第3話 救いようのないチキン

 例が如く、小柳の部屋に着いた私たちは、緊張の中、背中ににじむ汗をエアコンの風で冷やしていた。

 太陽を憎み、エアコンをこよなく愛す。夏の間は、これが私の座右の銘だ。異論は仕方ないから認める。世の中にはいろんな人がいるからね。


「めぐちゃん……約束、覚えてますよね?」


 小柳にしてははっきりした物言い。そんなに私に命令したいのだろうか?


「うん、覚えてるよ」

「じゃ、じゃあ……お互いに、発表、しましょうか……」


 おもむろに鞄から結果表を取り出すと、小柳はそれをローテーブルの上に置く。見えるのは裏面だ。私もそれにならった。

 ひっくり返したとき、そこに記載された三桁の数字の大小で、私か小柳のどちらかが命令権を手にする。


「せーので、めくりましょう……」

「あいあいさー」

「で、では、せーのっ───!」


 ばっ、と勢いよく裏返し、お互いの数字を食い入るように見る。その間は沈黙が走り、一瞬の緊張がその場を支配した。


「や……やりましたぁっ……!」


 先に声をあげたのは小柳だ。歓喜である。


「ぐわあぁっ……!!」


 次に私。惨敗である。顔に手を当てて後ろに倒れ込んだ。


「まーた負けたぁ……!!」


 悔しい! 悔しすぎるぅっ!!!!


「今回は……うわっ、十点差」


 もちろん小柳は満点である。何回見ても完璧な点数だ。前回が九点差だったから、むしろ遠ざかってやがる。

 もうここまで来ると、悔しいを通り越して清々しくなるような……。いや、そんなことではダメだっ! 次こそ必ず勝ってやるからなぁ!! ひーんっ!!(小物感)


「まったく、何をどうしたら全教科満点だなんて離れ業を……って、小柳? どうしたの?」


 小柳の非人間っぷりにじゃっかん引きつつも、お前がNo.1だ……なんてどっかの戦闘民族が言ってそうなことを考えていると、小柳がうずくまってプルプル震えているではないか。

 これはきっとあれだ。勝利が嬉しすぎるあまり、肘とかをどっかにぶつけてしまったんだろう。わかるよ小柳、あれ地味に痛いよね。

 慈しみ愛する気持ちで小柳に近づき、私はそっと肩に手をおく。大丈夫、もう痛くないよって伝えてあげるために。慰めてあげるために。


「小柳、痛いの痛いのとんでいけー……ってうわぁっ!?」


 小柳の肘に触れ、よく聞くフレーズを私が口にした瞬間、弾かれるように小柳が跳び上がった。そのまま私はバランスを崩し、床に倒れ込む。

 あっぶね。カーペットがなかったら硬いフローリングとごっつんこして、たんこぶが出来上がっちゃうところだった。

 にしても、小柳のやつめ。心配してあげたのになんてひどい子なのかしらっ! 私、あなたをそんな風に育てた覚えはありませんことよっ!!


「小柳? 痛いのはわかるけど、人に当たっちゃうのはダメなことなんだよ……」

「ふーっ……! ふーっ……!」

「小柳聞いてる?」


 せっかく私が説教をしているというのに、小柳はいつの間にかマウントをとり、私を見下ろしている。話ちゃんと聞いてる?

 息が荒くなってる様子を、少し不審に思いつつも、よく考えたら小柳の挙動が不審だなんて日常であることを思い出す。

 でもやっぱりいつもとは少し違うような……?

 ─────はっ。もしかして、骨が折れているのかっ!?

 それは大変だ! 小柳の美しい体に傷だなんて……国宝の損壊レベルだぞっ。


「小柳、病院に行こう! こういうときは早いほうがい……んむぅっ!?」


 ……あれ? 私いま、なにされてるんだ?

 なんか、唇に柔らかくて、あったかくて、気持ちいいものが当たっているような気がするんだけど、これってなに?

 それに小柳の顔がすっごく近い。甘い吐息が頬をくすぐって、心臓が毎秒爆発してるみたいにドキドキする。


「ぷはっ。……ごめんなさい、めぐちゃん。我慢……できなくて」

「……? ふあぇ……?」


 小柳が私から離れると、なにかを言いながら私の頭を撫でている。酸欠状態のようぬふわふわした私の頭では、小柳の言っていることはおろか、現状すら理解できない。

 でも、それはそれでいいような気がしてきた。小柳に頭を撫でられると、ひどく安心して、全てを委ねたくなる。そのまま蕩けてしまいたい。

 そんな気持ちで小柳を見つめると、まるで聖母のような笑顔を浮かべて、私を優しく抱き止めてくれた。

 ふわっと薫る良い匂いが鼻腔を支配して、脳にダイレクトで刺激を与えてくる。

 そうして、私の意識は深く、深く堕ちていった──────


♯︎♯︎♯︎


「────っは!?」


 目を覚ますと、知らない天井が目の前にあった……いや、見覚えがあるな。小柳の部屋の天井だ!

