花桃の殯

沙月Q

第1話

 桃はもう終わりだった。


  小昏こぐれ祥子はすっかり花の散り果てた梢を見上げながら、岡野家の玄関に続く敷石を渡った。

 この家から六歳の娘、岡野恵美めぐみが行方不明になって二週間。

 状況から誘拐も考えられるということで、祥子は捜査一課から派遣されていた。


「あ、ご苦労様です。奥さん、お待ちっす」

 玄関のドアを開けて、茶髪の若者が顔を出した。

 生活安全部少年係の秋津刑事。

 去年、昇格したばかりだという青年だ。子供の行方不明案件を扱うには若過ぎるがなにぶん人手不足で、というのが少年係長の弁だった。

 若者相手の仕事なので、馴染みやすいよう特別に茶髪を許してもらっているという変わり種でもある。


「捜査一課の小昏です」

 通された居間で岡野夫人が会釈する。

 その向こうには、大きなひな飾りが出しっぱなしになっていた。

 岡野恵美が消えたのは、ちょうど三月三日のひな祭りの日。夫人はそれ以来、ひな飾りを片付けることなく、娘の帰りを待ちわびていたのだ。

「願掛け、じゃありませんけど…これを片付けてしまうと娘が帰らないような気がして……」

 夫人の細いおとがいから小さな声が漏れる。

 夫と離婚後、女手一つで恵美を育てていたという夫人の顔は、多少やつれて見えたがそれでもある種の品があった。

「娘もこの、ひな人形がたいそう気に入っておりました。とにかく可愛らしいものが大好きな子だったんです」

「お察しします。お辛いところ繰り返しになってしまい恐縮ですが、娘さんがいなくなった時のお話を……」


 一通り、恵美の行方がわからなくなるまでの状況を聞き取り、参考になりそうなものを出してもらう。写真もデジタルだけでなく、プリントしたものが綺麗にアルバムで整理されていた。

 部屋でぬいぐるみと戯れる姿や、テーマパークのキャラクターに抱きつく姿。今年の初詣での着物姿など、確かに夫人の言った通り可愛いものに目がなさそうな様子の恵美でアルバムは埋め尽くされていた。

 何より恵美本人が、お人形さんのようなというよくある褒め言葉の似合う愛らしい少女だった。


 祥子の隣から鼻をすする音がした。

 秋津刑事が袖口で涙をぬぐっている。

「す、すみません……」

 どうも、見かけによらず感情移入能力過多な若者らしい。

「無理もありませんわ。こんな可愛い子が、今頃どこかで親を探して泣いているかと思ったら、刑事さんでもお辛くなって当然でしょう」

 

 微笑む岡野夫人の落ち着きに、祥子は何か違和感を覚えた。

 その表情は、慈愛に満ちた母親の微笑らしいが、何もかもあきらめてしまった人間のたどり着く自棄の表情にも見えたのだ。


 夫人は何をあきらめたのだろう?

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