第4話 思い出せない記憶

―――――夢を見ていた。


どこかのカフェのテーブル。

コーヒーの香り。

目の前には、誰かが座っている。


「千沙」


名前を呼ばれる。

その声は、優しくて、あたたかくて——でも、誰のものかわからない。


夢の中の私は、笑っていた。

だけど、目が覚めたとき、その理由を思い出せなかった。


(今の夢は…なんだったんだろう)


私はベッドから体を起こすと、包丁が、トン、トン、となにか料理をしているような音を放っている。私が、リビングに行くと、私に気づいた男性は、


「あ、おはよう!今日はカフェに行くよ!千沙が大好きで二人でほぼ毎日通ってたところ!」


「わかりました」


「で、もう少しで朝ご飯できるよ!」


「ありがとうございます」


「もーそんなに他人行儀にならなくていいのに」


そんなことを言われたって、他人は他人だ。他人が他人に他人行儀になるのは当たり前だ。


カフェに行くのなら、少しおしゃれをした方がいいというのはわかっているのだが、私はまだ服を買っていない。千沙さんのを使うことになるにしても、それは彼の思い通りになってしまう。それだけは避けたい。


「ご飯できたよ〜」


彼がそう言うので、私達はテーブルについた。



私は、彼の車に乗せられ、カフェに向かった。


「いらっしゃいませ〜。2名様でよろしいですか?カウンター席とテラス席いかがなさいますか?」


「テラス席で!」


「かしこまりました。2名様ご来店でーす!」


私達は店員に誘導され、外のテラス席に座った。


「ご注文お決まりになりましたら、こちらのボタンを押していただけますと幸いです。失礼いたします。」


店員さんは、一言そう言うと、店の中に戻っていった。


「僕、コーヒー頼もうかな。千沙は?」


メニューを見ると、なぜか見覚えのあるものばかりだった。しかも、このカフェ自体にも身に覚えがある。


(…なんで?)


なぜか、私の目は、「ハムエッグチーズサンド」に釘付けだった。


「ハムエッグチーズサンド…で。」


私は咄嗟にその名前を口に出していた。


「やっぱり、ここにきたら必ず千沙はハムエッグだよね。飲み物はやっぱり、アイスココア?」


私は目をまんまるくして驚いてしまった。彼も微笑み、「図星だった?(笑)」と言う。


だが私が何も言わないので、彼は少し寂しげな顔をする。


私は、ハムエッグチーズサンドとアイスココアを頼み、彼はコーヒーとチーズケーキを頼む。


(なんだろう…この既視感…)


店員さんをボタンで呼び、注文する。



しばらくして商品が届き、彼はコーヒーを一口飲む。


この、コーヒーのいい匂い。この匂いもどこかで嗅いだことのある匂いだ。


「千沙」


彼が名前を呼ぶ。千沙は、私の名前ではないはずなのに、なぜかその名前が私の存在を示しているかのように感じた。


私は自然と笑みが溢れた。でも、今の私にその笑みの理由はない。


その理由もない、もしかしたら作っているかもしれない笑顔に彼は満面の笑みを浮かべる。私には彼の幸せが垣間見えた。


私はこの、自分の中での謎を解くべく、あたりを見渡す。


ショーケースの中に入ったスイーツたち、匂いが入り混じっているのになぜか不快感が感じられないBGMのように溶け込んだ飲み物の匂い。


なぜだろう。どことなく懐かしい。そして、ここをなんか知っているような気がする。でも、何も思い出せない。


思い出せそうなのに全てに霧が晴れかけてはまた遠ざかっていって…。


そんなもどかしさに、思い出せないのに知っている気がしている私に苛立ちを覚える。


私がぼーっとしていると、彼は、「どうした?」と声をかけてきた。


「いえ、なんでもないです」


私はそう冷たくあしらう。そういえば、彼の名前を一度も聞いていない。一緒に住んでるのに、今こうやってカフェに二人できているのに、私の好物を知ってくれているのに、そんなこの世には一生現れないような人の名前を知らない。


私は、勇気を出して聞いてみる。


「あの、あなたのお名前は?」


彼は、突然のことに驚いたのか、少し戸惑っていた。だが、彼は答えた。


相澤怜司あいざわれいじだよ。」


相澤…あの表札の左側に書いてあった相澤は、この人の名前だったんだ。

ということは、藤宮は、千沙さんのものなのかな。


私は相澤さんに、「千沙」と呼ばれているから、私は藤宮千沙ということになるのかな…?でも本当に?どうして私はこうも自分の名前に対して断言できないんだろう。


でもまあ、そう呼ばれているからそうなんだろう…。

でも、”藤宮千沙”って本当に私?名前を聞いても懐かしさも安心感もない。

ただ、そういうだけみたいな…

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