、色白で黒いロングヘアーの清楚な感じの女の子だ。今時のファニーフェイスと言うらしい。初めて聞く単語だけど、これも尾畑さんの頭にインプットされている。


 ――確かにオジサマ達には好かれそうねぇ。でも、こういう子程、気が強そう。


 一瞬で浮かんだ偏見のような小姑こじゅうとのような失礼な考えを振り払うように頭を振る。余計な事は考えないで、いつも通りに一日を過ごそう。今の私は「尾畑真弓おばたまゆみ」なんだ。


 始業時間の九時になり、ミーティングを終え席に戻るとメールとFAXを確認する。誰も気に止めない位、自然に行っているこの作業の一つ一つが私にはとても新鮮で、頬がほころんでしまう。

 尾畑さんは、仕入れ先も会社の内部もまだまだアナログな人達が多くて……とボヤいているけれど、その意味もわからない私にとっては全てが目新めあたらしくて楽しい。


「小山さん。今日、工場出荷分の注文お願いして良いかな?」


「はーい、わかりましたー」


 ヒマそうにしていた小山さんに仕事を振る事までできる自分に感激しつつ、それ以外の注文をさばいていると、驚く速さで時が流れた。


「わぁ、何これ可愛い」


「お土産のナマハゲロール。可愛いよね」


「ありがとうございます。それより真弓さん、今日やっぱり具合が悪いんじゃないですか?」


 昼休み、心配そうに美玖みくちゃんにそう言われ、どこかオカシイ所があったかとドキッとする。


「大丈夫だけど、なんで?」


「なんか今日、いつもより動きがゆっくりな気がして。遠くまで行ったから疲れが取れてないんじゃないですか?」


「確かに。知らず知らずに身体に響いてるのかも、あはは」


「ただでさえ月曜で注文多い上、休み明けで仕事溜まってるっていうのに、相変わらず小山さんって何もやろうとしないじゃないですか」


「本当、言わなきゃ何もやらないわ」


「えっ? めずらしーい。真弓さんがそんな風に言うなんて」


 ――しまった。


 本当は頭に自然と浮かんできた言葉を言うつもりだったのに。


 ――小山さんも、頼んだ事はちゃんとやってくれるのよ。


 そう言うつもりだったのに、つい気がゆるんでしまった。


「いや……朝、美玖ちゃんも珍しく小山さんの事、言ってたじゃない? だから、思わず私も本音がポロリと……」


 まるで美玖ちゃんのせいみたいな苦しい言い訳をしてしまったのに「なぁんだ」と笑顔を返されて戸惑う。


「やっぱり真弓さんも言わないだけで不満があったんですね。安心した。私だって今回初めて色々と思ったわけじゃないですよ。でも、真弓さんが何も思わないなら私が文句言うのも違うなって口出さなかっただけで」


「え、そうだったの?」


「はい。良かった、思いは同じか。ここじゃ話すに話せないし、今度久しぶりに飲みに行きましょうよ」


 私自身が小山さんの被害にあったわけじゃない。美玖ちゃんと一緒に、今日会ったばかりの小山さんを悪く言いたいわけでもない。ただ、今までの尾畑さんを思うとほんの少し嬉しくなった。

 尾畑さんは、こうしている今も余計な口出しはしてこない。他人が入った自分の身体が心配で色々言ってもおかしくないのに、こんなに我慢して自由にさせてくれる人は、なかなかいないんじゃないかと思う。その優しさを素晴らしいと思う反面、今までの生活でも周りに気を使いすぎて自分を押し殺しながら生きてきたんだろうというのが簡単に想像できて、切なくなった。誰にも言わず、自分だけで抱えていた思いを美玖ちゃんと愚痴って共有するのが悪い事だと私には思えない。


 ――本当にこのまま、今まで通りの尾畑さんとして生きるのが正解なのかしら。


 そんな事を考えながら、午後の仕事を終わらせた。

 起きる事の全てが心を躍らせる。今まで知らなかった世界は、何て楽しいんだろう。

 尾畑さんの身体の中で生きる毎日は、流れるように過ぎていった。

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