 あれ、なんで私は小柳の部屋で寝てるんだ? たしか、期末テストの結果を見せあってて、私が負けて……それ以降の記憶がないんですがこれいかに。


「……って! 私なにゆえ裸!?」


 さっきからなんか寒いしシーツの感触が直に伝わってくるしで変だと思ってたよ!? でもなんで!? ほわっつ!?


「しかも体の至るところに……なにこれ噛み跡……? ホラー映画かな?」


 私は、いま、混乱中だ!

 どうすればいいのか、現状がなんなのかわからず、ベッドの上でわたわたしていると、隣からモゾモゾと音がした。


「小柳……?」


 おそるおそる視線を向けると、幸せそうな寝顔の小柳が、私の隣で眠っておられるではあ~りませんか。

 でもさ、言いたいことがまあいろいろあるんだ。どうして私が裸なのかとかね。だが、先陣をきらすのはこいつだぜ!

 おれのターン! ドロー!!


「なんで小柳も裸なんだよぉ!!!!」

「わひゃぁっ!?」


 キーンとなりそうな叫び声がこだまする。あまりの大きさに、眠っていたはずの小柳が、陸に打ち上げられた魚のごとく跳ね上がった。


「なっ、なんれしゅかめぎゅちゃん!?」

「呂律回ってないの可愛いねぇ……じゃねぇ!!」

「ひゃいっ!?」


 私は、寝起きで頭が回ってないであろう小柳の肩をがっしりと掴む。現状を理解できていない様子であるが、むしろそれは私が知りたいくらいである。

 感情のままに小柳をがくがく揺らして問い詰めたいところではあるのだが、それでは話が進まなさそうだ。私はデキる女。こういうときこそ冷静に、である。


「とりあえず服着て、んで顔洗って。そっから話し合おう」

「ひゅ、ふゅい……?」


 よくわからないままに、ぷるぷると震える小柳ちゃん。あぁ……まあ、怒鳴るみたいにしちゃったもんね。大丈夫だよ、怒ってないですからねー♡

 んー……でも、なんでかな。いつもより可愛く見える気がする。特にその瑞々しそうな唇とか……───っは!? 私はいまいったい何を考えていた……!?

 どうやら私も顔を洗う必要がありそうだ。それも入念にな!


「──というわけで、目は覚めたかな? 小柳ぃ……?」

「あっ……えっと、ひゃい」


 かくして、服を着て顔を洗った私たちは、部屋のローテーブルにて向かい合っているわけなのだが。顔を洗って冷静になると、逆に怒りがこみ上げてきているような。

 小柳……さっきは怒っていないといったな。あれは嘘だ。

 あれ? 言ってない? そいつはすまんね。


「まあ、事情をね? 説明してほしい訳なんですわ」


 にっこりと、なるべく優しく見えるように微笑みかけたのだが、小柳は余計に縮こまってしまった。

 逆効果なう。

 あんれぇ?


「ダイジョブダヨ、オコッテナイヨ」

「か、片言が怖いです……」

「……」


 にこっ。


「ひゅえっ」


 とまあ、冗談はここまでにして。ちゃんと本題に入ろう。どうしていまこうなっているのかを、ちゃんと説明していただかないと。


「あの……ですね。勝ったら、なんでもしてくれるって……」

「言ったね」

「だから……その、そういうコト、したいなって……」

「事後!?」


 ダブルミーニング。


「つ、つまりぃ……? え……えっちなこと、しちゃったって、コト……?」

「はい」

「なんでそこだけ淀みないんだよ!!」


 え。てかじゃあなんですかね。私の体にある噛み跡とかも、その……行為で、小柳に付けられたものってことに、なるんだけど……。

 私はだんだんと熱くなっていく顔から意識をそらすように、キッと小柳を睨みつけた。


「めぐちゃんって、思ったより純情なんですね」

「はっ!?」


 私の睨みをどう受け取ったのか知らないけど、小柳がなんだか邪悪な笑みでこちらに近づいてくる。

 っていうか、なんか……いつもより流暢じゃない!? 普段はもっと、おどおどしてたじゃん!! さっきまで私が優位だったじゃん!!

 ゆらゆらと、ゆっくりゆっくりとした動きで、しかし確実に追いつめられている。私も後ろに下がっていくものの、もちろん狭い部屋に逃げ場などなく……。

 もう小柳が物理的に目と鼻の先にまで迫っている。私が少しでも動けば、唇がくっついちゃうような距離だ。


「捕まえました。責任……とって貰いますよ?」

「私のセリフなんだが!?」


 頬に手を添えられ、やけに甘ったるい声音で囁かれて、私の心臓はエクスプロージョン寸前。いまにも限界を迎えてしまいそうだ。

 そんな中でも、負けじと食らいつく。たぶん、チワワに吠えられてるとしか思われてない……。だって、小柳明らかに余裕あるもん。なんかアダルティックなんだもん!!

