第3話「見つめる視線」
爽やかな五月の風が校庭を吹き抜けていく。体育の授業は校庭での球技大会。クラスを四つのグループに分け、ドッジボール、バスケットボール、バレーボール、ソフトボールを順番に回っていく。
私は最初にドッジボールのコートに向かった。幸いなことに星奈も同じグループだ。彼女はスポーツが得意だから、私たちのチームは有利なはずだった。
「よーし、みんな頑張ろう!」
星奈の声が響く。彼女は自然とリーダー的な役割を担っていた。髪を一つに結い上げた姿が颯爽として見える。
試合が始まると、星奈の活躍が目立った。素早い動きでボールを避け、的確な判断で相手を狙う。何人もの相手を次々とアウトにしていく。
「すごいね、望月さん」
隣にいた女子が感嘆の声を上げる。私もただ見とれていた。運動音痴の私は、早々にアウトになってしまい、コートの外から星奈を見守っていた。
星奈の動きには無駄がない。伸びやかな腕の振り、俊敏な足さばき。汗で少し濡れた前髪が、彼女の表情を一層輝かせている。
「佐倉さん、望月さんのこと、ずっと見てるね」
突然、声をかけられて我に返る。同じくアウトになって座っていた田中さんだった。クラスでは目立たない存在だが、観察力が鋭い子だ。
「え?そんなことないよ」
慌てて否定する私。だが、田中さんは不思議そうに首を傾げた。
「そう?でも、望月さんが動くたびに、佐倉さんの視線も動いてたよ」
言われて、はっとする。そんなに分かりやすかったのだろうか。心臓が早く鼓動し始めた。
「ただの...幼なじみだから。心配して見てただけ」
言い訳をする自分の声が、どこか虚ろに聞こえる。
「そっか」田中さんはそれ以上追及せずに言った。「でも、望月さんって素敵だよね。佐倉さんが見惚れるの、分かる気がする」
彼女の言葉には悪意はなかった。単純な感想だったのだろう。けれど、その言葉が私の胸に引っかかる。
試合が終わり、次はバスケットボールのコートへ移動した。今度は星奈とは別のグループになる。少し寂しいような、少し安心するような、矛盾した感情が湧いた。
バスケットボールの試合中、私は集中できなかった。田中さんの言葉が頭から離れない。「佐倉さん、望月さんのこと、ずっと見てるね」
そんなに明らかだったのだろうか。他の人にも気づかれているのだろうか。何より、星奈自身は気づいているのだろうか。
「佐倉!」
突然の声に驚き、顔を上げると、ボールが私の方へ飛んできていた。反応が遅れ、私はそのボールを取り損ねた。
「ごめん...」
チームメイトに謝る。今日は特に動きが悪い。星奈のことを考えて気が散っていたからだ。
休憩時間。水を飲むために端に寄ると、班の女子たちが星奈の話をしていた。
「望月さん、本当に運動できるよね。さっきのドッジボール、すごかった」
「そうそう、あんな風に動けたらいいのに」
みんなの賞賛の声。星奈のことを話題にする声を聞くと、胸の奥がもやもやする。嫉妬?いや、違う。ただ...自分だけが知っている星奈の一面があるという自負があったのに、それが揺らいでいる気がした。
次のローテーションでバレーボールへ移動するとき、星奈とすれ違った。
「陽花、大丈夫?疲れてない?」
星奈が私の表情を覗き込む。その優しさに、胸が痛んだ。
「平気だよ」
笑顔を作る私。星奈は少し不安そうな表情を見せたが、次のコートへと走っていった。
バレーボールのコートには、また田中さんがいた。彼女と同じチームになった私は、なぜか緊張した。
「佐倉さん、大丈夫?顔色悪いよ」
「あ、うん...ちょっと疲れただけ」
試合が始まり、私は必死に集中しようとした。しかし、隣のコートで星奈がプレーしているのが見えて、どうしても視線が彼女の方へ向いてしまう。
「佐倉さん、ボール!」
田中さんの声で我に返るが、またしてもボールを取り損ねた。このままでは迷惑をかけてしまう。深呼吸して、意識を目の前の試合に戻す。
しかし、試合後の水分補給の時間。
「佐倉さん」
田中さんが再び私に近づいてきた。彼女はペットボトルの水を飲みながら、何気なく言った。
「星奈のこと、好きなの?」
水を飲んでいた私は、その言葉に思わず噎せてしまった。咳き込む私を、田中さんは心配そうに背中をさすってくれる。
「ご、ごめん。なに...言ってるの?」
声が上ずる。頬が熱くなるのを感じた。
「あ、ごめん。変なこと聞いちゃった」田中さんは申し訳なさそうに言った。「ただ、佐倉さんの星奈を見る目が、友達を見る目じゃないなって思って」
返す言葉が見つからない。喉まで出かかっていた言葉が、飲み込まれていく。なんて答えればいいのだろう。否定すべきなのか。それとも...
