四.一〇一匹百鬼夜行

【ケルベロスとは────ギリシャ神話に登場する冥府の入口の番犬であり────三つの頭と蛇の尾────さらに胴体には────何匹もの蛇の頭をもつとされる】

 手元でグルグルくんから機械的な解説が流れて来た。なるほど普通に役立つ。

「はえぇ、もっとこう日本的な地獄かと思った。……頭ひとつしかなくない?」

 びっくりサイズだけど普通に犬だよね?

「いや、日本の地獄よここは。あいつは地獄の獄卒犬ごくそつけん。よく見かけるからケルベロスと名付けた」

「後付けだった!」

 ギリシャ神話は関係ないのか。まあ実際に遭遇したら困るからよかった。紛らわしい。

「いやまあ、普通にこわ。え、噛むの?」

女童めわらべよ。子供の魂の匂いがすル。誰を連れてル?」

「しゃ、しゃべった!」

 流暢に人語を話す、渋いボイスのお犬様に感動。これこれ、こういうワクワク! 新鮮な興奮につい前のめりにズッコケる。が、ぐいっとまれ子さんが握った手に指を爪ごと食い込ませてきた。黙ってろって事かな? 痛い。

さい河原かわらの新入りだよ。友達になったから案内してたんだ。すぐ戻すよ」

「新鮮な匂いがスる。ちゃんと死んでいるのカ? 生の魂ならクレクレ!」

「死んでるよ! この魂は腐ってるから、あっちに行きな。しっし!」

 ひどい言いぐさである。普通に悪口。腐ってないよ! しかしなるほど。こいつは確かに鼻が利くだろうな。犬だもん。

「だったらビザを見せロ! 不法侵入の魂に霊権れいけんはないからナ。喰ろうてヤるゾ!」

 肉、肉! と尻尾ふりふりだ。ビ、ビザだと? てか霊権ってなに? 人権みたいな? それないと犬に喰われるって治安まで死んでない?

(まれ子さん、ビザってどこで取れるの? 手続き踏んだ方がいい?)

(おバカ! 地獄で正規手続き踏んだらほんとに死んじゃうよ。しかも地獄行き!)

 ひそひそと提案するも即却下された。ぐぬぬ、確かに詩磨ちゃんはあんまり賢くないんですけど流石に知り合って初日におバカのレッテル貼りはあんまりである。

やましいことがないのなら、法を守る姿勢を示すことが大事じゃないかな?」

「疚しいんだよ、自覚して。隠れて生きよ」

 知的アピール失敗。グルルルル、と喉を鳴らすケルベロスに向かってまれ子さんは持っていた灯籠を投げつけた。容赦ない。

 小さい灯が儚く消えて、あたり一帯が一瞬、完全な闇になる。しかしぼっと灯籠に灯っていた青い炎がケルベロスの短い尻尾から再度燃え上がった。何かそういうライターみたいだ。

「ななななな、何をするカ、クソガキ! 消せっ尻尾ガ禿げル!」

「生意気なんじゃい、駄犬だけんが。思い知れ! 分からせたる!」

 キャウン、キャウンと哀れな鳴き声を上げて、燃える尻尾を追いかけてクルクル回り始めた。さながらワルツ。うーん、ショパン。

 まれ子さんはしゃがみながら、手すりの壁際にわたしを引き寄せて囁いた。なんか手慣れててかっこいい。ドキドキしちゃう!

(まれ子さんがやつを追っ払うから。ここで、じっとしてて。絶っ対動いちゃダメ! じっとしてて) 

 大事な事なので二回言い含めてまれ子さんは手を離し、消えた。

「必ず戻るからっ。じっとしててね。まれ子さんとの約束だぁ!」

 最後までしつこい念押しがどこからか聞こえてきた。ええ、どこ?

「お手したら消してあげるよー? ほら、犬さんこちら! 手のなる方へ!」

「このメスガキー!」

 いつの間にか、手すりの上からまれ子さんの声がしたかと思うと、手拍子が上や下、様々な方向に移動しながら聞こえる。ラップ音! すごい、さすが怪異? 瞬間移動能力があるのだろうか。

 ケルベロスはまんまと手のなる方へ、手のなる方へ誘導されていき……消えた。

 

 ……ぽつん。

 本当にひとり取り残されてしまった。人も音も、存在すらない闇に心臓の鼓動だけが内側から響くように主張している。急な手持ち無沙汰と孤独にどっと不安が押し寄せた。

 だって心臓の音とかこんなに聞いたことないよ。まれ子さんがいないだけでこんなにも世界が一変するとは。やば。

「……いやいやいや、ここでじっとしていろとか無理すぎる。いつまで? 戻ってくるよね?」

(じっとしてて。絶対、動いちゃダメ! じっとしてて )

  Be Cool落ち着け.……うん、オッケー。短い付き合いでもまれ子さんは頼もしい。わかる。あの念の入れようからわたしへの評価の低さが若干匂わされたけど舐めないでよね。

「よっしゃ、任せろ! 小さい子じゃないからね。じっとしてるくらい余裕余裕!」

 いい子にしてるから早く戻って来てください!

