第2話

第一章「雨の日の出逢い」


長い戦争がようやく終わり、日本は徐々にだか復興に向かっていた。けれど、ここ鎌倉も比較的に影響は少なかったと言えど、町は活気を失っていた。この長谷寺で住職をしている私はどうにか町を復興させたかったが、どうしたものかと思い悩んでいた。


雨がぽつぽつと降る日、私は番傘を差しながら紫陽花の世話をしていた。

この紫陽花たちを私は、戦火の中でも守ってきた愛しい花々。だから、私は何かに迷い、憂いがある時は自然と足が運んだ。私にとってこの庭は心の拠り所、大切な場所だ。


私が紫陽花の世話をしていると、ふと見知らね少女を見かけた。小雨とはいえ、雨が降る中傘も差さずに。


「大丈夫ですか?雨の中傘も差さずに」


私はこれ以上彼女が濡れないよに傘を差し出した。そして、振り向く彼女を見て、私は思わず息を飲んだ。紫色の髪は雨の雫を受けた花のように美しく、その緑色の瞳は若葉のように輝いていた。


「あっ行き成り申し訳ない。ただ、雨が降っているのにどうしたのかと」


「私は、大丈夫です」


「それでも、このままでは風邪を引いてしまいます」


私は新しい手拭いを取り出すと、彼女の濡れた髪を拭いた。


「ふふ、くすぐったいです」


彼女は、微笑みながらそう言った。私も彼女の笑顔を見ると、自然と笑みが溢れた。


「それで、どうして雨の日に」


「ここの花を見に」


「この庭の紫陽花を?」


「それは、嬉しいです。この花たちは、私が丹精込めて育てているのです」


「知っています」


「えっ?」


「こんな綺麗な花、たくさんの人にも見てもらえると良いですね」


すると、海の香りを含んだ微風が吹いた。私はそっちに気を取られていたが、彼女の方に向き直った時、彼女は何処かへ消えてしまった。何だか不思議な出来事だったが、彼女の言葉で私はある考えが浮かんだ。


私は急いで紫陽花の庭を後にすると、市役所に電話を入れて市長に会えるよう取り計らってもらった。それから幾つか電話をかけてから、直ぐに市役所に向かった。


市役所で、しばらく待つと市長室に通された。


「失礼します」


ドアをノックして、市長室に入るとこの町の市長の磯部左門が書類仕事に追われていた。それも仕方がない、今の日本は少しずつ復興に向かっている。人手はいくらあっても足りないのだ。


