04 マスクと首輪と眼帯~疑問がいっぱい~




 放課後、学生寮へと向かう道すがらのことだった。


 いちばん前を歩いているのは香月ミヤハ。何かと世話を焼いてくれる小学生女児みたいな同級生。クラス委員なのかと思えば、その役は別にいるらしいので、これは純粋に彼女の親切心なのだろう。


 数歩遅れて、相条ケンカが続いている。相変わらず謎のケースを背負っていて、まるで一匹狼みたいな空気をまとっているが、言われるままにミヤハを追いかけているあたり、案外素直なタイプなのかもしれない。


 ふたりからもう少し離れて、エナガの横に並んでいるのが"ハナちゃん"ことトワシマ・カザキ。錠前のついた変なマスクは、相条さんのそれと違って既製品使い捨てではないようで、なんだかミステリアスな雰囲気を醸している。

 そんな彼女は、エナガの死角になる左側で、ふわふわした銀色の髪を指で弄びながら、


「あの腕章、あれですよね」


 と、独り言のようにつぶやいた。


「?」


 当初、それが自分に向けたものと思わず特に反応を示さなかったが、するとハナちゃん、エナガの肩に自分の肩をぶつけてきた。


「……わ、腕章って……?」


 なんのことだろう、と視線を巡らせた先、前方の黒いシルエットの右腕、そこに青色を見つける。


「いわゆる、"ブルーカラー"。……本来はカラーじゃないですけど、今は色の話です」


「……?」


 やっぱりなんのことだか分からない。


 ただ、緑の腕章が意味するものは知っている。労働者の証だ。ついこの間までエナガもそれをつけて課外労働に勤しんでいた。普段なら、今頃どこかの作業場で働いていたはずだ。


(……自由だぁ――)


 そうじゃない。


「……ブルーカラーって?」


 何かこう、たずねて欲しそうな間があった。そういう空気は読み取れるエナガである。


「んー? あれですよ、


「…………」


 ……反省?


「地下組織。レジスタンス。武装集団。テロリスト。――『ブルーブラッド』でしたっけ。……ニホン、コワすぎですよねー」


「???」


「……あれ? もしかして、あまり有名でない? ……資料が古かったのかしら。それじゃあ、あれはファッションとかお守り的なもので、別に主義主張がある訳では、ない?」


 たずねられても、エナガにはいまいちピンとこなかった。何かこう、文化の違いみたいなものがあるのかもしれない。


「ま、なんにしても、仲良くは出来なさそうです。――桐埼さんも気を付けた方がいいですよ。最近この辺り、物騒らしいので」


「物騒って――」


 この辺りといえば、この地域のことだろう。それならさすがにエナガも何か、噂くらい聞いていそうなものだが、


「"切り裂き魔"」


「!?」


「うちのクラス、人が少ないって思ったでしょう?」


「え。あ、うん。……それと、女の子ばっかりだなーって」


 ちょっと普通に話せるようになってきたかも。話題の内容が突飛なせいか、エナガの思考は現実逃避。

 それを許すまいとするように、


「あなたの前の席にいた男子、このあいだ"転校"したんですよ」


 正確には"隣"なんですけど。そう言って、上品にくすくす笑う。


「???」


 いまいち、要領を得ない。


転校生桐埼さんが男だったら、明日くらいにはいなくなってたってことです」


「え」


「男好きがいるのか、それとも嫌いなのか。まあ、どっちでもいいですけど――」


 ハナちゃんは再びエナガに肩を寄せて、


「お陰であなたが転校してきたと思えば、そう悪い話でもないですね。でも、殺されないように気を付けなくちゃ」


「こ、ろ……っ!?」


「あ、そういえば……」


 耳を疑うエナガに構わず、ハナちゃんは何か思い出したとばかりに両手を打ち鳴らす。


「"桐埼さん"ってもうひとり居ますよね、うちのクラスに。エナガさん――エナガちゃんって呼んでもいいですか?」




 ――桐埼さんも気を付けた方がいいですよ。最近この辺り、物騒らしいので。


 ハナちゃんの言葉が脳裏によみがえる。


 まさに、今。


 エナガは寮室のドアに背中を押し付ける格好で、拘束されていた。


 目の前には、暗い目をした同級生。その左腕でエナガの喉を押さえ、右手はエナガの腹部に銃口を突きつけている。


「……恥知らずの、畜生め」


「!?」


 何がなんだか分からない。でも――地下組織。レジスタンス。武装集団。テロリスト。


 反政府組織。


 彼女の"読み"はどうやら、当たっていたらしい。


 だけど、分からない。本当に、何がなんだか。まるで異世界にでも迷い込んだような気分。


 ……どうしてわたしがこんな目に?