 くっそぉ、小柳の癖にぃ。


「そっ……そもそも! なんで私と、そのっ……えっちなことを……!?」


 なんとか距離をとるために、話題をそらしつつ、小柳の肩を押し退ける……つもりだったんだけど、その企みは小柳に阻止された。

 私の手首にしゅるりと小柳の手が蛇のように巻き付き、いとも容易くたしなめられる。そのまま指同士が密接に絡み合って、恋人繋ぎが完成してしまった。

 しっ、刺激が強すぎりゅっ……! 冷や汗が止まんねぇ……!?


「そんなの、めぐちゃんのことが大好きだからに決まってるじゃないですか……」

「ひゅっ」


 耳もとは卑怯じゃないかなぁ!? なんか良い香りもするしさあ!

 いまだけは小柄な小柳が大型の肉食獣に見えちゃう。なお私。

 きゃんきゃん! くぅ~ん……。

 とか内心でふざけ倒しても、現実は良い方向になんて1ミリも倒れやしない。むしろ、私はどんどん追いつめられている。


「始まりを言ったら、めぐちゃんが提案したことですよね? "勝ったほうの言うことを聞く"……って」

「それはっ……そう、なんだけど!」

「それに、"ずっと一緒にいる"って。あれももはや告白ですよね?」

「悪意ある拡大解釈だ!?」


 すぅーって小柳が私の首筋に顔を埋める。いつもなら甘えんぼだなぁ、とか微笑ましく思えたのに、いまはなんかえっちだ!!

 それに、なんか……体が変にびくついちゃうんだけど……!?


「ふふっ……反応しちゃってますね」

「どぅせ、小柳のしぇぃでしょ……!」

「そうですけど、なにか問題でも?」

「大アリなんだよなぁ!! んんっ!」


 言葉で取り繕っても、小柳の言う通り、私の体は正直にも快感を覚えてしまっている。小柳の吐息が首を掠めるだけで、自分から信じがたい声が漏れて、全身からどんどん力が抜けていってしまうのだ。


「例えば、何が問題なんでしょうか?」

「まず……んっ。私たち、は……あっ。付き合って……ないぃっ、から!」


 質問をしておいて、まったく"首吸い"をやめない小柳。いちいち体が過敏に反応してしまうから、一つのことを伝えるだけでも一苦労である。んんっ……!!


「なるほど。確かに、それは早急に片付けるべき大問題ですね」


 迫りくる小柳の魔の手から逃れるため、私は付き合ってないことを盾にしたんだけど、以外にもちゃんと効果があった。

 あれ、でもそれって、小柳が本気で、真剣に私を好きってことにもなるんじゃ。そういえばさっきも私のことが大好きって……。やばい、そう考えるとめちゃんこドキドキしてきた……!

 しっ、心臓くん! もう少し落ち着いてくれないか!?


「では、めぐちゃん。私と、付き合っていただけますか?」

「え、なんでこの流れでいけると思うの?」


 だからと言ってOKにはならないよ?


「ちょっ!? 首吸い再開すなぁ!」

「ならどうしてダメなのか説明を求めます」


 キリッと無駄に良い顔で見つめられる。うっ……真剣な眼差しを向けられると、なんか妙に顔が熱くなっちゃう……!

 ええい! 気をしっかり持て私。ちゃんと答えないと襲われかねないんだぞ。


「さあ! はやくしてください」

「せ、急かさんといて!」


 おっと、口が滑った。

 というか何がダメだったんだって聞かれても、何も思い浮かばない!

 せいぜい小柳がいつもより可愛くてかっこいいってことくらいしか……ってアホか私!!

 それじゃあ私が小柳のことを好きみたいじゃ────────……あれ?

 もしかして私って……小柳のことが好きなの……か?


「──────っ」


 あっ……やばい。そうかもって思っただけで緊張がレベチになった。

 心臓とかばっくんばっくん言ってるし……聞かれてない? これ大丈夫?

 手汗もやっばい。汗っかきとか思われてないかな!? 私は不潔じゃないよ!?

 ……って、ん? なんか、手に違和感……が。


「……?」


 ……あ。

 手に意識が向いたことで、ようやく気づいた。

 小柳の手、震えてる。


「……」


 きっと、すごく緊張してるんだろうな。怖がってもいるのかな。そうだよね、私さっきまで結構ひどいこと言ってたし。

 それに、本当の本当にお遊びなんかじゃなくて、真剣に私のこと、好きでいてくれてるんだ。嬉しいな、あったかいな。

 それがわかると、胸が愛おしさでぎゅぅってなって。小柳への想いで満たされていく感じがした。それは苦しいどころか、とっても心地の良い感覚で。

 たぶん、これが恋って感覚なんだろうなぁ……。

 そっか、私と小柳って両想いなのか。うん、やっぱりすごく嬉しい。

 じゃあ、勇気を出してくれた小柳の気持ちにちゃんと応えないと……!

 言うんだ私! 私も小柳が好きだって! 付き合ってくださいって、ちゃんと言うんだ、私───────……






「……────勝負しよう小柳!!」


 私はチキった。

 ごめぇえええん!!

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