拝啓、私の感情

紫が字

第1話 導入は辛いものに

 晴れ、時々怒り。


 目の前で声を荒らげる上司に向かって、私は頭を下げた。


「申し訳ありません・・・・・・!」

高良たからぁ。お前もう二年目だよな? もう新人じゃないよな? なーんで一人で仕事出来ないの?」

「すみ・・・・・・ません。次からは——」

「次とかねぇんだよッ!! 仕事にミスは許されないの!!」


 そう言いながらデスクを叩く上司に、私は肩を震わせて謝罪を繰り返す。

 この会社では、一年目で新人は終わり。二年目からは先輩の時間を奪わないように自分一人の力で仕事を進めないといけないのだ。

 そして、女性はメイクとスカートのスーツの着用が必須。


 まだ大学生だった頃、次々と就職先から内定を貰っていく周りに焦り、とにかく何処でもよいからと入社を決めたのが間違いだった。

 辞めたいと思ったことは何度もあるけど、辞めると言い出したら更に怒鳴られそうで言い出すことが出来ずにいる。


「分かったか、高良」

「ひっ」


 いきなり腰を掴まれた嫌悪感で、思わず声を上げる。

 上司は私を見下ろしながらニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。


「はい・・・・・・」


 そう呟きながら、上司の顔を見ないように床に視線を向けた。

 そんな私の姿に納得したのか、上司は私のお尻を撫でてから去っていった。

 撫でられた感覚の気持ち悪さに、息が苦しくなり泣き出しそうになる。

 だけど、同じ会社の人間に泣き顔を見せるわけにはいかない。

 私はなんとか自分のデスクに戻り、作業を開始した。


「大丈夫か?」


 そう声を掛けてくれたのは、隣のデスクに座っている先輩の佐藤さとうさんだった。

 去年、私の教育係をしてくれた人で、私が怒られた後はいつもこうして気に掛けてくれるのだ。

 私は声を震わせないように気をつけながら、なんとか「大丈夫です」と返した。


「耐えきれなくなったら言えよ。相談乗るからさ」

「はい・・・・・・ありがとうございます」


 佐藤さんは私の肩をポンポンと叩くと、作業を再開した。

 

○○○


 残業を終え、帰路に就く。


 そしてメイクを落とし、風呂に入り、買って来たコンビニ弁当を食べる。

 この行動は、慣れではなく〝やるしかない〟という妥協によって日常になってしまったものだ。

 社会人になることに希望や輝きを見出していたわけではないが、もう少し好きなことをやって、そこそこ楽しく生きられるつもりだった。


 実家にいた頃は、よく料理を作っていた。人の喜ぶ顔が好きだったし、どうしたらもっと美味しくなるのかを考えることが好きだった。

 しかし今では、料理を作る相手も時間もない。


 このまま私は人生を終えていくのかな・・・・・・と少し悲観的になっていると、テーブルに置いていたスマホが光った。

 そういえば仕事に追われすぎて、連絡を確認出来ていなかった。仕事で連絡が来ていたら嫌だから見るのを控えていたっていうのもあるけど。


 私は、気乗りしないなーと思いつつスマホ画面を開いた。

 幸い職場からの連絡は来ていなかったが、一つ気になる連絡先から連絡が来ていた。

 名前は『真澄ますみちゃん』で登録していて、アイコンにはケーキが写っている。


「真澄ちゃん・・・・・・」

 

 私は一人、静かに名前を呟いた。

 真澄ちゃんとは、実家で営んでいるケーキ屋の常連さんの名前だ。

 私が幼い頃から何度も訪れてくれているらしく、両親も私も信頼を置いている人物だ。

 アイコンのケーキも、恐らく実家のケーキだろう。

 一人で上京する私を心配して、こっちに来る前に連絡先を交換してくれたのだ。

 久しぶりの連絡に、少し心を躍らせつつ私はトークルームを開いた。


『お久しぶり! 向葵ひまりちゃん! 最初に挨拶して以来の連絡になるわね。あんまり頻繁に連絡するのもどうかと思って、ちょっと渋っちゃったわ・・・・・・もしよければ久しぶりにお茶会しない? お母さん達もたまには実家に帰って来て欲しい! ってしくしく泣いてたわよ。向葵ちゃんの予定が開いてる日でいいから、お願い〜!』


 私に気を遣いながら何度も考えてくれたであろうメッセージに、私は思わず顔を綻ばせる。

 真澄ちゃんは私との距離感を大切にしてくれていて、いつも優しい言葉で話してくれるのだ。

 

 私は予定を確認すると、素早くメッセージに返信を返した。


『久しぶり〜! 誘ってくれてありがとう! 是非! 来週の水曜日なら空いてるよ!』


 そのメッセージを送ると、私は疲労による眠気に襲われてそのまま布団に入った。

 疲労に抗えないまま眠れるならマシだな・・・・・・とぼんやり考えながら、私は深い眠りに落ちていくのだった。

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