第20話

それは、探していた元家令であった。


 カハル・マクマーンは被っていた帽子を脱ぐと、くしゃくしゃにして握り締める。息を整えるように何度も深呼吸をしたカハルが、落ち着いてきたところで口を開いた。


「お嬢様、何故、どうやってここへ」


「エドガー様に連れてきていただいたの」


「エファまで……」


「マクマーン様、ご無事でなによりでございます」


 日焼けした肌に、白いものが混じり始めた髪。目尻に刻まれた深い皺は、ソランスターにいた頃にはなかったものだ。優雅に羽根筆を握っていた手は荒れ、家令だった頃の面影はほぼ残っていない。


「お嬢様、お綺麗になられました。そして随分と大人になられたものです」


「マクマーンさん、感動の再会もいいが、貴方には少し聞きたいことがある」


「フォーサイスさんと言いましたか。お嬢様とはどのようなお知り合いで……」


 剣呑な目でエドガーを見ていたカハルに、レインリットは慌てて説明する。


「違うの、カハル! エドガー様はソルダニア帝国の伯爵様よ!」


 レインリットの言葉に驚いたカハルは、レインリットとエドガーを交互に凝視して、へなへなと床にへたり込んだ。


「ま、まさかではございますが、お嬢様は、伯爵様とご結婚なされたのでございますか」


 気が抜けてしまったのか、カハルが呆然としたように呟く。そしてその呟きを、カハルに遅れて家に入ってきたアンも聞いていた。二人してエドガーを見たマクマーン夫妻の顔は真っ青だ。


「それも違うわ、カハル。私とエファの二人だけでエーレグランツまで来たのよ。エドガー様は貴方を探す手伝いを申し出てくださったの」


「そうでございましたか」


「それで、その……エドガー様。私、うまく説明できそうにないので、どうしたら」


 レインリットは、話したいことや聞きたいことがありすぎてまとまらないというようにエドガーを見た。これは馬車の中で決めたことで、エドガーがレインリットの代わりに質問するための小芝居だ。自分だけではうまく聞き出せないかもしれないと話したレインリットに、エドガーが提案してくれたのだ。


「レイン、私が代わりに聞いても構わないかい?」


「はい、よろしくお願い申し上げます。カハル、エドガー様は私の身に起きたことを全てご承知なの……大丈夫よ、ファーガルお兄様のご友人でいらっしゃるから」


「ファーガル様の?! お嬢様、私には、とても信じられません」


「ティルケット砦の戦いで共に戦われたそうよ」


 カハルはエドガーに対して不信感を抱いているようだ。それも仕方がないことなので、レインリットは胸元からペンダントを取り出した。細い金色の鎖の先には、あの妖精のチャームがついている。カハルであれば、このチャームがなんなのかわかるはずだ。


「エドガー様が保管してくださっていたの。見覚えがあるでしょう?」


 すると、みるみるうちにカハルの顔がくしゃりと歪み、ボーっと立って成り行きを見守っていたアンが、よろけるように歩み寄ってきて、夫の側で崩折れた。


「はい、私は間近で拝見させていただきましたので……それは、ファーガル坊っちゃまの、ミァンのチャームです」


「ええ、その通りよ。カハル」


 レインリットは力強い目でカハルを見据える。自分たちは、このためにやって来たのだ。このままおめおめと引き退るわけにはいかない事情がある。

 

「ソランスターが大変なの。だから、お願い……知っていることを話してちょうだい」


 レインリットの懇願に、ノロノロと顔を上げたカハルは目の縁が赤くなっていた。そして、真っ直ぐに向き合ったレインリットに、虚をつかれたような顔になる。


「お嬢様、ご立派になられました」


 当然のようにレインリットを守るエドガーに向かい、深々と頭を下げた。




 ◇




 カハル・マクマーンという男は、堅実な家令だったようだ。エドガーは話を聞いていく内に、カハルに対して抱いていた疑惑を改める。今は、愚直なまでに一途である、という印象だ。


「レインの母君が亡くなられたことまでは、私の知っている事実と大差はない。問題はここからだ、マクマーン」


「はい、旦那様のことでございますね」


「そうだ。ソランスター伯爵は海軍将校を兼任していることで知られている。その手腕たるや、我らがソルダニア帝国の提督に匹敵するとのご噂だが……伯爵が職務を放棄して酒に溺れ、借金を抱えるくらい賭博にはまっていたというのは本当かね?」


 あまりに酷い転落ぶりだが、レインリットはそう聞かされていたと言う。直接会うこともままならなかったというのだから、きちんとした理由があるはずだった。エドガーの質問に、カハルは驚きを隠せない表情になる。


「とんでもございません! たしかに、旦那様は奥方様が身罷られてからそれはそれは大層気落ちしておいででした。しかし、職務を放棄するなどとは。その当時はイリオハンにおいて大暴動が起こり、シャナス公国海軍にも出兵要請がかかりました。ですから、あまりお屋敷には戻られなかったのでございます」