「大丈夫、気にしないで」田中さんは優しく笑った。「私も、誰かをそんな風に見たことあるから、分かるんだ」
彼女の言葉に、驚きと安堵が入り混じる。田中さんは他にも何か言いたげだったが、次の移動の指示が出て、話は中断された。
最後のローテーション、ソフトボール。再び星奈と同じグループになった。しかし、私は彼女と目を合わせるのが怖かった。もし私の気持ちが顔に出ていたら。もし星奈に気づかれてしまったら。
「陽花、バッターボックスに立ってみない?」
星奈が私を誘う。彼女は常に私が輪の中に入れるよう気を配ってくれる。そんな優しさが、今は重荷に感じられた。
「いや、私はいいよ...下手だし」
珍しく彼女の誘いを断る私。星奈は少し驚いたような表情をしたが、無理強いはしなかった。
「分かった。でも、いつでも言ってね」
そう言って、彼女は他の子たちの元へ戻っていった。その背中を見送る私の目は、友達を見る目なのだろうか。それとも...
試合が終わり、着替えるために体育館へ向かう。更衣室は女子たちでごったがえしていた。星奈はすぐに周りの子たちと話し始めた。私は少し離れたところでユニフォームを脱ぎ始める。
鏡に映る自分の顔。頬が赤い。汗のせいだけではないことは分かっていた。
「陽花、背中拭いてあげようか?」
気づけば星奈が私の背後に立っていた。タオルを持って。
「あ、ありがとう...」
星奈の手が私の背中に触れる。その接触に、背筋が震えた。
「陽花、今日なんだか変だよ。体調悪いの?」
心配そうに聞く星奈。私は強く首を振った。
「ううん、大丈夫。ちょっと疲れただけ」
星奈は納得しないようだったが、それ以上は追及しなかった。
「そっか。無理しないでね」
彼女の優しさに、胸が苦しくなる。何も知らずに優しくしてくれる星奈と、複雑な感情に囚われている自分。この距離感が、痛いほど心に染みた。
教室に戻る途中、田中さんが私の横に並んだ。彼女は何も言わず、ただ微笑んだ。その笑顔に、私は少し安心感を覚えた。理解してくれる人がいるという安心感。
「ねえ、田中さん」
私は小さな声で言った。
「うん?」
「さっきの...質問のこと」
田中さんは立ち止まり、私の方を向いた。廊下の窓から差し込む光が、彼女の表情を柔らかく照らしている。
「私もよく分からないの」正直に言った。「星奈のことを見てると、胸がきゅっとして...でも、それが何なのか、自分でも...」
言葉が途切れる。田中さんは優しく頷いた。
「焦らなくてもいいんだよ」彼女は静かに言った。「気持ちって、すぐに名前がつけられるものじゃないし」
その言葉に、少し肩の力が抜けた。
「でも、佐倉さんの星奈を見る目は、とても綺麗だと思うよ」
田中さんはそう言って、クラスに向かって歩き出した。
私はその言葉を反芻しながら、ゆっくりと歩き出す。「綺麗」だと言われた視線。それは一体どんな視線なのだろう。友情?それとも、もっと別の何か?
教室に入ると、星奈が席で私を待っていた。彼女は手を振って私を呼んだ。その仕草が、いつもと変わらないのに、私の中では何かが確実に変わり始めていた。
「星奈のこと、好きなの?」
田中さんの問いかけが、まだ耳の中で響いている。その問いへの答えを、私はまだ見つけられないでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます