第12話 耳の聴こえない音楽家


 今回俺が奴隷市場で見つけたのは、耳の聴こえない少女だった。

 名前はイルナというらしい。

 イルナは耳が生まれつき聴こえない。

 そのせいで、言葉もろくに発することができない。

 読み書きはできるみたいだ。

 奴隷商人のオッサンとは、ボードに文字を書いて会話していた。

 

 イルナを家に連れて帰り、さっそく治療の準備をする。

 すると、イルナがなにやら指でリズムを刻んでいるのを確認した。

 イルナの指は、机の上を一定のリズムで叩いていた。

 それはまるで、自分の中に流れる音楽を確かめるような動きだった。

 目を閉じ、ほんの少し身体を揺らしながら、イルナは無意識に鼻歌を口ずさんでいる。


「音が聞こえないのに……どうしてリズムが取れるんだ?」

 

 俺はふと疑問に思った。

 イルナは音を『感じて』いるのか?

 それとも、彼女の中には生まれつき音楽が流れているのか?

 彼女の指の動きは、まるで空気の震えをなぞるように正確だった。


 俺は不思議な感覚を覚えた。

 まるで、彼女の身体そのものが楽器のように音を奏でようとしているみたいだ。

 

 まあ、やることがなくて暇なのだろう。

 イルナは奴隷商で繋がれているときも、そうやって指を壁にトントンして音を立てていた。

 イルナには、その音が当然聴こえない。

 だが俺にはどうも音が大きくて気に障る。

 こっちは治療の準備をしているんだ。

 勘弁してくれ。


「なあイルナ。ちょっとの間でいいからその指をトントンするのをやめてくれ」


 俺はジェスチャーでイルナにそう制止する。

 イルナは「あう……」と声に出して残念そうに、しぶしぶしたがった。

 

 すると今度は、無意識なのかイルナが鼻歌を歌っている。

 とはいえ、本人にも自分の声は聞こえていないわけで。

 おそらく無意識に声を出しているのだろう。

 イルナ自身に声は聞こえないわけだから、音程ははっきりいって無茶苦茶だ。

 正直いって、クソ音痴だ。

 

 だけど、不思議とさっきと違って、まったく不快感はない。


「綺麗な声だな……」


 イルナの声はとても独特な声をしていた。

 透き通っていて、それでいて芯がしっかりしている。

 これは歌を歌えば、いい歌手になれるぞ……。

 ただし、音程がわからないせいで無茶苦茶なのが残念だ。

 だが、それも俺が治療すれば音がわかるようになる。


「イルナ、歌を歌うのが好きなのか?」

「あう……」


 イルナにジェスチャーできいてみる。

 どうやら声を出すのは好きらしい。

 自分に音がきこえなくても、大きな声を出すのは気持ちがいいみたいだ。

 身体が歌いたがっているようすだ。

 音はきこえなくても、身体がそれを求めているんだな。

 俺はなんとしてもイルナの耳をよくしてやりたいと思った。


「えい……! ヒール……!」


 俺の手から光があふれ、イルナの耳を包み込む。

 すると――。


「あうあああああああああ!!!!?」


 イルナの目が大きく見開かれた。

 両手で耳を押さえ、震えながら周囲を見回す。

 そして、自分の口から出る声を確かめるように、また「あああ」と叫んだ。


「あ……ああぁ……!」


 その声は震えていたが、まぎれもなくイルナのものだった。

 イルナは恐る恐る俺を見つめる。

 まるで、目の前の現実を信じられないと言わんばかりに。


「どうだ? 聞こえるか?」


 俺はそっと肩に手を置いた。


 イルナは、嗚咽まじりにこくりと頷いた。

 それは、彼女にとって人生で初めて「自分の声」を聴いた瞬間だった。


 まだ言葉は発音できないだろうが、それもこのイルナの賢さがあればすぐに覚えるだろう。

 そしてイルナは、喜びをそのまま、歌にしてくれた。


 イルナは静かに息を吸い込んだ。

 そして――。


「……あぁ……」


 それは、まるで水が溢れ出るような、美しい旋律だった。

 最初は不安げだったが、次第にイルナは確信を持ち始めた。

 まるで徐々に蛇口をひねって水が流れ出すように、音楽が身体からあふれ出す。


「あ……ああ……ららら……」


 俺は言葉を失った。

 たった今、音を知ったばかりの少女が、こんなにも澄んだ声で歌うとは――。

 まるで、彼女の中にずっと閉じ込められていた音楽が、一気にあふれ出しているようだった。


 イルナは楽しそうに歌い続けた。

 まるで「これが私の音楽です」と言わんばかりに。

 

「おお……すげえ……いいぞ……!」


 俺は拍手で応えた。

 どうやらイルナには、天性の歌の才能があるようだ。

 歌詞はラララだが、それでもなにか伝わってくるものがある。

 イルナはよろこびと感謝を俺に表明してきた。

 俺に抱き着いて、頬をすりすりしてくる。


「はは……よかった。イルナが歌えるようになって」


 イルナは声が自分できこえることに喜びを感じていた。

 しばらくのあいだ、イルナはずっと歌を歌っていた。

 そんなイルナは、とある伯爵の家に買われることになった。

 商館でイルナにBGMとして歌を歌わせていたところ、それをたいそう気に入った客がいたのだ。

 言葉なんかも、ちゃんとした待遇で教育してくれるそうだ。

 

 イルナはお手伝い係兼歌い手として、買われていった。

 今日も伯爵家で、歌を歌って楽しく暮らしているといいな。


 

 

 

 伯爵家でのイルナの仕事は、歌を歌うことだった。

 食事の前に、客人を迎えるときに、夜の団らんのひとときに……。


 イルナの歌声は、屋敷中に響き渡った。

 それは、伯爵家の者たちだけでなく、召使いや使用人たちの心にも届いたようだ。

「イルナの歌を聴くと、元気が出る」と言って、皆が彼女を慕うようになったらしい。




 

 ある日、イルナから手紙が届いた。


『ご主人様へ

 

 私は今、とても幸せです。

 伯爵様が「お前の歌は、この屋敷の宝だ」と言ってくれました。

 屋敷の子どもたちも、私の歌を気に入ってくれて、一緒に歌ってくれます。

 毎日、ピアノを弾いたり、新しい歌を覚えたりしています。

 音楽がある生活が、こんなに楽しいなんて――。

 

 ご主人様、本当にありがとうございました!』


 俺は手紙を読みながら、ふっと笑った。

 どうやらイルナは毎日歌を歌ったり、ピアノを弾いたりして、伯爵家に音楽を届ける仕事をしているそうだ。

 イルナは、イルナの才能を活かせる場所を見つけたんだな。

  

 毎日が充実しているらしく、本当によかった。

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