第2話
ミュージカル公演に向けた準備が進んだ日。
放課後を迎えたところ、エルナは教室でコレットに声をかけられた。
「本日は一緒に帰りませんか? エルフィンさんと公園に行きたくて、迎えは断りましたの」
「ん、
にこやかな笑顔で
たったそれだけの会話だったが、元々のエルナからしてみれば、信じられない成長だった。かつてスパイの養成学校に通っていた頃は、他人との会話など一切できず、孤立していた。
──『灯』の年上の少女たちが可愛がってくれたおかげだ。
凍りついたように動かなかったエルナの心を溶かしてくれた。
改めて仲間に感謝を覚えつつ、教室の端にいる人物をちらりと見た。
「ただ、アイツを誘っていいの?」
「ん、あぁ、あの……」
コレットの表情が、一瞬曇る。
彼女の視線の先にいるのは、朗らかなエルナとは対照的に、ぶすっとした眠そうな表情の少女。帰り支度をして、毛量の多い灰桃髪が揺れている。
──『忘我』のアネット。
大きな眼帯をつけた少女で、エルナのパートナーだった。
「え、えぇ、大丈夫ですよ。エルフィンさんのルームメイトですものね」
コレットは緊張を隠すように、穏やかな笑みをしてみせた。
話が決まったので早速声をかけると、アネットは露骨に顔をしかめた。
「お断りします。俺様、不器用なのでまだ小道具が完成していません」
「お前もたまには学校に
明らかな
途中でサンドラと合流し、四人で街の中心まで歩いていく。新しくできたワッフル屋に寄っていこう、という話になった。
ピルカの美しい街並みは、何度歩いても飽きることはない。白壁で統一された建物をキャンバスにするように、アップルパイを頰張るブタや、パイプを
歩くだけで心が弾む街。
途中の話題は、やはり迫りくるミュージカルの発表会について。
「とうとう二週間後に差し迫ってきましたね」
「緊張しちゃうなぁ。まさか王国劇場の舞台に立てる日が来ようとは!」
「わたくしたちは端役ですけどね」
「でも失敗はできないよ。けど、未来を切り開く大チャンスだ」
興奮した面持ちで語っているコレットとサンドラ。
いわく幼少期からずっと憧れていたステージらしい。時に胸に手を当て、時に
同調するようにエルナも頷いた。
「うん、これで注目を浴びれば、一躍王国のスター!」
「……ウサギの着ぐるみを
冷めた声のアネットに
話の腰を折る発言だったが、コレットたちが気を悪くする様子はない。にこやかに
「ですが、毎年殿方に見初められる方もいるそうですよ」
「そのまま映画会社にスカウトされたりね。コレットは
「えぇ。だから気が抜けませんわ。侯爵の御子息様ですもの」
「私も気張るよ。お父さんが政務を抜け出して来るんだ。恥をかかせられないな」
「や、やるしかありませんわ!」
「そうだね! ねぇ、二人はどんな人に見られたい?」
突然視線を向けられ、エルナは
言葉を返すまでに、時間がかかった。
「……政治家?」
コレットがへぇ、と目を丸くして「政界に興味があるなんて知らなかったですわ」と
エルナは「少し興味があるだけ」と頷き、適当なエピソードを語った。
強調しすぎては
アネットは退屈そうに「俺様は、どーでもいいです」と返答し、先を歩き始めた。
──チクリと胸が痛んだ。
学校生活の中で、時折息苦しさを覚える時がある。
学友と
──自分は全ての人間を欺いている。
本音を言えば、ミュージカルなどどうでもいい。目立ちたくない。学校生活を送るために参加するだけ。これを利用して、上流階級と
見られたい人なんていない。
それでも挙げるならば、その人たちはきっと劇場には来ない。
(……エルナたちは普通の学生じゃない。スパイなの)
学友とのズレを自覚する時、どうしても気詰まりを感じてしまう。
つい、マイペースなパートナーに視線をやった。
──アネットは割りきった生活を送っている。
学友と最低限の接触しかしない。彼女はこの聖カタラーツ高等学校においても問題児を突き通していた。
授業や学校行事などにやる気はなく、協調性も皆無。遅刻の常習犯で、授業中は居眠りばかり。学友から話しかけられても、基本無視。ただペーパーテストの成績は抜群で、順位は上から十番目に入る。本人はわざと手を抜いているという。
いわく「省エネ」らしい。
彼女もまた夜にスパイ活動をしている。昼間はスイッチを切っている。
スパイとしての正解かは分からないが、とにかく彼女らしい。
ぼんやり考えていると、サンドラから「どうしたんだい、突然黙って!」と横から抱きつかれる。
「の、のぉ!?」
「また『の』が聞けた。ふふーん、エルフィンは可愛いなぁ。養子にできないか、今度お父さんに頼もうかな」
「謎の計画が進んでいるの……!」
「ダメですよ、サンドラ。エルフィンさんは教室の愛玩動物ですから。抱きつくにはハグ代を委員会に納めないといけませんわ」
「初耳なのっ!?」
エルナの両腕を引っ張り合う、クラスメイトたち。
(とにかく楽しい生活を送れているのは間違いないの)
たまに気まずさを感じるが、基本は穏やかな生活を送れている。
これ以上の幸福をスパイが望むのは、分不相応というものだろう。
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