 まれ子さんに着いてきて進んだこの道は真っ暗なのだ。そして橋の上。壁のようになっている大きな手すりの並びに背を預けてドカリと座りこむ。

 お行儀悪いけど今はとにかく音をたてたかった。

「……グルグルくん、この辺何かオススメある?」

【────】

 反応無し。無視じゃん、感じ悪いな。

 その時。

 ――――チリン。

 突然響いた短い鈴の音。だけどこの無音の闇の世界でその音は嫌でもわたしを引きつける。

 恐る恐る視線を上げると確かに。今まで人の気配もなかったのに橋の道を行列を組んで渡る一団がそこにはいた。

 漂うように、音もなく。時おり鈴の音を鳴らしてその存在を闇から主張している。そうかと思うとぼんやりとした小さな月のような灯火をした人魂が行列の辺りを照らして纏わりついているので姿が見えてしまった。

 ぎょろりとした目玉を持った異形の姿だ。片目のヤツもいる。角や牙を持った者や手足の生えた道具みたいな化け物たち。古びた着物の見すぼらしい異形の集団が突如賑やかしく現れた。

 お、お化けじゃん‼ 上げてしまいそうな悲鳴をなんとか押し殺して両手で口をふさいだ。

【────百鬼夜行ひゃっきやこう

 無反応だったグルグルくんの不気味な音声が頭の中に響いた。

【いろいろな妖怪が、夜中に列をなして練り歩くさまを────百鬼夜行という。それを間近で見ると、────その人は死んでしまう】

「ふぁ!?」

 いきなり死亡通知。今言わないでよ! ヤバいじゃん。

【なお、ここは地獄で生身ではないので目撃してもただちに影響はない。────息を潜めていてください】

「ほ、本当に見つからない? 襲ってこない?」

 ただちに影響が無いとは? いつか影響あるの? ヤバいんじゃないかと不安の中、小指の友情コードから漏れる温かな青い光がわたしを包んだ。守られてる感覚に少し落ち着く。

(これがまれ子さんの力かな?)

 ピンとした細い糸は真っ直ぐ張り詰めている。どこかでまれ子さんに繋がってるんだ。

 わたしから見えるその集団から、どうやらこちらは見えていないらしい。グルグルくんの音声もやはり聞こえていない。見えない壁でもあるかのように、異形の集団は脇目を振らずに前へ前へと行列を流れていったので何とか恐怖をじっと耐えることができた。

 チリン、チリンと音を鳴らし通り過ぎる声なき集団を横目に見送る。人間じゃない。幽霊っぽいまれ子さんとも違う。そんな未知の、怪異のぞっとする存在を目の当たりにしてふと思った。あちらに引き込まれたらきっと帰れないと。

 小指の糸の線がわたしと百鬼夜行を隔ててる。

 ――この境界線を、きっと超えては行けない。

(あわわわわ)

 まずい。騒げない分、心臓の鼓動は爆発寸前だ。ずっと息を潜めているけどこの行列だいぶ長いぞ。く、苦しい。さながら地獄のエレクトリカルパレード……! 

 絶対持たない。眺めているうちに恐怖が恨めしさに変わり、あまりない集中力が切れてきた。

「ふ、ふはっ」

 ――――チリン。

 未だ途切れることない行列がピタリと止まった。ちょ、やめてよぉ。

 ざわ……ざわ……。


 ……何喋ってるかわからないけど異形達がざわつき始めて嫌な予感しかしない。未だにこちらに視線は来ないにしてもキョロキョロと辺りを探っているもの。

「ドコドコドコドコッ!?」

「イルイルイルイル!」

 列を外れて手当たり次第に壁沿いをバンバンと叩く奴らがいた。見えない存在への攻撃かな? パラパラと壁の瓦礫が砕けて落ちる。殺意が高い。怖すぎてフリーズしちゃう。

【────ここに13番口入り口あります。入りますか?】

 グルグルくんの音声が頭に響き床の歪みに気づく。

(あれ?)

  穴? 手で触れるとそれは段差のように下に続いていた。隠し階段だ。橋の下にさらに道がある。

(なにこれ?)

【この橋は二階建てで階段下は鉄道となってます。────進みますか?】

 チカチカと光りグルグルくんはすでにナビモードだ。階段下、潜り込むように覗き込むとそこは湧き上がる光に満ちた世界が視界に差し込んできた。

 階を隔ててまさに別世界。

(必ず戻るからっ。じっとしててね!)

 異形の腕が手探りでこちらを掴もうとあちこちから伸びてくる。相変わらず異形の連中に見えてはいないんだけど頭上に手が伸びてきて思わず避ける。地面に這いつくばる格好がツラい。だけどバレてない、バレてない!


「イたぞ」

 ゾッとした。

(……まれ子さん、ごめん!)

 思うやいなや、わたしは階段を下っていた。グルグルくんのナビも点滅して急かしてくる。大丈夫だよね? 

  後頭部を掠めるようにぞわりとナニか手のようなものが空ぶる気配がした。

「────イナイ」

 ……滑り込みセーフだった。鳥肌が止まらない。

【ルート変更────階段下、階段下。────これより先、地獄道中13番口に入ります】

 階段の下の世界。まさにここからが本当の地獄の入り口だったとは。その時のわたしは知るよしもなく、ただ階段を駆け下りた。

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