第3話 「ふうん。友だち」

 翌日の日曜日。私は末結と有朱と並んで、件のコンビニのイートインコーナーに座っていた。目を覚ますと、『ゆい先輩、よくなってたら一緒にアイスを食べましょう!』というメッセージ届いていたのだ。


 よくなるもなにも悪くなってすらいないのだから、罪悪感もひとしおだったが、ならばここはご相伴にあずかるのがせめてもの罪滅ぼしというものだろう。流愛に出かける気がないことをそれとなく確認しつつ、私は待ち合わせの時間ぴったりに二人と合流し、バニラ味のソフトクリームをいただくことにしたのだった。


「でも、よかったよ。許子が大したことなくて。やっぱり疲れてたのかな」


 レモンのソフトクリームをなめながら、末結が言う。深い色のワンピースを着て、普段は伸ばしっぱなしの髪を低めのサイドテールにゆっていた。大人っぽい。普段は軽く感じられる物腰も、今の服装だと落ち着いた余裕を感じさせる気がした。

 私はこうはなれないだろうな、と思いながら、


「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫だから」


 と応じる。シャツにジーンズという装いは、どちらもお気に入りのものではあるけれど、末結と比べると見劣りするように思えてならなかった。


「先輩、頑張りすぎなんですよ。ちょっとくらい手を抜いてもバレませんって」

「いいこと言うじゃん。許子はもっとね、適当でいいんだって」


 二人の言葉を聞いて、私は首を傾げた。


「適当って……どのくらい?」

「そういうところだよ」

「そういうところです」


 同時につっこみが入った。


「うん、まあ……休み休みがんばることにするよ。肝心なときに切れちゃったら、もったいないもんね」


 実際、疲れていたとはいえ心配されているほどではないので、二人の忠告はありがたいようで完全に的外れなのだが、それでもその気持ちが嬉しかった。


「ゆい先輩って……普段、なにしてるんですか?」

「なに……って?」


 聞き返すと、有朱は少し考えこんだ。プリントのTシャツにチェックのスカートという出で立ちは、まだ初等部のころの垢抜けない愛らしさが残っているようで、なんとなく懐かしい。


「ええっと、例えば、部活から帰ってから寝るまでに。ご飯とかお風呂とか以外に、趣味みたいなのって、ないですか? ほら、そういう楽しいことをすると、寝てるより疲れが取れるって言うじゃないですか」

「特にはないけど……ああ、友だちと話したりとか?」

「えー、ちょっと意外です」


 有朱はわかりやすく目を丸くした。


「先輩、意外と社交的なんですね」

「私をなんだと思ってるの……」

「ほら、朴念仁だって思われてるよ」


 末結が楽しそうに言う。


「別にそんなこと思ってないですよう。ただ、あんまりおしゃべりとか、好きくないのかな~って……」

「いや、意外とそうでもないよ。あんまり自分からはやらないタイプってだけで。許子は……あれだから。受けだから」

「受け?」

「いや、その……ほら、押せば案外受け入れてくれるっていう……」


 二人が言い合うのを聞きながら、私は流愛のことを思い出していた。ポケットの中のスマホが震える気配はない。けれど、もし気づいていないだけで、何件もメッセージが溜まっていたらどうしよう。あまり返信が遅いと電話がかかってくる。そうなったら、自然に席を外して出られるだろうか。もしできなければ、また流愛が不安がる。せっかくよくなってたのに。今度はどうなるんだろう。また死にたがるのか。泣いて喚いて自分を傷つけて――そのことを思うと、また頭が真っ白になる。空っぽになるのとも違う。泣き声のような、悲鳴のような、意味をもつ前のどろどろしたなにかで満たされるような感覚。理性も感情も、なにもかも押し流されて、言いようもないものが脳内を埋め尽くしている。


