第7話
彼が全体的にしなやかな体つきなのは知っていた。でも、思っていた以上に肩回りに筋肉があって、姿勢がいいのも相まって肩幅が広く見える。Tシャツだから胸元は隠れているけれど、引き締まった胸筋があるのは嫌でもわかった。女性が羨ましがりそうなほど色白なのに、薄皮一枚隔てた中にあるのは鍛え抜かれた男のダンサーの体。そのおかげで、黄色のワンピースは見事に歪んでしまっている。
僕の口から、思わず本音が零れた。
「それなら、何も着ない方が綺麗だろ」
「ん? 何か言った?」
「あー……。上はなんか上着でも羽織るとか」
「そうだね、ローブとかボリュームのあるコートとかでもいいし……」
僕は何を言ったんだ。二条には聞こえていなかったのが幸いだった。変なことを口にしたのがお前じゃなくてよかったよ、オズワルド。お前だったら、それなりの値段がするマイクに全部声が拾われてるだろうから。
僕の目の前で二条はずるりとワンピースを脱ぐと、今度はこっちにそれを差し出した。誰も居ないワンピースが、二条の腕の中でくったりと寝込んでいる。
「え?」
「ほら、君も着てみてよ。似合う方が女役をやるに越したことはない」
「あ、ああ……うん」
仕方がないから、僕もジャケットを脱いでシャツも脱いでワンピースに袖を通した。ストイックに鍛え上げられた二条を見た後だと、僕の体は随分貧相に思える。
僕だって人前に立つ生活をしていたし、今でも筋トレはやってる。それでも、お前を動かすための筋肉は二条のそれと比べたらちっとも頼りない。細マッチョと言えば聞こえはいいけど、要は細長いんだ、僕は。その証拠に、僕はワンピースをちゃんと着られた。スラックスのおかげで多少腰回りはきついけど、脱いでしまえば布の伸縮でごまかせそうだ。少し開いたままの背中のチャックは、上着で隠せるだろう。
「……一応、入った」
「素晴らしい! 君、意外と華奢だったんだね」
「ああー……。まあ、二条に比べたら」
「ぼくは現役のダンサーだからー……」
そこまで口にして、二条はふと言葉を止めた。こっちとしては、早くワンピースを脱ぎたかったのに。綺麗な顔をした二条は、脱いであったYシャツを軽く羽織ってこっちを向いている。こんな着替え途中みたいなあいつを見るのは初めてで、僕はどこに目をやればいいのかわからない。
二条は教室じゃ飄々とした品行方正な優等生って感じなのに、今ではほんのりと生き物としての色気を漂わせている。例えば、お前、トムソンガゼルのことを想像してみろ。想像だけなら可愛い鹿みたいな草食動物だけど、いざサバンナで鉢合わせたら絶対に怖いだろ。生存と種の繁栄に特化した体の造形、野生で生きる動物の凄みに圧倒されて。今、僕が感じているのはそれに似てる。見てる側に畏怖の念を抱かせる生き物なんだな、バレエダンサーって。すごいよ。ただ生きてるだけでこうなんだから。
「君、ダンスの経験があるよね? ステージに立ったことも」
僕の間抜けな思考を二条が突然切り裂いた。一気に体中の血の気が引く。まるで、二条が杭を持って来て僕を十字架に打ち付けたのかと思うほどに。喉が渇いて仕方ないのに、テーブルに置かれたカップに手が届かない。
「……なんで、それ、知って」
「いや、ぼくは何も知らないよ。一学期の体育のダンスと、今日の昼休みの君を見て確信しただけ」
「……どういうことだよ」
自分が間抜けな格好をしているのを忘れてしまった。きっとお前が見ていたら、とりあえずワンピース脱げよって言っただろうに。僕はそんなこと頭からすっかり抜け落ちて、クローゼットからこっちを向いている悪魔みたいに綺麗な二条のことしか考えられなくなっていた。
「体育教師の目はごまかせても、ぼくの目はごまかせないよ。君、ダンスの授業中明らかに手を抜いてただろ? やる気がないだけなら、もっと適当にやれたはずだ。でも君は、“誰の目にも留まらない程度のダンス”をやってのけた。素人目に気付かれやすいステップの精度は程々に。それなのにリズム感はいいし、重心移動は誰よりスムーズだった。頭のてっぺんからつま先まで意識した“周りの足を引っ張らず目立ちもしない無難なダンス”なんて、未経験者じゃ出来ない芸当だ」
