第24話 責任追及の始まり

 校長室に呼ばれたのは初めてだったが、思いのほか狭い部屋だと雅音は思った。大きなデスクに来客用のソファーとテーブルしかない。


 そんな部屋だから、五人の生徒が入ると息苦しいぐらいだ。


 しかも、ソファーには校長と教頭。それと女性の客人が座っているので、居場所がない雅音たちは一列に並ぶしかなかった。


 客人と思しき人は、アイボリーのスーツを着た中年女性であった。雅音には見覚えがないので、学校の教師ではない。


 誰かの親だろうかとも思ったが、それにしては立ち振舞に隙がない。


 しかし、どこかで見た事がある顔である。雅音には大人の知り合いなど少ない。しかし、あきらかに雅音は女性の顔を知っている。


「あ……工藤絹枝」


 ぼそり、と光が漏らした。


 光は少し驚いていたので、絹枝が校長室に来るとは思わなかったのだろう。あるいは、来てもらえるとは思っていなかったのか。


 一方で、三葉と萌黄は落ち着いている。中年女性は、この姉妹が呼んだのだろうか。


 光が呟いた工藤という名字で、雅音は思い出す。


 工藤絹枝は地元出身の議員で、テレビで何度か見ている。選挙ポスターが張ってあるのも見たかもしれない。


 そのどこかで、三葉から親戚だと紹介された人物だった。普段は議員の顔など覚えないが、三葉の親戚ということで記憶に引っかかっていたのだ。


「こんにちは、皆さん」


 絹枝は、にっこりと笑った。


 テレビなどあまり感じなかったが、三葉や萌黄と少しばかり面立ちが似ていると雅音は思った。


「私は、こういう者です。そこにいる三葉と萌黄の伯母でもあります」


 絹枝は名刺を取り出して、雅音たちに渡した。


 名刺など初めて差し出されたので、雅音たちはあたふたとしながら受け取る。名刺には堅苦しいフォントで、絹枝の名前が刻まれていた。


 比呂も受け取ったが、興味はなさそうであった。だからといって捨てるわけにはいかないらしく、乱暴にポケットに名刺を詰め込んだ。


「私は、雅音君が酷い虐めにあっていると聞いてやってきたの。雅音君は、あなたよね?」


 初めて会ったというのに、絹枝は雅音に視線を向けた。雅音の特徴を姉妹から、前もって聞いていたのであろう。


「そうですけど……」


 ほんの数秒だけ目があっただけなのに、絹枝は固まった。雅音にとっては、慣れた反応だ。雅音の呪いを受けたような美貌に見惚れているのである。


「えっと……。あなたが雅音君なのよね?」


 絹枝は、二度目の質問をする。


 今度は、雅音は頷くだけにした。二度目も返事をするのは、おかしいかもしれないと考えたのである。


「話には聞いていたけれども……本当に綺麗な子ね」


 絹枝の言葉に、三葉と萌黄は深く頷いた。雅音の美貌を説明したのは、この姉妹らしい。


「さて、まずは事実確認をしましょう」


 絹枝が取り出したのは、萌黄が作った書類であった。それをコピーしたものが、雅音たちにも配られる。


 萌黄が作っていた書類には、比呂が受けてきた虐めの内容が見やすく書かれていた。


「三葉……」


 妹の制服を着てまで学校に忍びこんだ三葉が、この書類を作ったのか雅音は思った。余計な事をするなという意味を込めて、雅音は三葉を睨みつける。だが、三葉は余裕を持った表情を崩さない。


