第4話 へい、優!

「ちょうどよかったーっ」


 全然、よくない。


「優ちゃん、お姉ちゃんの髪、梳かしてくれるーっ!」


 と、由佳姉が櫛を持って登場。みなみとのはなしが盛り上がったところだというのに、なんてタイミングの悪い。もう少しみなみと二人だけで話せば、もっと仲良くなれそうなのに。とっとと終わらせて、由佳姉を追い返す。


「ったく。しゃーねーな。ほら、そこに座って!」


 由佳姉はまわる椅子に腰掛け、僕に背中を向ける。後ろ手に僕に櫛を渡す。


「はぁーいっ!」

「どれどれ。あー、大分傷んでるぞ。ライブのあとはいつもこうだ」


「大変なんだよ、ライトは熱いし、汗かくし」

「自分で手入れすればいいだろう」


「いやーっ! お姉ちゃんの髪は、優ちゃんに守ってほしい。毎日だよ!」


 本当に、どうしようもない姉だ。これから毎日、由佳姉の髪を梳かさなきゃならないなんて、考えるだけでも辛い。


 僕がホッとため息を吐くと……。


「あのっ、私……」


 おおっ、みなみ、ナイス! きっと僕に代わって、みなみが由佳姉の髪を梳かしたいって言うんだろう。いい提案だ。僕は時間ができるし、みなみはリスペクトしている由佳姉の髪をいじれるし、由佳姉は毎日綺麗な髪でいられる。ウインウインウインだ! 誰にも文句はない!


「……私の髪も優様に梳かしてもらっていいですか?」


 はぁ? なんで、僕を見て言う?


「いいよーっ。みなみちゃんの髪、とっても明るくって長くて綺麗だからーっ!」


 へぇ? っていうか。


「なんで、僕が?」


 許可を取るなら僕に言えよ!


「優様の髪が綺麗なのは、優様の手入れのおかげなんでしょう」

「そのトーリ。優ちゃん、髪を梳かすの上手なんだよーっ!」


 それは初耳。っていうか、みなみは由佳姉と違って自分で手入れができる。僕なんかがいなくても大丈夫だ。


「お願いです。私も、優様のような髪の綺麗なアイドルになりたいんです」

「なれるよ、みなみちゃん! 優ちゃんに梳かしてもらえば、絶対だよ」


 なんだか、おだてられてる気もするが、そうまで言われたら断れない。


「ったく、しゃーねーな! みなみ、そこへ座って!」




「へい、優。見るでやんす。すごい駆け出しアイドルを見つけたでやんす!」


 通学路。駆け出しアイドル達の自己紹介ショート動画を作成した翌日。


「おい、三郎。優様ロスはどこへいった? この、浮気者!」


 みんなの自己紹介動画には、満足できる反響があった。だからこそ、八重洲の言葉は重かった。アイドルオタクは今、どこを見ているのか、知りたい。


「優様ロスを埋める争いは三竦みでやんす。生田紫愛に『埼京連合』に異世界物語」

「みんな、聞いたことのある名前だね」


 生田紫愛はテレビCMなどで子役から活躍している。『埼京連合』は池袋を拠点にした日本最強の地下アイドル集団。異世界物語は中山環奈と町田聖子のデュオアイドル。さくらが当面の目標と分析したアイドルと一致している。


 由佳姉の抜けた穴を狙う次世代アイドルはみなみ達だけではないことを、思い知らされる。八重洲が友達でよかった。


「新人では束になっても優様には敵わないでやんす」

「知名度が高いって、そういうことなんだな」


 出発地点が違う。今の活動ペースで、みなみ達は間に合うのだろうか。


「けど、駆け出しながら、この子達には優様の面影があるでやんす!」

「おい、三郎。勝手に僕の姉を殺すなーっ!」


 八重洲は完全に僕の言葉を無視して、スマホを僕に突き付ける。


「これを見るでやんす。僕はもう、十回は見たでやんす」


 へーっ、そんなに! 八重洲はまるで、自分の姉か妹か同居人かを見せびらかすように自慢げだ。


 八重洲の目利きのほどは分からないけど、由佳姉が連れ帰ったアイドル達のショート動画作りの参考になるかもしれない。生馬の目を抜く芸能界で生き残るには、少しでもたくさんのことを学ばないといけない。


「どれどれ……あっ!」


 驚いた。残念ながら、見せてくれた動画では何の参考にもならない。他のアイドルがどんな活動をしているのかを具体的に知りたかったのに、叶わない。


 だって、八重洲が突き付けてきたのは、みなみのショート動画なんだもの。


『はじめまして! 私は岩本みなみ、明るくて長い髪が自慢の駆け出しアイドル。将来は優様みたいな何でもできるアイドルになれたらいいなぁって、思ってます。だからみなさま、応援、よろしくお願いします!』


「……みっ、みなみ」


 付け焼き刃ではあるが、はじめに比べればよくできている。さくらのかけたエフェクトもよく馴染んでいる。


「優もチェック済みでやんしたか。この髪、手入れが行き届いてるでやんす」

「行き届いてるも何も、僕が梳かしたんだよ。姉さんのあとに」


 枝毛も切れ毛も少なかった。普段から自分でしっかり手入れしているのがよく分かった。由佳姉とは大違いだ。


「まーだ、そんな世迷言を言うでやんすか?」

「世迷言なんて、言ってないよ。本当なんだって」


「分かったでやんす、分かったでやんす……」


 八重洲ったら、全く信じてくれない。それにしても、八重洲の目利き、大丈夫だろうか。みなみの動画の再生数は二千件程度と、決して多くはない。最も再生数を稼いだ佐久間白布の十分の一以下。練習の成果は出ているとはいえ、トップバッターだったことを差し引いても、いい出来栄えとは言い難い。八重洲がそんなみなみを推すなんて、ちょっとうれしいが、意外。


 昨日のように、少しの間をおいて八重洲。何だか分からないけど、見てしまったようだ。僕は八重洲の前で手をフリフリ。


「どうした、三郎」

「……あーぁ、何でもないでやんす。みなみちゃんの髪、いじってみたいでやんす」


「おい、三郎。それ、変態発言だぞ!」


 たしかに、みなみの髪は質が高い。


「せめて、一緒に『いただきます!』がしたいでやんす」

____________

八重洲三郎 17歳

身長:173.2 体重:68.4


 主人公の同級生。成績優秀だが運動音痴。重度のアイドルオタクで、優様ロスに悩む。主人公が神田優の実弟だということを頑なに信じようとしない。

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