12 ぬくもりにふれる




 教室から少し離れて、


「ちょっ、ちょっと……え? 何? 今の……何?」


「あららのら。まあまあ、知らないふりしちゃって」


「いや、あの……えー?」


 エナガの頭は理解が追いつかない。


(な、なんだったの? カアヤと朱園さん……え、えっっ――いやいやいや。でも、こう、なんか)


 やっぱり知らぬ間に、幼馴染みは大人の階段をのぼっていたのか?


(でも、女の子同士……――――)


 くるくる、かったん。コインが落ちて転がって、そしてちょうどよい窪みに収まるようなイメージ。エナガの中で何かが連想され、その結果として腑に落ちるものがあったようだ。


「あんなのただのスキンシップじゃないですかー、なに赤くなってんですかー。それともなんですか、恥ずかしい想像でもしてました?」


「……し、してないっ、してない!」


「私たちもしましょっか? 何事も経験です」


「へ?」


「大丈夫ですよ、


「えっ、血?」


「えっち? ……したいんですか?」


「言ってないっ言ってないっ」


 言っている間に、ハナちゃんはエナガを壁際に追いやっていた。


「いいですよう、えっち。してあげますよー」


 そして、


「えっちはえっちでも、ハグHugのえいち」


「あうあっ」


 エナガを壁に押し付け、その肩を掴む。こつん、と額と額がぶつかった。青い瞳が、瞬きを感じられる距離に迫った。マスクがなければ、あるいは唇が触れ合っていたかもしれない、そういう間隔の密度。


 そうして、彼女はエナガの身体に、背中に腕を回した。マスクをつけた顔をエナガの首に押し当てる。すんすん、と匂いを嗅ぐように鼻を鳴らす。


「あ、う……」


 恥ずかしさを通り越して、顔が熱を持ちすぎて、むしろ痛い。

 全身が強張って、心臓がバクバクと音を鳴らす。


 胸に押し当てられる、自分よりも豊かな弾力。


 白銀の髪が鼻先をくすぐる。シャンプーか何かの良い香り。


 そして何より、


(冷たい――)


 夏とかに抱いて寝ると気持ちよさそうだな、と。変なことを考える。それくらい、頭が冷静になる冷度れいど


 その冷たさに、徐々に体温を奪われる――移っていく。馴染んでいく。


 不思議な安心感が身に染みて、緊張が解けていくような感覚。


 身体の力が、抜けていく。

 ぼんやりして、思考が口からこぼれる。


 心臓が、鳴っている。この音は誰のものだろう。


 心臓が、鳴いている――


「血が……、」


 エナガはうわ言のように、


「血が、出てたの。噛んでたの、朱園さん……?」


「ん……」


 まるで眠たげな、どこかうわの空な反応。


 それから、


「なんか――――」


 びく、と。

 エナガの背に回る腕に、力がこもった。


「っ……」


 抱きしめる力が、強くなる。


 苦しくて、息が出来ないほど。


「い――っ、は、はなちゃ、」


 首にくすぐったいような感触があった。マスク越しに、エナガの皮膚を食むように。噛む。噛もうとする。何度も。


「おい、コラ」


 不意の気配と。不意の解放。


 ハナちゃん――トワシマ・カザキはバッと身を離し、窓際まで距離をとった。


 ほとんど締め上げられるようだったエナガは、解放され、思わずその場に膝をつく。床に手をつき酸素を取り込む。


 カザキは目を見開いていて、その視線はエナガを、床を、睨むように、疑うように、見えない何かに向けられていた。

 思い出したように息をする。マスクの表面が呼吸で上下する。苦しそうで、今にも震えだしそうなほどに――瞳が揺れている。


 顔を上げたエナガと、目が合う。

 彼女の顔は、赤くなっていた。


「どいつも、こいつも――」


 声の主は、教室とは別の方向から。


 エナガが顔を上げると、豊かな黒髪を弾ませながら、小さな歩幅で近付いてくる――香月ミヤハ。


つ国の連中は、礼儀も、常識も、倫理も――どれもこれも欠けておるらしいの?」


 一言一言に、怒気がこもっていた。


「『郷に入ってはに従え』とは言うが、。少なくともこの学園の人間は、わらわのものと心得よ」


 もう我慢の限界、と言わんばかりに。多少の可愛らしさを残しつつも、


「手を出そうものなら容赦はしない。わらわは今朝、確かにそう、言ったのじゃ」


 その手には、彼女の背丈に似合わない、大きな――


「――""、どうやら仕置きが必要らしいのう?」


 カザキがそちらに身体を向ける。


 その脇腹に、


「……!?」


 突き刺さる、太刀。


 横から見ていたエナガは、白銀の少女の身体を貫く刀身を――見た。


 引き抜かれる。

 まるで栓が抜かれ中の液体が漏れ出したかのように、彼女の制服に赤い染みが広がっていく。


「あ、が……っ」


 嗚咽、うめき。何かを吐き出すが、その口はマスクに覆われていた。マスクの端から――


「――――!」


 エナガは何かを叫んでいた。言葉にならない。思考がまとまらない。何をすればいいか分からない。


「い、」


 カザキが声を漏らす。

 目をぎゅっと閉じて、うずくまるようにお腹を抱えて、その場に膝をついて、


「――――…………ったぁああああ……!」


 叫ぶように、声を上げた。


「……え」


 しかしそれは、


「痛っ、いたぁいッ、あぁもう! 痛い……! いつつつ……!」


 まるでお腹でも壊したかのような、


「え? ……え?」


 うずくまって、倒れて、転がって。


「ふーっ! うう――はーっ……! すう――」


 その制服は、白いままだった。


「おえっ、うえぇっ、マスクの中がっ、きもちわる……!」


 血の跡はどこにもない。彼女が口元を拭えば、何も残らない。


 見れば、


「ふん。少しは反省せい」


 香月ミヤハはそんな様子を見下ろして鼻を鳴らすと、すたすたと教室へ向かって歩いていく。

 彼女の手には、何もない。


 まるで手品マジックみたいだ。人体貫通マジック。思えばエナガは、刺された瞬間を"横から"しか見ていない。


 でも、それじゃあ、カザキを刺した刀は、何処に行った?


 それも消したの?


(え……?)


 まるで、何事もなかったかのように。


「××××ッ……くっそ、あンのロリババア……」


 トワシマ・カザキは立ち上がり、去り行く背中を睨んで毒づいた。


 彼女の制服には少しだけ、気付かれない程度の穴が開いていた。


 それだけが、何かのあった痕跡。


 血だまりもなければ、死人もいない。


 まるで全てが、悪い夢だったかのように。


「ちょっと、失礼しますね」


 彼女は口元を手の甲でさすりながら、エナガに微笑みかけた。


 微笑んだ、ようだった。その目はエナガを見ていない。


 それから、足早にトイレの方へと去っていった。


 先のエナガの悲鳴を聞きつけてか、廊下には他のクラスの生徒たちが顔を出している。しかしその場には何事もなく、彼ら彼女らはエナガを遠巻きに見ながら自分たちの教室へと戻っていく。


 そして、静寂が訪れた。


 動悸するエナガの心臓こころを置き去りに。


(あのマスク……外して、洗うのかな)


 少しの心配と、現実感の喪失。


(……気になる)


 覗いて、みようかな。なんて。



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