友だちの「ち」
国木田椢
第1話 「とこ、迎えにきたよ」
先生がホームルームの終わりを告げると、教室は一気に騒がしくなる。
まっすぐに外に向かう生徒は少ない。まずはそれぞれが友だちのグループのほうに向かい、ひとかたまりになってから帰り始めるのだ。
賑やかに帰り支度をする生徒たちの中、今日こそ一緒に帰ろうと急かすクラスメイトにどっちつかずな返事をしながら、私はしばらく座ったままでいた。
やがて足音がひとつ、教室に近づく。後ろのドアから
「とこ、迎えにきたよ」
息を弾ませ、笑みを浮かべながら、足早に私の席までやってくる。初等部のころからのトレードマークである長い髪が、足取りに合わせてせわしく揺れていた。
朗らかに笑う流愛に、みんなは苦笑いで顔を見あわせる。
「えー。
「ごめんね。一緒に帰るのは、また今度にしよ」
呆れたように言うみんなに謝ってから、私は席を立つ。
「帰ろっか、るーちゃん」
流愛に呼びかけて、隣に並ぶ。彼女は自然に私の手をとった。それをゆるく握りかえしながら、彼女の後について、教室を出る。
「嘘だよね?」
後ろ手にドアを閉めてすぐ、私の肩に両手をおいて、流愛は言った。こわばった声。朗らかな笑みは消えていた。
「……なにが」
「今度一緒に帰ろうっていうの。嘘だよね? そんなこと、しないよね?」
「うん。るーちゃんが、一緒に帰りたいんでしょ?」
「当たり前でしょ」
唇をとがらせて、流愛はふたたび私の手をとった。今度は指をからませるように、痛いほど強く。こうなればもう、私は手に力をいれることもできなくなってしまう。
「とこが私を置いてくはずないもんね。絶対待っててよ?」
「うん。大丈夫だよ。友だちでしょう?」
そう言うと、流愛はようやく口元をゆるめた。よかった。ちゃんと慰められたみたい。きっと、今日も大丈夫だろう。
「でも、そんなこと言って、部活の日は待っててくれないんでしょ。ひどい……」
「仕方ないよ。私も、できたら迎えにきてほしいくらいなんだけど」
拗ねたような口調だけれど、冗談めかしているのがわかるので、私はなおさら安心する。うちの学校は宗教教育が熱心で、その影響なのか、文化部の活動が盛んだ。私の所属する吹奏楽部も、下校時刻ぎりぎりまで練習がある。帰宅部の流愛は、それでも一緒に帰ろうと学校で待っていようとしてくれたけれど、部活動以外では、最終下校時刻まで残れなかったらしい。
だから、私と流愛が一緒に帰れるのは、部活が休みの水曜日と金曜日だけだった。
「練習もいいけど、友だちのことも忘れないでよ? とこってちょっと冷たいから、心配なんだけど」
「えー、そう? 私、けっこう優しい子じゃない?」
「本当かな~」
軽口を言い合いながら、私は内心に不吉なものが忍び寄るのを感じていた。流愛はどこまで本気で言っているのだろう。本当は、本当に不安なのを押し隠して、冗談めかして伝えようとしているのかもしれない。本当は、私が部活動に出ることをよく思っていないのかもしれない。だから、わざわざこんなに言うのかも――そんなことを考えていると、だんだんと頭が白くなってくる。
流愛の顔に目を向ける。長身の彼女と向かい合うと、自然と少し見上げる形になる。長いまつげにふちどられた瞳は、わずかにいたずらっぽい光を宿していた。口角を上げて、唇をうすく伸ばしている。普通だ。このままなんの心配もせず、何気ない会話をして、ごく自然に別れればそれでいいのではないかと、そう思ってしまう。
けれど、私は知っていた。彼女の心が酷く壊れやすいこと。それなのに、罅が入ったくらいでは、見ただけではわからないこと。
「……とこ? どうしたの?」
「あ、なんでもない。ちょっと、ぼーっとしてた」
「ほら、疲れてるんじゃないの? やっぱり吹部なんて、大変じゃない?」
「大丈夫、大丈夫。るーちゃんに癒やしてもらってるから」
私の言葉に、流愛はまた笑った。嬉しそう。そう、これでいいのだ。彼女が少しでも安心して過ごせるように、彼女が求める言葉を選ぶ。彼女が喜ぶことを言う。私が流愛にできることなんて、それくらいしかないのだから。
