Academic of Nexnavi-5

 三月の最終日、佐藤千詠子は再び、代官山の高層マンションへと足を運んだ。

 暖かな日差しが差し込む、都心を見下ろす18階の、神宮司のプライベートオフィスは、春の訪れを感じさせる、穏やかな空気に包まれていた。

 無事に、二ヶ月半の研修期間を終えた彼女は、Academic of Nexnaviの講師として、いよいよ新年度から本格的に、教壇に立つことになる。


 神宮司は、そんな彼女を労うように、穏やかな口調で研修の終了を告げた。

 「佐藤さん、研修期間お疲れ様でした。未経験からのスタートでしたが、熱心に研修に取り組んでいただき、感謝しています。おかげさまで、新年度から素晴らしいスタートを切ることができそうです」

 その言葉に、千詠子は安堵の表情を浮かべた。

 「こちらこそ、貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。微力ながら、生徒たちの成長に貢献できるよう、精一杯努めさせていただきます」


 新人研修は、品川区北大崎にある、Academic of Nexnaviの個別授業用に用意された、コワーキングスペースの施設で行われた。

 一般的な教科指導のノウハウはもちろんのこと、生徒とのコミュニケーションの取り方、学習意欲を引き出すための動機付け、保護者との連携など、多岐にわたる内容が網羅されていた。

 施設内における注意事項や、災害発生などにおける、緊急時マニュアルといった、安全管理に関する徹底した指導も行われた。

 また、それらと同時並行で、一人一台支給されるPC端末とタブレットの操作や、各アプリケーションと業務ソフトの使い方まで、幅広い内容となった。


 今日の千詠子は、白のブラウスに膝丈のベージュのフレアスカートという、清潔感のある装いだった。

 三度目となる神宮司との面談ということもあり、千詠子は落ち着いた面持ちだが、そのスタイルからも、シンプルで上品な印象を与える。

 彼女の研修を担当した者の報告には、生徒に親近感を与えるため、かなり地味な印象が強い服装で臨んでいた———という内容が上がっていた。

 しかし、今日の服装からは、そうした地味さなどといった印象から離れ、本来の秘書として持ち具えていた、オフィシャルな彼女自身が、前面に現れていると感じられた。

 それは、素材の良さからくるスカートの柔らかなドレープが、彼女のしなやかなボディラインを、隠しきれていないことからもよく分かる。

 控えめな服装でありながら、その美しさは、否応なしに男性の視線を惹きつける。


 神宮司は、相変わらずグレーのワイシャツにノータイ、黒のスラックスというラフなスタイルだ。

 しかし、その視線は、千詠子の服装だけでなく、その表情や佇まい、そして所作の一つ一つを冷静に観察していた。

 これまでにも、女性講師と男子生徒の間で、多少のトラブルがあったのは事実だ。

 思春期の少年少女が相手だけに、それはある程度、致し方ない事だと神宮司は考えている。

 若さ故の過ちは、決して人生を狂わせるものではなく、むしろその痛みや経験を通して、人間的に成長する糧となる可能性も秘めている。

 だが、千詠子の持つ美しさは、どこか危うさを孕んでいるような気がしていた。

 知性と落ち着き、大人の女性としての色香が、絶妙なバランスで保たれているが故に、思春期の少年たちにとっては、刺激が強すぎるのではないか……。

 そんな漠然とした不安が、神宮司の胸をよぎった。

 もちろん、それは単なる杞憂に終わるかもしれない。

 だが、万が一の事態に備え、神宮司は注意深く千詠子の様子を観察していた。


 そして、神宮司はモニターに、新年度から千詠子が担当する生徒たちの情報を映し出した。

 「まず、最初にご紹介するのは、松下知貴くんです。小学六年生で、中学受験を控えています。得意科目は算数と理科ですが、国語が少し苦手です」

 神宮司は、々と生徒のプロフィールを読み上げていく。

 その視線は、時折、千詠子へと向けられ、彼女の反応を確かめていた。

 次に映し出されたのは、芝山伸一郎という生徒の情報だった。

 「芝山くんは、中学三年生。高校受験を控えています。少しばかり、コミュニケーションが苦手なところがありますが、非常に真面目な生徒です。絵を描くことが好きで、感受性も豊かです」

 千詠子の目は、芝山伸一郎のプロフィール画像と情報とを行き来している。

 最後に紹介されたのは、早田英輔という生徒だった。

 早田くんは、高校三年生。大学受験に向けて、しっかりと目標を定め、一生懸命取り組んでいます。成績優秀で、自主学習能力も高い生徒です。ただ、少しばかり、繊細なところがあるようなので、気を付けてあげてください」

 神宮司は、そう締めくくると、モニターを消し、千詠子に向き直った。


 早田英輔の紹介の時———一瞬だけ、彼女の瞳の奥に、これまでの二人の学生を見る目とは、明らかに違ったニュアンスを感じた。

 しかし、彼はあえて深追いすることをせず、穏やかな口調で話を続けた。

 「佐藤さん、彼らは皆、個性豊かな生徒たちです。それぞれの個性に合わせて、丁寧に指導してあげてください。そして、何か困ったことがあれば、いつでも私や、他の先輩講師、スタッフに相談してください」

 「はい、ありがとうございます。精一杯、頑張ります」

 千詠子は、神宮司の言葉に、真摯な眼差しで応えた。


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