第10話 毛虫くん
「ところで、普段はどんなことを喋っているんだ?」
雅音は、光に尋ねた。
Vチューバーが雑談を配信していることは、流石の雅音でも分かっている。光は底辺高校の生活を喋っているらしいが、雅音には想像がつかない。
「学校の愚痴とかだ。クラスの女子が、妊娠して退学したとか。別の学校のやばい不良が、殴り込みにやってきたとか。担当教師が警察に補導された生徒を迎えに行くために、授業が潰れたとか」
想像したよりもカオスな学校であった。
不登校にもならずに、そんな学校に毎日通っている光を雅音は尊敬してしまう。
光は、本来は真面目な生徒である。体も頑丈で、小学校と中学校では皆勤賞まで取っていた。
そんな光は底辺学校の日常に耐えきれず、配信でストレスを発散しているようだ。
「なんというか……。違う世界の話みたいだな」
雅音は、思わず呟いた。
底辺高校の荒れっぷりは風の噂で聞いていたが、光の話は体験談でもあるから生々しい。しかし、視聴者たちは自分が体験できなかった底辺学校の日常を楽しんでいるようだ。
『毛虫君が、引いているよww』
『いきなりだとビックリだよね』
『慣れると外国の話を聞いている気分でいられるよ』
視聴者たちは、雅音の反応を微笑ましく見ていた。雅音の初心な反応を視聴者たちは、楽しんでいるようである。
視聴者たちの反応に、光はとても満足していた。自慢の友人の魅力が視聴者に受け入れられたことが、とても嬉しいのだ。
「なぁ、まさ……。じゃなくて、毛虫君。時々でいいから、また一緒に配信をやろうぜ」
光はニコニコと笑いながら、雅音の肩に手を回した。
自分のチャンネルを雅音とのコンビで配信するものにしようか、と光は考えていたのだ。そうすれば、雅音と一緒に遊べる時間が増える。
だから、互いに肩を抱き合って「おー!」と雄たけびを上げたかったのである。まずは雅音に様々な了解を取るべきだったが、それを光はすっかり忘れてしまっていた。
しかし、光に触れられた雅音は「ひっ!」と悲鳴をあげる。その悲鳴に、視聴者たちも驚く。
『なんの悲鳴だ!』
『マサネが、毛虫君にイタズラしたのかも』
『マサネ。そういうことは、配信の後にしなさい』
『ゴキブリでも出たのか?』
そんなコメントが飛び交っていたが、そんなことは光は気にしていなかった。それよりも、雅音のことを最優先にしたのだ。
「あっ、悪い。驚かせた」
光は、雅音から手を引っ込める。
光は自分が死角から触られたせいで、雅音を驚かせてしまったと思った。だが、雅音の驚きようは光の予想以上だった。
雅音は目をぎゅっと瞑って、ふるふると震えてしまっている。驚いているというよりは、怖がっている反応だ。あきらかに普通ではない。
「あーと、ゴキブリが出たので配信を中止します。それでは、また今度」
そう言って、光は配信を打ち切った。
そして、雅音と向き合う。
「何かあったんだろ」
光は、雅音の目を見つめた。
雅音の瞳は、揺らいでいる。これは、良い兆候ではない。雅音は、何かに怯えてしまっている。
「とりあえず、何か飲み物をもらってくる。温かいものとかあった方が良いだろう」
こういう時には、温かいものを飲むに限る。経験から光は、その事を知っていた。
幼少時の雅音が変態に狙われてパニックを起こしそうになった時に、大人たちは温かくて甘いものを用意した。だから、それに光は倣ったのだ。
「待て、光。飲み物はいらないから……」
雅音は、光の服の袖を掴んだ。
ここにいて欲しい、と言っているようなものだ。光は頷いてから、光の隣に座った。
「学校で嫌なことがあってな。この面だから、ちょっと揶揄われただけなんだ。小学校や中学校でもよくあっただろ」
そう言うが、そんな時の雅音は相手にどこまでも喰らいついていた。こんなふうに脅えることは、今までなかった事だ。
雅音が唯一怯えていたのは、自分が性的な目で見られたときだけだった。
「……雅音、聞いてくれ」
光は、雅音の顔をのぞき見た。未だに、雅音は落ち着いていない。
「今は違う学校に通っているけど、雅音は大事な友人だ。だから、そんな顔をして欲しくはない」
光は、力強く言葉を紡ぐ。
出来る限り、雅音を安心させるためにだ。
「俺は、雅音の味方だ。雅音のためならば、何でもやる」
その決意に、雅音は徐々に落ち着き取り戻していく。そして、雅音の額を指先で弾いた。
いわゆる、デコピンだ。
「本当に何でもない。心配するな」
そう言うが、雅音に何かあったのかは明白だ。今は、強がっているだけである。しかし、今の光では雅音が何かに脅えている事しか分からない。
−−あいつに相談が必要だ。
光は、人知れず決心した。
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