第20話 カフェの告白

 映画館を出ると、午後の日差しが街を眩しく照りつけていた。


「鉄太さんたちはまだ戻っていないようだ」


 暁臣が懐中時計を取り出し、時間を確認する。


「きっと、また鉄太さんが余計なことをしたのね」


 椿が肩をすくめて、ため息をつくと、暁臣は通りの角にある喫茶店を指さした。


「俺たちもカフェでお茶でもしよう。そろそろ喉も乾いたろう」


 ガラス扉にはレトロなマーガレットの絵と共に「カフェ・まがれいと」と書かれている。


 (カフェ……かあ)


 椿はごくりと喉を鳴らした。


 そう言えばお腹もすいているし喉も乾いている。


 きっと鉄太と恵もどこかでお昼を食べているに違いない。


「ええ、いいですわよ」


「では決まりだ」


 二人はドアベルを軽やかに鳴らし、カフェの中へと入った。


 店内には緩やかなジャズがかかり、珈琲の香りで満たされていた。

 

 窓には花模様のステンドグラスがきらめき、テーブルには淡い花柄のクロス。


 銀座のざわめきが遠くに霞み、ここだけがまるで異国のように静かだった。


 二人が窓際の席に腰を下ろすと、白いエプロンをつけた若い女給が軽やかにやって来た。


「コーヒーをお願いします。椿さんは?」


「では、私も同じものでお願いします」


 二人が注文を済ませると、ほどなくして注文したコーヒーが運ばれてきた。


 椿は両手でそっとカップを包み、立ちのぼるコーヒーの香りを嗅いだ。


「いい匂い」


 令和にいた頃は、父も母もコーヒーを飲んでいたし、凛音自身もたまにインスタントのコーヒーを飲んだことはあった。


 けれど、こちらへ来てからコーヒーの香りを嗅ぐのは久しぶりで、何だか懐かしい気分になった。


「飲んでみたら?」


「え、ええ」


 暁臣に勧められ、椿はコーヒーを飲んでみた。


 ミルクを入れずに飲むのは苦手なはずだったが、目の前のコーヒーは豆にこだわっているからか、適度な酸味とコクがあり飲みやすかった。


「美味しい」


「それは良かった」


 暁臣がふっと微笑む。

 

 切れ長の目のせいか、いつもどこか冷たそうに見える暁臣。


 だが、不意に見せる笑顔が思いのほか優しくて、椿は思わず目を逸らした。


 (嫌だわ、私ったら。いくらイケメンだからって、暁臣さんは恵お姉様の運命の人なのよ。こんなことでドキドキしてどうするの)


 椿はコーヒーをごくりと飲むと、一息つき、心を落ち着けるようにしてから言った。


「ところであの映画、楽しかったですわね。暁臣さんは、普段からああいった映画をよくご覧になられるのですか?」


 暁臣はカップを唇に運び、微笑んだ。


「そうだな。俺は普段は妖魔と戦ってばかりいるから、戦いだとか妖怪変化だとか、そういったものより――ああいう恋愛映画のほうが、心が休まる気がする」


 その言葉に、椿は思わず目を瞬いた。


 真面目で堅物そうに見える暁臣がそんな感情を口にするとは思ってもみなかったからだ。


「そうなのですね」


 暁臣はしばらく黙っていたが、やがて決意したように顔を上げた。


「また……今日みたいに映画を見に行かないか。今度は二人で」


 そう言いながら、彼は椿の目をじっと見つめた。


 暁臣の瞳は熱を帯び、彼の想いがそのまま伝わってくるようだ。

 

 しかし――その真剣な眼差しが、かえって椿の胸を締めつけた。


 椿は思わず視線を逸らしてしまった。


「椿さん?」


 暁臣が驚いたように名を呼ぶ。


 椿は唇をかみ、うつむいたまま震える声で言った。


「あの……申し訳ありませんが……貴方との婚約、破棄させてもらえませんか?」


 がばりと頭を下げる椿。


 暁臣は呆然としたまま、しばらく言葉を失っていた。


 コポコポとコーヒーを淹れる音が店内に響く。


 やがて、暁臣は低い声で問い返した。


「それは一体どうして。他に好いている人でもいるのか?」


「いえ、そうではありませんが……その、前にも言った通り、私は職業婦人を目指しているので、結婚はしたくありませんの」


 俯いたままの椿の声は、かすかに震えていた。


 けれど暁臣の瞳は、まだ納得していない。


「そのことに関してなら、構わないと言ったはずだ」


「そうですが……」

 

 静けさの中で、椿はごくりと唾を飲み込む。何と言えば暁臣は納得してくれるのだろう。


 (この際、包み隠さず話すべきかもしれないわね)


 椿は観念したように吸い込むと、まっ直ぐに暁臣の目を見て伝えた。


「私は――実は黒百合椿ではないのです」


 椿が思い切って告げると、暁臣のカップを持つ手が止まり、切れ長の瞳が大きく見開かれる。


「どういうことだい。まさか、そっくりさんだとか、影武者だというわけではあるまい」


「いえ、そうではなく……私は、頭を打った拍子に別の魂と入れ替わってしまったのです。百年以上先の未来から来た――黒百合家の子孫と」


「なんだって?」


 椿は深く息を吐き、カップを両手で包みながら、これまでの出来事を一つひとつ語り始めた。


 自分は本当は凛音という名前で未来に生まれたこと。


 博物館を見に行った際に地震で鏡が倒れてきたこと。


 そして気が付いたらこの時代にいて「椿」と呼ばれ自分が黒百合椿と入れ替わったのだと気づいたこと。


 自らの破滅を回避し、姉の恵を幸せにしようと決意したこと――。


 椿が懸命に説明をしている間、暁臣はただ黙って彼女を見つめていた。


 椿は続けた。


「信じられないと思われるかもしれませんが、全部本当のことなんです」

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