16 人知れずこそ思ひそめしか


2時間目の国語の授業。



5年生になり、最近の国語の授業では現代文以外の内容も扱うようになっていた。

今日の題材は百人一首だった。

自分が慣れてしまった現代では、使わないような独特な表現をするので僕は和歌が逆に新鮮に感じて好きだった。


1時間目と引き続き隣には、白木さんがいた。

黒澤さんと席が離れて、2か月ぶりに授業に集中できる気もしたけれど。


「悠君、今先生が話してるのって……」


「えと、ここだよ」


「ありがとうございますっ」


授業中でも、こそこそと白木さんが話しかけてくる。

先生もこれに関しては目をつむっているのか、授業は一定の速度を保って進む。

いくら小さい声で話していても、近くのクラスメイトには聞こえているようで、僕は気が気ではなかった。

白木さんの手助けもしたいし、何なら少しでも話したいという気持ちもあったけど、目立ちたくないという邪念の方が大きい僕は最低だった。


また、授業中であっても白木さんから視線を常に感じる。

昨日とは一転、見られている側に立ちドキドキしっぱなしだった。

彼女に視線をやっても笑顔で目を合わせてくるので、僕が慌てて目を離して。

そんな様子で授業が進んでいった。

なんだ、ちっとも僕とは似ていなかったじゃないか。


ふと窓の外を眺める。

灰色の空はより、黒く変わっていた。

今朝、姉さんとみた天気予報では午後には晴れるとのことだったが、今にも雨が降りそうで……。

傘を持ってきていない自分を恨んだ。



授業も後半に差し掛かり、教科書の中から好きな百人一首を探そうという話になっていた。


白木さんを見ると、顔を教科書に近づけて懸命に読んでいた。

さっきから彼女に気を取られてばかりな僕も、自分のことに集中しようと教科書を読む。


授業でピックアップされて説明があった和歌はもちろん、それ以外にも多くの和歌がページの端から端まで並んでいる。

パッと見た感じではどの歌も、意味が分からなかった。

所々の単語は僕も日常で使うようなものもあり、完全に理解不能という感じではなかったけれど。

昔見ていた教育番組か何かで聞いたことのあるような有名な和歌もあった。

そういう歌は、頭の中で読んでみてすらすらと言えてしっくりきた。


前から順番に流し目で読んでいた。

もうそろ半分に差し掛かろうとした当たりで一つの句が目に留まった。

41番。

別にその句が特別良く感じたわけではなかった。


『恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか』


最初この句を見て、何を思ったわけでもない。

小学生の僕にとってこの句によって作者が何を言いたいのかなど、わかる由もなかった。

ただ、最近考えることが多いという漢字に惹かれた。

この時代の人たちが夢中だった恋とは僕が今しているだろう恋と同じものなのだろうかと。


作者名を見ると、壬生忠見という人がこの句を歌ったらしい。

僕の短い人生でこの人の名前を見たことなんてなかったし、失礼だとは思ったけど、るびを読まないと読み方まではわからなかったのであまり頭に入ってこない名前だった。


注釈を見ると、現代語訳が書かれてあった。

どうせなら、こんな時にしか和歌になんて触れないだろうからと、目を通す。


そこまで、深い意味のない、他愛のない作者の考えがそこには書かれていた。

けれど、どこか他人事ではないようで、僕にはそれが気になって仕方がなかった。


「悠君、悠君は何か決めましたか?」


いつの間にか教科書から顔を離していた白木さんが、僕の名を呼び尋ねてくる。

僕が集中している間に、クラスは授業中にもかかわらず賑やかになっていた。

おそらく、どの和歌が好きだとか、はたまたそれに紛れて授業に関係のない話をクラス中で繰り広げていた。

先生も何も言わないし、そういう雰囲気なのだろう。

僕は授業中のこういう雰囲気が好きだった。

特に誰か友達とおしゃべりできるからということではないけど、授業中にもかかわらず気を緩められる背徳感からそう感じていた。


白木さんとの会話に意識を戻す。

特にピンとくるものがなかったけれど、聞かれたらと今読んでいた和歌を指さした。


「これかな」


白木さんはわざわざ自分の教科書ではなく僕の教科書をのぞき込む。

突然の接近に所々体が当たっていて驚いたけれど、いい香りがするという感想しか出てこなかった。本当に。


白木さんはしばらくそのまま動かずにそれを読んでいた。

注釈もまとめて読んでいるのだろう。

それにしても集中しているようだった。


白木さんは元の姿勢に戻り、目をつむって何かを考えていた。

そのまましばらくして、僕の目を見て言った。


「私はその歌、好きじゃないです」


特に、僕が彼女の感想に思う所なんてなかった。

ただ、そうなんだ、というだけ。





僕はずいぶん後に、思うことになる。

この歌に、黒澤さんの隣で出会うべきだったなと。

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