 それは、レインリットにとっても衝撃的な事実だったようだ。口を両手で押さえ、ゆるゆると首を横に振る。


「私、そんなこと、知らなかった」


「イリオハンへの出兵については極秘でありましたので、お嬢様が知らなくて当然でございますよ」


 カハルはレインリットを優しく諭すと、エドガーに厳しい表情を向けた。


「旦那様のことについて、お嬢様から他にどのようなことを伺っておりますでしょうか」


「確か、異母弟が一人いるそうだね? クロナン・ヒギンズだったか」


「とんでもございません、旦那様に異母弟などおりません!」


 カハルが目を見開き、大声を上げて長机を叩く。机の上にあった茶器が揺れ、中身が少し飛び散った。


「し、失礼いたしました……あまりにも、あまりにも酷い虚実であります」


「それは、何故そう断言できるのかな」


 エドガーはそれが謎であった。レインリットの言ったことを疑うわけではないが、クロナン・ヒギンズという男が、本物の異母弟に成りすましている可能性も否定できないのだ。しかし、カハルは「異母弟などいない」と断言した。


「今から二年ほど前、あの男は突然現れました。旦那様も知らない、異母弟だと言ってすり寄って来たのです。当然、旦那様は男の素性を調べるように言いました」


 カハルの声が小さくなり震え出す。言おうか言うまいか、葛藤があるのだろう。グッと目を瞑り、手を十字に切ると、その重い口を開いた。


「実は、先代様には、ヒギンズという姓の愛人がたしかにおられましたので、調査が難航してしまったのです。結局、クロナン・ヒギンズと名乗る男の主張は真っ赤な嘘だとわかりましたが……その時には、旦那様はもう」


「間に合わなかったのか。悔いても仕方がないが、これでクロナン・ヒギンズについては解決する。その時の資料は……ないんだな」


「持ち出せなかった」とカハルが項垂れ、その背をアンが撫でさする。もしエドガーがクロナンの立場であれば、虚偽の書類を作って虚実を事実にしてしまうだろう。クロナンが頭が回る男だと仮定すれば当然である。


「手がかりがまったくないわけではありません。実は、私たちがエーレグランツに移ってきたのは、その手がかりを突き止めるためでした」


「手がかり? マクマーンさん、失礼だが、貴方は解雇されたと聞いている。この国に来たのは働くためではなかったというのか?」


「はい、伯爵様……私たちは、あの男の正体を明かしたかったのです。解雇されてしまってはお嬢様にお会いすることもできず、ずっとずっと、気がかりでございました」


 マクマーン夫妻のすがるような眼差しに、レインリットがエドガーの上衣の裾を掴む。エファはといえば、元家令の衝撃の告白に泣き声を我慢してしゃくりあげていた。


「レインの危機は未だ継続中だ。偽物の叔父によって無理矢理結婚を仕組まれ、彼女たちは勇気を振り絞って逃げ出したんだ。いや、逃げたのではなく、ソランスター伯の称号を守り抜いている、と言った方が正しいな」


「お嬢様が、あやつに結婚を?! そんなことになっているなんて……ああ、やはり私共はソランスターから離れるべきではなかったのか!」


「悔いるのはすべてが終わった後でもできるだろう。クロナン・ヒギンズの正体について、手がかりとやらを教えてくれ。私はこれから、シャナス公国に渡るつもりだ」


「貴方様が、シャナスに」


「私はレインとそう約束した。伯爵の称号に誓って、ソランスターを彼女の手に返す、とね」


 レインリットの憂いが晴れるならば、エドガーはなんでもしてあげたいと思っている。それについて、レインリットは難色を示しているが、エドガーとて譲るつもりはない。


 寄り添うようにして隣に座るレインリットは、今何を考えているのだろう。カハルにはもう少し聞きたいこともあるが、父親の死に直接関わる話を聞かせていいものか悩むものがある。


「わかりました、伯爵様。あの男について、私が調べ、判明した事実をすべてお話しいたします」


 カハルの額から大粒の汗が流れ落ちる。


「あの男の本当の名は、ビル・キーブル。ファーガル様とご友人でいらっしゃったとおっしゃるのでしたら、お聞きになったことがおありかと」


「ビル……ビル・キーブル?」


 どこかで聞いたことがあるような名前だが、モヤがかかっていて思い出せない。エドガーは、「ビル・キーブル」と何度も呟く。ビルは、ウィリアムの愛称でもある。ウィリアム、ウィリアム・キーブル、ビル・キーブル、と繰り返す内に、エドガーの記憶が急に繋がり、ポンと手を打った。


「ウィリアム・キーブル連隊長か! ファーガルの直属の上司だったはずだ。狡猾なビル、ウィリアム・キーブル」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る