「ねえ。るーちゃん、この前できたカフェ、気になるって言ってたよね。今日、一緒に行ってみない?」
「え、いいの? やった!」
流愛はわかりやすく喜んだ。私も嬉しくなる。
そのカフェは私たちの通学路から、道を何本か逸れたところにあった。学校からは少し遠いけれど、寄り道にはちょうどいい位置だ。校則違反だけれど、誰にバレるものでもないので、気にせずお店まで向かった。
レンガ風の外装が特徴的な、カフェというより喫茶店と呼びたくなるような雰囲気のそのお店は、まだ早い時間なのに意外と混んでいた。それでも二人分の席はあったようで、すぐに中に案内される。
「すごーい。ここ、けっこう話題なんだよ。お店もおしゃれだし、マカロンセットが可愛いんだって」
「ふうん。知らなかった」
言われてみれば、内装もちょっと古風な感じで、確かにこだわりがありそうだった。流愛は意外と、こういう流行に詳しい。
流愛はあらかじめ注文を決めていたようなので、私はメニュー表をとった。色々なケーキにマカロン、アイスや焼き菓子もある。特に興味があったわけではないけれど、実際に目の当たりすると、やはり目移りしてしまう。
しかし、けっこう値が張るな……。その辺りも計算しておかなくては。まあ、これも投資と思うことにしよう。これで向こう数日は、流愛の精神の平穏が得られるはずなのだから。
けっきょく、私はバスクチーズケーキを頼むことにした。流愛に喜んでもらうのが第一だけれど、私が一緒に楽しんでも悪いということはないだろう。
やがて、流愛の注文したマカロンセットが運ばれてきた。
「わ~、可愛い!」
なるほど。確かに、これは可愛い。凝ったデザインの器に、カラフルなマカロンとドライフルーツ、その上にソースがかかっている。流愛はきらきらと目を輝かせて、盛り付けられたマカロンに視線を注いでいた。
あまり待たせてしまったら悪いなと思っていたけれど、私のチーズケーキもすぐに届いた。こちらはごく普通のケーキだけれど、心なしか高級感がただよっているような気がする。これはいい買い物をしてしまったかもしれない。
「いただきま――」
「ああっ、ちょっと、ちょっと待ってよ」
フォークを持ち上げたところで流愛から待ったがかかる。
「あれ、なにかあったかな」
「こういうときって、写真とか撮るでしょう、普通」
そうか。そういえば、話題のお店なのだったか。
そういうことならと、私はケーキの皿を流愛のほうに寄せた。
「え……なに?」
「なにって……並べて撮るんじゃないの?」
「違うよっ!」
流愛はケーキを私のほうに押し返し、スマホのカメラを構える。
「こうやって、両方写るように撮るんだよ」
「そうだったんだ。……どうして?」
「だって、一緒食べる人がいたほうが……嬉しいでしょ?」
「そっか……そうだよね」
正直、そんなこと考えてもみなかった。ひょっとして、こういうところが「ちょっと冷たい」とか言われてるのか……。
流愛が何枚か写真を撮るのを待って、私たちはようやくスイーツにありつけた。チーズケーキはとてもおいしかった。普段食べるものと、なんだか違う感じがする。バスクが入っているからかもしれない。
……バスクってなんなんだろう。
「るーちゃん。これ、すごいおいしい」
「そう? マカロンも最高だよ」
「だから、るーちゃん」
「え?」
私はケーキの最後のひとくちをフォークに刺し、流愛に近づけた。
「はい、あーん」
差し出されたケーキを見つめて、流愛は曖昧な笑みを浮かべた。照れてる。
「ほら、あげるよ? 最後のひとくち。いらないの?」
「いらなく……ないけど」
それでも少しだけ、恥ずかしそうに逡巡してから、流愛は口を開けて、私のフォークを咥えた。
「んふ、おいしい」
「よかった」
可愛い。
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