「好きって言えたら、たぶん泣く」

ソコニ

第1話「いつものように」


春風が桜の花びらを舞い上がらせる四月の朝。高校二年生になった私、佐倉陽花は窓の外を見つめていた。昨日の夜に設定した目覚ましより十分早く目が覚めてしまった。新学期の始まりに緊張していたのかもしれない。


「今日からまた星奈と同じクラスになれますように」


小さく呟いた祈りは、誰にも聞かれることはない。でも、本当はこの気持ちを誰かに聞いてほしいような気もする。


望月星奈。幼稚園から一緒の幼なじみで、私の一番の親友。中学では一年だけ別のクラスになったけど、高校に入ってからはずっと一緒だった。星奈は誰とでもすぐに仲良くなれる人気者。私はどちらかというと本を読むのが好きな、目立たないタイプ。正反対なのに、なぜか十二年間ずっと一緒にいる。


「はるかー!」


玄関のチャイムが鳴る前に、星奈の声が聞こえた。彼女はいつも、私の家の前まで来ると大声で呼ぶ。近所迷惑だと何度言っても直らない。でも、その声を聞くと心が温かくなる。


「おはよう、星奈」


玄関を開けると、制服姿の星奈が満面の笑みで立っていた。冬服から夏服に変わった彼女は、春の日差しに映えて見える。


「クラス替え、どうなると思う?一緒だといいね!」


星奈は朝から元気いっぱいだ。彼女の横を歩きながら、私は小さくうなずいた。


「うん、そうだね」


同じクラスになりたい。でも最近、その理由が少しずつ変わってきたことに気づいている。いつからだろう。星奈を見る目が変わったのは。


「あ、桜がきれい!ほら、陽花!」


星奈は突然、私の手を取って桜の木の下へと引っ張っていった。彼女の手は柔らかくて、少し汗ばんでいる。その感触に、私は動悸を覚えた。


「写真撮ろう!新学期の記念に!」


スマホを取り出す星奈。彼女は私の肩に腕を回し、頬を寄せてきた。シャッター音が鳴る。スマホの画面に映る二人の笑顔。星奈は満足そうだけど、私は少し照れている。この距離感が、最近妙に意識してしまう。


「陽花、顔赤いよ?大丈夫?」


星奈が心配そうに私の額に手を当てる。その仕草に、さらに頬が熱くなる。


「だ、大丈夫だよ。ちょっと走ったから」


嘘をついた。走ってなんていないのに。


学校に着くと、たくさんの生徒が掲示板の前に集まっていた。クラス発表だ。星奈は人混みを掻き分け、私の手を引いて前に出た。


「陽花!見つけた!私たち、また一緒だよ!2年3組!」


思わず胸をなでおろす。願いが叶った。星奈は嬉しそうに跳ねている。その姿を見て、私も自然と笑顔になる。でも、その笑顔の理由が、昔とは少し違うことに気づいていた。


教室に入ると、すでに何人かのクラスメイトが座席を確保していた。星奈はすぐに女子のグループに挨拶に行き、私は窓際の席に荷物を置いた。


「陽花、私ここでいい?」


気づくと星奈が隣の席を指差していた。また隣の席。いつものように。


「もちろん」


星奈の隣にいると、何故だか安心する。でも同時に、少し息苦しい感覚もある。彼女の一挙手一投足が気になって、自分の感情をコントロールするのが難しい。


「ねえ、陽花。今年もよろしくね」


真っ直ぐな瞳で言われると、胸が締め付けられる。


「うん、こちらこそ」


短い返事しかできなかった。本当は、もっと言いたいことがあるのに。


ホームルームが始まり、担任の先生が入ってきた。自己紹介や諸連絡が続く中、私は時々、横目で星奈を見ていた。彼女は真剣に先生の話を聞いている。長いまつげ、通った鼻筋、柔らかそうな唇。全てが完璧に見える。


「では、これから席替えをします」


先生の言葉に、クラス中がざわめいた。くじ引きだという。星奈と私は顔を見合わせる。高校に入ってからの席替えは、いつも運良く近くの席だった。今回はどうだろう。


「陽花、またいい席になるといいね」


星奈は笑うけど、私は少し緊張していた。もし離れた席になったら、彼女はすぐに他の友達と仲良くなるだろう。私はまた本を読む一人の時間が増える。それはそれで、昔の私なら平気だったはずなのに。


くじを引く。「18番」私の番号を確認する。座席表を見ると、窓側の後ろから二番目だった。次は星奈の番だ。彼女はくじを引き、「17番」と呟いた。


「陽花、私の前の席だ!」


星奈は嬉しそうに言った。前後の席。近いようで、少し寂しい。でも、これも縁かもしれない。


放課後、星奈は部活の勧誘を見に行くと言い出した。私は図書委員会に入るつもりだったので、別行動になった。


「また帰りに合流する?」と星奈が言う。


「うん、いつもの場所で」


私たちには校門前の桜の木の下という"いつもの場所"がある。そこで待ち合わせるのは、もう習慣になっていた。


図書委員会の説明を受けた後、私は校門へと向かった。桜の木の下には、まだ星奈の姿はない。少し早く着いてしまったようだ。


風が吹いて、桜の花びらが舞い落ちる。そのうちの一枚が私の肩に止まった。ふと、午前中に撮った写真のことを思い出す。スマホを取り出し、その画像を開く。


写真の中の星奈と私。親友同士の、何気ない一枚。でも、自分の表情をよく見ると、星奈を見つめる目が少し違う。友達を見る目ではないような。


「これって、もしかして...」


言葉にするのが怖い感情が胸の中にある。この先、どうなるのだろう。このままでいいのか。変わりたいのか。答えが見つからないまま、私は立ち尽くしていた。


「陽花ー!待った?」


遠くから星奈が手を振りながら走ってくる。夕陽に照らされた彼女の姿が、まぶしく見える。


「ううん、今来たところ」


また小さな嘘をついた。星奈の笑顔を見ると、心が揺れる。このままの関係でいいのだろうか。でも、何かが変わってしまうのも怖い。


「じゃあ、帰ろっか」


星奈が差し出した手。いつものように、私はその手を取った。温かい。安心する。でも、少し切ない。


「うん、帰ろう」


いつものように二人で帰る道。いつものように話す他愛のない会話。いつものように笑い合う。


でも、私の中の何かは、もう「いつも」とは違っていた。


それに気づいた春の日の帰り道。これから私と星奈は、どんな道を歩むのだろう。

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