プレゼン大会を思い出す。こいつ、自分が確信してることはペラペラ話すんだよな。美形が真面目な顔でこっちを見て来るとそれだけで怖い。更にこの物言いだから、僕はいつも以上に口籠る。話題が話題だ。冷え切った心臓が体の真ん中でぎゅうと小さくなって、そのくせ激しく脈打っていた。絞り出した声は震えた。
「……それで、今日の昼休みってのは何?」
「君が、クラス全員の前に立ってもちゃんと正面を向いていたから。ああいう場で体を前に開けるのは、それなりに場慣れしている証拠さ。それがただの教室だったとしても、普通は多少身構える。体が無意識に強張る。でも、君は違った」
あの妙な顔でこっちを見ていた時、二条はそんなことを考えていたのか。僕は何を言えばいいのかわからなかった。お前のことは当然誰にも話せない。それに、お前と出会う前の僕が何をしていたのかなんて知られたくもない。そのためにわざわざ実家を出たんだ。僕のことを誰も知らないところまで来たんだ。
今こそ、僕の戸惑いなんか無視しろよ。こんな時に限って、二条は僕が口を開くのをずっと待ってる。着替え途中のだらしない格好をしているくせに、誰もが魅了される天使そっくりな男が。
「……お前に関係ある? それ」
「ないよ、全くない」
僕は一番の不正解を引いたはずだった。もしも今の僕の返事がゲームの選択肢だったら、選んだ後に“Bad”とか出そうな勢いの。それなのに、二条はあっさり答えると開いたままのシャツのボタンを閉じ始める。
「君の大切なことに触れてしまったようで申し訳なかったね。ただ、ぼくは君について知りたかっただけなんだ。許して欲しい」
「知りたいってー……。別に、友達でもないのに」
「うーん。そうか、それならなおさらだよ! 知らないことを知りたいと願うのは、当たり前じゃないか」
気付いたら、二条が僕の目の前に居た。こいつ、本当に天使か悪魔なんじゃないか。生まれながらの主人公は、瞬間移動まで出来るのか? 彼は僕の方に腕を伸ばしてくる。なんでこのタイミングでいきなりハグしてくるんだよ。僕は呆気に取られたまま動けなかった。だけど、柔らかい体温が僕の胸元を掠めた時、二条はまた笑った。妙に気恥ずかしそうな声色で。
「背中のチャックを外すなら、後ろからの方が早いよね」
なんだよ、もうこれ以上驚かせるなよ。二条はハグじゃなくて、僕の着替えを手伝うつもりだったらしい。彼はそそくさと僕の背中に回って、ワンピースのチャックを外し始めた。だけどその刹那、少しだけ二条の白い頬が赤らんでいたのを僕は忘れない。
結局、ベストカップルコンテストでは僕が女役をやることになった。当日の衣装は、二条が選んだ赤いワンピースとざっくりしたニットのカーディガンだ。二条曰く、僕には赤が似合うらしい。僕としては赤より黄色の方が馴染みがあるけど。
衣装をよく見たら、どちらにも聞いたことがあるハイブランドのタグがついていた。こういう時、値段を考えるのはやめよう。お前だって、自分の姿に幾らかかってるかなんて考えたくもないだろ?
僕は二条の家から逃げるようにして帰った。二条が三十三階の窓から僕を見送っていたとは思えないけど、少なくとも、あいつはエレベーターまでは僕を送ってくれた。
狭い狭い自分の部屋に戻った時、二条があの広い家でひとりぼっちで居る姿を想像した。交通の便だけで選ばれた家の中、僕が使ったカップをピカピカのシンクの前に立って洗っているところを。姉のクローゼットから出した洋服を、丁寧に仕舞う姿を。
それって、とてつもなく寂しいんじゃないか?
たとえ、あいつがそういう家族の中で生まれ育ったとしても。いつもバレエと一緒だったとしても。
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