「――ゆい先輩? どうかしました?」

「あ……いや、ちょっと……。またぼーっとしちゃってた」


 気づけば、手の中のアイスは消えていた。


「やっぱり、疲れてるんじゃないですか? もっと食べたほうがいいですよ。ほら、あーん」

「え? あ、あー……」


 虚を突かれて、とっさに言いなりになってしまう。最後に残ったコーンの部分が、口腔に押し込まれた。


「ふふ、おいしかったですね、ゆい先輩」

「うん……おいしかった」


 なんとなく気まずい思いをしていると、末結が、


「有朱ちゃん、意外と大胆」


 と冷やかした。


「もう、汝鳥先輩っ。いいじゃないですか、別に」

「悪いなんて言わないけど?」


 言いながら、末結もコーンの最後のひとかけらを口に放り込む。

 ようやく私も落ち着いてきて、スマホから意識をそらす余裕もでてきた。アイスの味はほとんどわからなかったけれど、二人の忠告通り、今からでも羽を伸ばそうかと思う。

 そのときだった。


「あ、とこ。なにしてるの?」


 ふいに明るい声が響く。びくりとして振り向くと、自動ドアの前から、流愛が歩いてくるところだった。

 くすんだ色のミニスカートに、襟つきのロングシャツ。長い髪をまっすぐにおろした姿は、長身もあいまって、中学生離れして見える。


「すごい偶然。どうしたの、こんなところで」


 流愛は下唇を隠すように笑って、私の目をのぞき込んだ。


「――るーちゃん……なんで」

「え? いや、たまたま見かけたからさ。なにしてるのかなって」


 声の調子はあくまで明るい。表情もにこやかだ。けれど、それをそのまま受けとることはとてもできなかった。


「……えっと、部活の友だちに誘われて。おやつにしようかなって……」

「ふうん。友だち」


 流愛は体を起こして、私を見下ろすようにする。

 その様子を見て、有朱が首を傾げた。


「あの、先輩のお友だちですか? 二年生、ですかね」

「うん。義河流愛さん。すごい偶然だね。義河さんも、なにか用事?」


 末結が、少し慎重な口調で有朱の疑問に答える。しかし流愛は、二人のほうを見ようともしなかった。


「もう、食べ終わったの? じゃあ、用はすんだよね。行こうよ」


 私の手を引いて立たせると、流愛は促すように二、三歩前に出た。


「え……っと」


 私はとっさに二人のほうを見遣る。有朱は少し驚いたように、末結は緊張した面持ちで、それぞれ私たちを見ていた。

 逡巡していると、末結が笑みを繕いながら、助け舟をだしてくれた。


「いいじゃん。せっかく会えたんだから、一緒に行ってあげたら」

「……そうだね、ごめん。じゃあ、また明日、ね」


 私はなんとかそれだけを言うと、軽く会釈をして、流愛に手を引かれながらコンビニをあとにする。私の手を握ったまま、なかなか足をとめないので、しばらくの間、陽の光を反射する流愛の髪を眺めることになった。


 流愛の細長く伸びた手に握られていると、自分の手がいかにも小さく思えてくる。こうして繋がれているのがお似合いの、子どもの手。同い年のはずなのに、こんなに違う。


 やがて流愛が少し振り向いて言った。半分だけの表情からは、その内心を読み取ることはできなかった。


「ねえ、ちょっと疲れちゃわない? あの公園、ベンチあるから」

「うん……」


 言われるがまま、近くの公園のベンチまで歩き、腰をおろす。正面から見る流愛の顔は、相変わらず笑みを浮かべていた。なぜだか胸が苦しくなる。


「……るーちゃん、ごめんね」

「え、どうして?」

「私がほかの子と遊ぶの、嫌だったでしょう?」


 流愛は笑顔のまま、大きく首をかしげた。


「えー。そんなことないよー。でも、とこが気にしてくれてるのは、嬉しいかも」


 脚の上においた私の手に、流愛は右手を重ねる。


「優しいね、とこ。でも、誰にでも優しいのは、冷たいのと一緒だと思うの。私、とこの優しいところ、好きだよ。とこがずっと優しい子だったら、嬉しいんだけど」


 甘ったるい声。可愛い笑顔。

 流愛が、そんなとびきりの口調と表情を選んで、私に訴えているのだと思うと、その言葉があまりにも切実に思えた。また苦しくなる。

 今回は大丈夫だったという安堵と、もはや次はないだろうという焦燥の両方が、私の胸を苛んだ。


「ありがとう。……私も、るーちゃんのこと、好きだよ」


 流愛の綺麗な髪を少しとって、撫でる。手入れの行き届いた、長い髪。流愛のほかには誰も持っていない、特別なもの。後ろを歩いているときから、触れてみたくて仕方なかった。

 一瞬、流愛は目を見開くと、飛びつくように私を抱きしめた。


「とこ、私も好き。大好き。ずっと一緒だよ。とこのためなら死んでもいいから。……だからずっと好きなままでいてね。嫌いにならないでね。離れないでね。大好き。大好きだから……」

「……うん。私も。大好き」


 ゆるく、流愛の背中に手を回す。

 体をぎりぎりと締めつける腕が、苦しかった。 

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