「いや、申し訳ない海道さん。大変お待たせしました。何分、人手が不足していまして」


「いえ、こちらこそお時間を取っていただきありがとうございます」


「とんでもない。それで、相談と言うのは?」


磯部市長と握手を交わすと、私は早速話を切り出した。


「実は、私共の寺で祭りを開きたいと思いまして、市長にご助力を頂きたく、こうして相談に参ったしだいでして」


「祭りですか?」


磯部市長はどういう事なのかと、首を傾げていた。私は必死で祭りの説明をした。


「はい、私共の寺には美しい紫陽花が咲いております。そこで、花を鑑賞しながら祭りを楽しめれば、町の復興に繋がると思いまして」


しかし、磯部市長の顔色は暗かった。だが、こういう顔をされるのは分かっていた。


「祭りの開催は、素晴らしい考えだと思います。しかし……」


「お金の事を心配されているなら、安心して下さい。私の家が所有していた山を売りました。そのお金で、必要な物を取り揃えれば、何ら問題はありません」


「しかし、海道さん。それは……」


祭りは、お金がかかる。今の鎌倉の経済状況では、祭りを開催する余裕はない。それは分かっていたので、前もって自分が所有している山を売る手筈はしておいた。


「どうしても、町の皆さんの為に祭りを開催したいのです。どうか、お願いします」


私は、頭を下げて磯部市長に懇願した。


「海道さん……分かりました。あなたがそこまで言うなら、協力しましょう」


磯部市長は金策の話を聞いて驚いていたが、最後は協力すると言ってくれた。


「ありがとうございます。市長!」


市長と話してから数日後、町に用事で来ていた私は知人と偶然町中で会った。


「海道さん、寄り合い所の掲示板で見ましたよ!寺で祭りを開くのですね!」


「あぁ、倉持さん。もう、掲示板を見てくれたのですね。そうなのですよ。どうか、皆さんの力を貸してください」


彼の名前は、倉持健人。ここ鎌倉で小さいながらも雑貨店を営んでいる。


「勿論です!この話を知ってから、町の皆も凄くやる気なのですよ!」


「それは、良かった。しかし、ここからが大変です。皆さんの力で、この祭りを成功させましょう」


「はい!」


それからは、忙しい日々だった。毎日、祭りの準備に町の人達と追われていた。皆やる気に満ちて、凄く楽しそうにしていた。


「皆さんのおかげで、祭りの準備は順調です。本当に助かります」


町の大工や料理人といった職人の人達も協力してくれているので、出店や祭りで出す料理も問題なく、着々と祭りの準備は進んでいた。


「いやいや、何を言っているのですか。海道さんが尽力してくれているからですよ。だって、仕事に困っている人達にこうして、役割を与えてくれたのじゃないですか」


倉持と私は祭りの飾り付けをしながら、そんな話をしていた。


「私はただ、町の為に出来る事をしているだけですよ」


「それで、私達は助かっているのですから、感謝してもしきれませんよ」


「今は、大変な時期です。私は皆でこの苦難を乗り越えられればと、思っているだけです」


私は、私を育んでくれたこの町に恩返しがしたかったそれだけたった。


「海道さん…あなたは、優しい人ですね。人が良すぎるぐらい」


「そんな事ありませんよ。私はこう見えて、貪欲です。まだまた、修行が足りてません」


「また、そんな事言って」


そうやって、笑いながら話していると、あっというまに飾り付けを終えた。すると、倉持はそう言えばと彼は何やらある事を思い出したようだ。


「あっそうそう、お祭りの屋台で出そうかと思っているお菓子の試作があるのですって!海道さんにも味見して欲しいそうですよ」


倉持に促され、私は寺の台所に向かった。そこでは、祭りに出す予定の料理の試作を作っていた。焼きそばにイカ焼き、たこ焼きといった祭りの屋台の代名詞の料理が作られていた。


「おぉ、どれも美味しそうですね。おや?これは?」


ただ、一つだけ毛色が違う物があった。それは、鳩の形をしたクッキーだった。


「菓子職人の人が、祭りでも、甘くて食べやすい物を作ってくれたそうです。クッキーなら、飲み物と一緒に食べられますし、売り上げも倍増です」


「今回の祭りは、売り上げなどは関係ないのですがね」


私は、苦笑しながらも天下の台所と言われる大阪にも負けない商売根性に感心した。


「一つ食べてみてくださいよ」


「でわ、一つ」


鳩形のクッキーを一口食べてみて、私は驚いた。


「これは美味しい!この味、絶対に子供達も喜びますね」


そのクッキーを口に入れた瞬間、濃厚なバターの香りと生地の甘さが伝わってきた。


「実は、市長がツテを使って、バターや砂糖を手にいれてくれたみたいですよ」


「そうだったのですね……」


ふと、私はクッキーを見つめながら思った。あの子にも食べさせてあげたいと。


「申し訳ないですが、もう一つ頂いても?」


「それは、大丈夫だと思いますが、そんなに気に入りましたか?」


「えっ?えぇ、まぁ……すみません、少し祭りの準備をお任せしても?」


「はい、構いませんよ?」


「すみません、すぐ戻ります」


私は、クッキーを受け取ると、紫陽花の庭に向かった。


このクッキーを食べた時、あの子にも食べさせてあげたいと思った。どうして、そう思ったのか自分でも分からない。ただ、私はごく自然と紫陽花の庭で彼女の姿を探した。彼女がここに居るかどうか、分かるはずもないのに。


けれど、彼女はここに居てくれた。この紫陽花の庭に。


「やぁ、また会えましたね」


「こんにちわ」


「君は、紫陽花が好きなのですか?」


彼女は、首を傾げながら唸っていた。


「うーん、紫陽花が好きというよりも、ここが好きなのです」


「ここが?」


「はい!」


彼女がそう言ってくれて、私は何だか嬉しくなった。


「そうですか。それは、嬉しいです。あっそうそう、実は近々ここでお祭りを開くのです。それで、屋台で出す予定のお菓子の試作を貰ったのです。良かったら、君も食べてみてください」


「良いのですか?」


「えぇ。どうぞ、召し上がってみてください」


私は、貰ったクッキーを彼女に渡した。彼女の口に合うだろうかと、少し心配していたが、それは杞憂に過ぎなかった。


「いただきます」


クッキーを一口食べると、彼女は目を輝かせた。これは、嬉しい反応だ。


「このお菓子、とっても美味しいです!こんなに美味しい物、初めて食べました」


「気に入ってくれて良かった…そう言えば、まだ名乗っていなかったですね。私は海道、あなたは?」


彼女は、夢中でクッキーを食べていたので、慌ててクッキーを飲み込んだ。


「紫……紫と言います」


その瞬間、心地の良いそよ風が吹いた。


「紫……うん、綺麗な名前ですね。まるで、この庭に咲く紫陽花のようだ」


紫は一瞬、ドキッとしたような顔を浮かべた。


「紫さん、お祭りの日も是非来てください。美味しい物もたくさん出ますし、この庭の紫陽花もたくさんの人に見てもらえますから」


「私も…お祭りに?」


「えぇ、是非」


「はい、分かりました。楽しみにしてますね」

私は、頷くと紫陽花の庭を後にした。自分が思っている以上に、胸が踊っている事に驚きながら。


「頑張ってね。海道さん」

紫は私の背中を見送ると、まるで、空気に溶け込むように姿を消した。

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