 何か、目を付けられるようなことをした?


 当然、そんな覚えはない。


 相条さんとは今日が初対面。密室でふたりきりになった途端、あんな暴言を吐かれるいわれはない。どうして彼女が怒っているのか、まるで見当がつかない。


「…………」


 ふう、と相条さんが息を吐いた。腹部への圧力が弱まる。


「あぐ、」


 喉が解放された、と思ったのもつかの間、今度は勢いよく喉を圧され、離れる。直後、彼女はエナガの首に何かを巻き付けた。


「ふん」


 と、鼻で笑う。


 気付けば、エナガの首には首輪のようなものが巻かれていた。


「???」


 相条さんが数歩、距離をとる。右手はエナガに向けたまま。


「その首輪」


 エナガが恐る恐る自分の首に巻かれたそれを確かめていると、


「外そうとしたら、お前は死ぬ」


「……え?」


 ちりん、とこの場にそぐわない涼しげな音が鳴る。首輪には、鈴がついているようだ。


 相条さんは左手を顔の高さに持ち上げる。長い袖に隠れてその手は見えないが、どうやら何かを握っているらしい。


「これは、起爆装置。お前が何かおかしな真似をしたら、私はこれを押す。そうしたら、お前は死ぬ」


「…………」


 エナガは膝から崩れ落ちた。


 絶望した訳ではない。ただただ、単純に。


(……どういうこと?)


 状況が、理解できない。

 身体から力が抜けて、その場に座り込んでしまった。


「私に近付くな。外では私から離れるな」


 え、わがまま……。


「私に質問するな。私の言うことは必ず聞け」


 理不尽……。


「今からお前は、私の"友達"になれ」


「…………」


 ぽかん、としてしまう。


「……ふん」


 と、座り込むエナガを見下し、再び鼻で笑う。


「友達というより、"犬"だけど」


「…………」


 そう、それ。エナガも思った。犬というか、奴隷。


(これが、エリート校の洗礼……?)


 エナガの偏見イメージの中では、エリート校のお金持ちというものは、貧乏な庶民をパシリとしてあごでつかっているものだ。まさか銃を突き付けて飼い犬を捕まえているとまでは思わなかったが。


 同じ転校生なのだから、もしかしたら仲良くなれるのでは。そんなことを思ったのが何年も前のことのよう――


「犬」


 一歩、相条さんは座り込むエナガに歩み寄る。


 そして、右手を差し伸べた。


「"お手"」


「…………」


 その左手は、今なお顔の高さにかかげられている。もう、銃は不要ということか。


 エナガはその手を取ろうと、腕を伸ばし、


「っ」


 指に触れる。びくり、と。先に手を離したのはどちらだったのか。エナガは結局その手を取ることはなかった。


 少しだけ、冷静さを取り戻す。いろいろと訳が分からなくて流されてしまったけど、さすがに「犬」はない。


 エナガはなんとか自分の力で立ち上がろうとする。

 しかし膝に力が入らず、まるで初めて自分の足で立った幼児みたいに情けなく、頼りなかった。


 そんなエナガに、


「その眼帯」


 と、相条さんは詰め寄りながら、


「外せ」


「……な、なんで?」


 抵抗の姿勢を見せるも、


「質問するな」


 ……理不尽!


「外して、目を見せろ」


「……あう」


 脱げ。そう命じられているのに等しい羞恥心。だけど相手は、起爆装置とやらでエナガを威嚇していて、逆らうことは死に等しい。


 そして躊躇う間にも、彼女の手がエナガの眼帯に伸びてきて、


 固まるエナガの頬に、少し湿った指先が触れて、


 眼帯の下に滑り込み、


「っ!」


 気付けば、エナガは彼女を突き飛ばしていた。


 相条さんは驚くくらい呆気なく、その場に尻もちをついた。フードがめくれ、丸々と見開かれた暗い両目がエナガを見上げる。


(あ、う……)


 マズい。死んだ。


 後ずさろうにも、背後にはドア。


 目の前には……目の、前には――


「……あ」


 突き飛ばした拍子だったのか――エナガの左目は、外気に晒されていた。


 視線の先には、ひとりの少女。

 肩口までの黒髪を頭の後ろでひとつに束ねている、エナガとそう変わらない、ごく普通の女の子の表情。


 どこかばつが悪そうに、視線をそらしている。


 その指先には、エナガの眼帯が引っかかっていた。


「…………」


 硬直するエナガの前で彼女は静かに立ち上がると、何も言わず、エナガの胸に眼帯を押し付けた。


 それから、相条さんはエナガに背を向け、ベッドに入ってしまった。


 二段ベッドの、下の段。


「そこ、わたしの……」


「…………」


 気まずい沈黙が流れた。



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