「それをまとめたのは、萌黄よ。私は、細かい仕事が嫌いだから」


 雅音は、三葉の言葉に目を瞬かせた。いつも弱気な萌黄が、自分を助けるために姉に手を貸したとは思わなかったのだ。


「雅音。ここで引くってことは、萌黄の頑張りを無にすることよ」


 三葉の言葉に、雅音は押し黙る。雅音は、萌黄に弱い。可愛い妹分だからだ。


 三葉は、細く笑む。


 雅音が、萌黄に弱いのは知っている。だからこそ、萌黄の協力は重要だった。


 萌黄は、三葉と違って様々な人間の庇護欲を掻き立てる。それは、ある種の才能だ。


 萌黄本人はまだ自覚していないが、萌黄が動くことで沢山の人の協力を得られるようになるかもしれない。三葉には、その才能はなかった。


 雅音が「虐められていない」と一言いってしまえば、全てが水の泡になる。


 けれども、雅音は萌黄の頑張りを無下には出来ない。三葉は、それを狙っていたのだ。雅音は、萌黄のためにも真実を話してくれることだろう。


 雅音たちに配られた書類は、先に校長と教頭にも配られていたらしい。彼らの手元には、書類があった。


 絹枝は「さて」と言ってから、雅音を見つめる。


「この書類は、雅音君が受けた虐めに対する証言なの。萌黄たちが調べてくれたらしいけど間違いない?」


 雅音は書類を読んで、眉を寄せた。


 生徒たちの証言を集めた書類は、本当によく纏められていた。


 匿名ということで喋った生徒の名前は書かれていなかったが、何があったのかは見やすく纏められている。


 この書類を纏めたのは、間違いなく萌黄だ。見る側のことを考えながら仕事をするというのは、萌黄にしか出来ない。


 三葉と光では、そのようなきめ細かい配慮というものが出来ないだろう。光は大雑把だし、三葉は唯我独尊を絵に描いたような性格だった。


 萌黄がまとめてくれた書類の内容に関しては、雅音は文句はない。書かれているものは、間違いなく比呂から受けた虐めの数々だ。しかし、大人たちを巻き込むのはやり過ぎではと思わなくもない。


 雅音は、今だに虐めの問題を自分の一人で解決できると思っていたのだ。


「ここに書かれていることは本当なの?」


 絹枝は、雅音に尋ねる。


 雅音は、納得できない顔をしながらも頷いた。その表情に、絹枝は首を傾げる。


「どうしたの?」


 絹枝は、雅音の反応を不信に思った。


 虐められているというのだから、絹枝はもっとオドオドしている子を想像していた。けれども、そういったものが雅音には見受けられなかった。


 雅音は、強がっているようにも見えない。自然体でおり、三葉にも似た精神的な強さを絹枝は感じた。


 虐めを虐めだと感じていないのかとも絹枝は思った。しかし、蹴る殴るといった暴力まで振るわれたているのだ。いくらなんでも虐めを受けていないとは思わないであろう。


「書かれていることに問題はないです。たしかに、俺は比呂に酷い虐めを受けています」


 自分の事なのに、雅音はケロリとしていた。


 雅音の反応は、三葉たちの予想の範囲内だったようだ。誰も慌てる様子はなかった。


 一方で、虐めをしていた比呂だけが苛立ちを隠せないでいた。何とも不思議な光景の中だ。校長と教頭だけは、顔を青くしていた。


 校長と教頭の顔色が青いのは、自分たちに被害が飛び火することが確定したからであろう。雅音が虐めはないとさえ言ったら、校長たちは自分に咎はないと考えていたのかもしれない。


 だが、雅音は虐めを認めている。


 校長と教頭は、虐めをなかった事にした罪を償うことになるであろう。


「問題があるとしたら、この場やこの状況を俺は望んでいないということです」


 雅音は、はっきりと言った。


 その発言に、全員が首を傾げる。雅音の言葉の真意が分からなかったからだ。そのなかで絹枝だけが、一番大切なことを聞く。


「それは……虐められていることは認めるということ?」


 絹枝の言葉に、雅音は「似ているけれども違います」と答えた。


「望まないことは、比呂の断罪です」


 その雅音の毅然とした態度に、絹枝の方が驚いた。比呂が謝罪や罰則を受けることを普通だったら望むであろう。それぐらいの事を比呂はやっているのだ。


 雅音の態度は、虐めを受けている人間のそれではない。虐めを受けている人間は、多かれ少なかれ卑屈になっている事が多い。


 けれども、雅音は凛と立っている。虐めによる傷など受けていないのではないかと錯覚するほどだ。


 さらに言えば、雅音の態度は三葉たちから虐めの加害者を守っているようだった。


 絹枝は混乱してしまう。


 それぐらいに、雅音の行動はおかしい。比呂に脅されているのかとも思ったが、それだと雅音の堂々とした態度は説明がつかない。脅されているのならば、もっと態度に出るものだろう。


