第5話


私が作ったお粥を、佐紀は少しずつ口に運ぶ。奏にも言われていたからあまり食べられないかと思ったけど、その手はゆっくりながらも止まらなくて安心した。もしかして気を使わせてしまっているかと不安になったけれど、無理している様子は見て取れなかった。



――かわいいなぁ。

ねえ、好きなんだよ。佐紀の醸し出す空気も、その少し低くて、優しい声も。女性にしては少し大きめな手も、私よりちょっとだけ高い身長も。クールな見た目に反して、子供みたいに笑う顔も。

仕草も、形も、好きだなって、思ってしまう。


私がアプローチしても、顔を真っ赤にするだけでなーんにもしてこない。それさえも好きだと思ってしまった時には自分でも重症だなって思った。


夢で、触れて、触れられて。幸せだった。

それが現実とかけ離れていると分かっていたけれど、それでも佐紀に会いたいと、思ってしまう。


強くて、優しい。欲に満ちて、溢れかえる程の性。


佐紀が、好き――。



「……恋、」


「ッ!」



しまった。



『ちょっと、そういうのは佐紀とふたりきりの時にやって』



夢とシンクロする。佐紀の、言葉に籠る熱。視線の強さ。奏の言葉が脳裏に過ぎる。あの時と同じ、フェロモンが漏れていた。


「――…」



嘘。ちゃんと、わかってる。奏の言葉は、『いつもの佐紀』とってことだって。

こんな、熱の篭った体を抱えた佐紀とふたりきりで。なんの抑制も効かない欲を、呼び起こしちゃいけなかった。


このままじゃ、佐紀はきっと傷ついちゃう。



――!!

「!!?」



お粥が未だ入っている器が落ちて、低い音が部屋に響いて思考が弾ける。床にお粥が散ったけれど、それを片付けることはできなかった。



「恋、」


「佐紀…、!?」



お互い座ったままの状況で抱きしめられていた。腰に回された腕と肩を抱く腕に体が密着する。耳元で囁く熱の篭もりきった佐紀の声が、鼓膜を刺激する。脳がふやけて、腰がビリビリと痺れて、力が入らなくなる。

密着する部分から熱過ぎる熱が全身に伝わってくる。痛いくらいの抱擁は、一気に不安と後悔を呼び覚ましていく。後戻りも逃げ道もない。夢などと、愉しめない。


それこそが、現実だ――。


体に回った腕は強くなる。それが、これ以上手を出さない佐紀の抵抗の様で、熱の篭った声は泣いているみたいだった。

きっと、私が引っ張り出した性に塗れた空気に、佐紀は全身で拒否しているんだ。



「さき、っ、だめ、だって……!」


「……っ、ふ、」


「ん、やぁ」



それでも、サキュバスの性はその先を望んでいて、私から漏れ出る香りに、佐紀は腰の辺りから服の中に入ってきて、素肌を撫でる。するすると肌感を味わうかのような動きがくすぐったくて、身をよじった。



「さき…!」


「、れん。かわいい、」



熱い。確実に熱を高める声と手に、熱すぎるほどの体に、襲われる。背中に触れられた程度なのに、もう頭がくらくらする。逃げ道がなくてもいい、佐紀に触れてもらえるなら。

そんな思いが隠せなくなったその時。背中を撫でていた手が、ぷつっと下着のホックを外した。



「あっ!?」



急な解放感に自身の胸元を守るように腕を前に組む。それは必然的に佐紀を離そうとする行動を放棄した。気づいた時には、佐紀は口元を緩ませて、私の身体はベッドに引き込まれていた。スプリングがわずかに鳴り、髪の乱れた私の両脇に腕を立て、佐紀に熱が篭ったまま見下ろされる。

高圧的な目や態度は、整った佐紀の顔立ちに沿っていて、体が疼いて切なくなる。サキュバスという本能に呑まれそうだった。でも、それで傷つくのは私じゃない。



「…、佐紀、」


「…………」


「これは、夢じゃないよ。こんなの、後悔する」



『佐紀』を呼び戻そうと訴えかける。サキュバスである意識を、固く閉じて沈めようと意識した。……けれど。



「ん!や、」


「………いいよ。後悔なんていくらでもする、」



私の絞り出した訴えにも、佐紀は手を止めなかった。今度は前からするすると服の中に手を進めていく。佐紀の指先に、震えてしまう。


私の本質は。サキュバスは。そんな繕った理性ではでは沈められない。もはや、沈めるとか抑えるとかの話じゃない。溢れ出したそれは、佐紀をすでに呑み込んでいた。



「だ、め!佐紀っ!」


「………」



リップ音をたてながら佐紀の唇が、私の肌を辿る。時折歯を立てて、印を残すような行為を繰り返し、その度に体がゾクゾクと反応して、声色が甘さを増してしまう。それに気づいた佐紀がもっと先へ進もうとするのが感じ取れた。きっとこの快楽に呑まれてしまえば、それはこの上ない幸せだ。夢で望んだものが現実になる。



「…っ、」



それでも。そんなものは一瞬でしかなくて。これが間違いだということは明白だった。


私は佐紀の指先に脱力しかけている体に渾身を込める。それが、拒絶にしかなりえないと分かっていたけど、そうしなければいけないと思った。



「やだ!!」


「!」



私の力いっぱいに突き放す力と声に、佐紀の手が止まる。私は腕分離れた佐紀の下から体半分抜け出し、自らのからだを守るように腕を回した。



「…やだ?」


「………、」


「……変なこと言うんだね。あんなに喜んでたのに、」


「――!!」



佐紀の言葉に一気に身体が熱くなる。

それは、夢の中の話だ。でも、熱を思い出せば、体は佐紀をまた求めてしまう。それに、佐紀は惑わされてしまう。



「…なんで?恋。好きっていってくれたじゃん、」


「佐紀…?」


「……恋は、わたしのことすきなんでしょ?」



私を見る目は虚ろになり、ぐらぐらと佐紀の体が揺れ始める。少し呂律も回っていない。俯きながら辛そうに見上げてくる佐紀に、罪悪感に苛まれた。



「……、ねえ、恋…」


「………、」


「……わたし、どうしたら、いい、?……」



小さく紡がれていく言葉に、胸がキツく締め付けられる。涙を零したのは、佐紀の方だった。



「…佐紀」



問いを投げたくせにその返答を待たず、佐紀の体はゆっくりと私の体に落ち、意識が途絶えた。ゆっくりと視線を下ろし、佐紀を見つめる。額には大量の汗が張り付いていて、高熱のせいで顔は紅潮し、酸素を取り入れようと呼吸が荒い。

きっと数日前の私だったら、サキュバスとしてニヤけていたかもしれないし、そういうことさえも企んだかもしれない。


でも、今は。悠城恋として、サキュバスであることを呪い、浮かれていた自分を握りつぶしたかった。



「……佐紀、」



佐紀の頬に流れる涙を拭うのに、頬は乾きを知らない。



「っ、……さきぃ、」



ぽたぽたと、私の涙が佐紀を濡らしていた。




――好きなんだよ、恋。


涙を流しながら、その言葉を残して意識を手放した貴女を、私は受け入れられない。

それくらい、貴女を弄び、惑わせた。

元より。サキュバスは、淫夢の悪魔。


夢でしか、貴女と交わることを許されなかったんだ。

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