「雅音君。ここに書いてあることが真実ならば、これの虐めは傷害事件よ。殴られたり、水をかけらたりすることは普通じゃないの」


 絹枝は、優しく雅音に話しかける。しかし、雅音は意見を変えようとはしない。


 雅音の頑な態度に、絹枝はカウンセラーを間に挟むことさえも考え始めた。雅音という少年が、自分では手に負えないと考え始めていたのである。


 頑固すぎるのだ。


 雅音は、良くも悪くも自分をしっかりと持っているらしい。そんな人間の説得には、無理をせずに専門家を挟む方が良かったりする。


 そんなときに、三葉が口を挟んだ。


「伯母さん、多分なんだけどね……。雅音は、別に我慢とかしていないと思うの。無理はしているかもしれないけれども」


 三葉の言葉に、絹枝は疑問を抱く。


 三葉は、大きなため息をつく。


 今までの雅音に反応から、これを予想すべきだったと三葉は後悔する。外壁を埋めることだけに注目していたので、雅音の頑なさを計算するのを忘れていたのである。


 これは自分のミスだ、と三葉は思った。


 そもそも虐めに関しては、雅音はずっと一人で解決すると言っていたではないか。


 それは、つまり比呂を救いたいと思っているということだ。最初から雅音は、比呂を罰したいとは考えてはいなかったのである。


 比呂は部活を辞めて、そこからおかしくなった。他者を貶めて、暴力を奮うようになってしまったのだ。


 ここにいる全員が、比呂の更生はありえないと考えている。しかし、このなかで雅音だけは、比呂は野球部の頃の彼に戻ると思っているのである。


「雅音っていうのは、ポンコツなのよ。危機察知能力が低いと言うか……」


 三葉の話を聞いていた光は、そろって遠い目をしていた。彼らの脳裏には、幼少期からの雅音のやらかしを思い出していたのである。


「だからこそ、数多くの幼少期の誘拐未遂事件に繋がるというか……」


 三葉は、自分たちの幼少期を思い出す。


 幼い頃の雅音は変質者を呼び寄せたり、誘拐されそうになったりと犯罪との縁は事欠かなかった。


 誘拐事件は、雅音の美貌に端を発している。けれども、本人の危機察知能力の低さも原因にはあった。


 普通ならば嫌なことがあれば、物事を警戒したりするだろう。だが、雅音は人をそれほど警戒しない。その上、無意識に性善説を信じている。


 何度も犯罪者を見ていると言うのに人嫌いにならないのだ。


 三葉としては、何故と思わなくもない。


 何があっても他人を嫌いにならないというのは、ある意味では美徳であろう。しかし、少しぐらいは警戒心を持って欲しいと三葉は思う。


 成長してからは雅音が男子ということもあって変質者などの遭遇率は減ったであろうが、おかしな連中というのはそこら中にいるのである。


「比呂なんて、捨て置いていいのに……」


 三葉は、小さく呟く。


 隣を見れば、光や萌黄も同意見のようだった。


 三葉は時よりではあるが、雅音がもっと警戒心を持てばと思っている。自分を傷つけるものを憎んで、誰にも近づかないで欲しい。


 そうなったら、雅音の近くにいられるのは幼馴染の三葉たちだけだ。自分たちは、いつまでも閉じた人間関係のままでいられる。美しい雅音独占できる。


 三葉は、甘美な妄想に終止符を打った。


 雅音が、人嫌いになるわけがない。雅音は見ている方が怖くなるぐらいに、お人よしで強がりだ。だからこそ、三葉は雅音と友人でいたいと思う。


「雅音。私たちは……ね」


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