第3話 新たな未来



「これがさっきまで弾いてたやつなんだけど……」

 神崎先輩が楽譜を手渡してくれたので、軽く見てみる。……楽譜ってこんなに難しかったっけ。


「……その、……難しくないですか、これ」

「……確かに。ふふっ、中級者とか上級者向けだったね、これ。小さい頃から弾いてたから慣れちゃってたのかも」


 そういえば、ピアノが上手な人は小さい頃から習っている人が多い。小さい頃の方が絶対音感を習得しやすい、みたいな理由があったような気がする。


「何歳くらいから弾いてるんですか?」

「私は3歳から習っていたみたい。その時の記憶は勿論無いんだけどね」

「3歳からずっと続けてるんですか!? ……凄いな」

「もう習慣になっちゃってるからね……お医者さんにはあまり弾かないよう言われてるんだけど、弾かないと落ち着かないんだ」

 右手を擦りながら先輩は寂しそうに言った。そういえば、どんな怪我なのだろうか。


「その、怪我って……治らないんですか?」

「……治らない、と思う。神経損傷なんだ。痺れてたのに、コンクール前だからって無理して悪化しちゃった」

「そう、なんですね……」

「ふふ、ごめんね。こんな話しちゃって。感覚が鈍くて、細かい所が上手く出来ないってだけで、さっきみたいに少しなら弾けるよ」


 先輩は平気そうに言うが、その表情はとても納得出来ていないような、やるせなさを感じた。


「……それなら、なんで合唱部、辞めないとなんですか」

 出来るのなら、諦めて欲しくない。昔から続けていたことが突然出来なくなるなんて。


「……今日ね、先生に呼ばれたんだ。『少し早いけど、もう引退しなさい』って。診断書とか見せてたから、心配して言ってるんだと思うんだけど。それで少しでも反抗したくて、きみ、榊くんが来るまで弾いてたんだ」


 新入生にピアノが弾ける人が居れば、神崎先輩に無理させる必要も無い。適切な判断なのだろう。

 それでも、引退は納得がいかない。


「…………その、俺が合唱部に入れば、神崎先輩が教えてくれますか?」

「……どうだろ。今の2年生に後継者が居ないから、新入生に誰も希望者が居なかった時は、私が榊くんに教えてあげられるんじゃないかな。夏までに新入生が入ってこなかったら、……先生が弾くことになると思う」


 確かに、合唱部においてピアノは基本1人だ。それでも、神崎先輩に少しでも多くの時間、ピアノに触れていて欲しい。

 そう思ってしまった以上、この選択肢しか俺の中には存在しない。


「俺、合唱部に入ります。他にピアノが弾ける人が居たら無理ですけど、……誰も居なかったら、神崎先輩に教えて貰いながら頑張って、後継者になります」


 正直を言うと、俺に出来る自信が無い。それでも、神崎先輩に出会ってしまったから。昔からやりたかったことの1つではあるし、何より前世と比べて時間がある。


 これ以上の好機は訪れない。始めるなら今だ。


「……ふふ、頼もしいね。きみは」

「……笑わないでくださいよ。それに、新入生に完成品が居たらこの話は全部終わりですし……」

「ごめんね、榊くんが言って欲しかったこと全部言ってくれたから。結果は分からないけど、今日から、よろしくお願いします」

「……! それって……」

「部活が始まるのは少し先だし、放課後に第二音楽室集合ね。榊くんに教えながらなら、私が弾いても怒られないでしょ?」


 意地悪な顔つきでそう言った神崎先輩を見て、心底嬉しくなった。勿論、弾きすぎはダメだ。これ以上悪化させる訳にもいかない。

 それでも、先生という名目で『神崎先輩がピアノに触れる時間を増やす』ということはクリア出来た。


「まだ時間大丈夫?」

 神崎先輩に聞かれ、咄嗟にスマホを見た。が、そこには朔夜からの雑談メッセージしか表示されていない。


 那由多はまだ終わっていないようだ。久しぶりだと言っていたし、難しい話で盛り上がっているのだろう。

「少しなら大丈夫かと」

「よかった、じゃあ早速基礎からやっちゃおうか!」


 言葉の通り、最初は楽譜の読み方から指の動かし方まで。基礎的なことをひたすらやった。

 神崎先輩は優しく尚且つ的確に教えてくれて、本当の先生も向いてるんじゃないかな。なんて勝手に思った。


『終わったどこ』

 20分後くらいに那由多から連絡が来た。思っていたよりずっと遅い。神崎先輩に出会っていなかったら、俺は暇すぎて干からびていただろう。


「すいません、時間になっちゃいました」

「あら、今日は解散だね」

「また明日、よろしくお願いします!」


「あ、そうだ。よかったらLIME交換しない?」

 そう言われ、またもQRコードを読み取った。今日だけで2人目、累計5人目!

 トーク欄が色とりどりになって少し嬉しい。それに、いつでも神崎先輩と会話できるのも嬉しい。


「ぁっ……」

「ッ……!」

 神崎先輩が椅子から立ち上がり、その拍子に体をふらつかせた。


 咄嗟に動いてくれた体のお陰でなんとか倒れるのを阻止できたが、腰に触れてしまい申し訳なくなる。細かったな、柔らかかったな、なんて考えたくもないことをつい考えてしまう。

 すぐに手を離したが、神崎先輩に対して変なことを考えてしまった本能を怨まずにはいられない。


「……大丈夫、ですか……?」

「……ふふ、優しいね、きみは」


 神崎先輩は目を細め、優しく呟いた。


「そんなこと、ないですよ。誰だって同じ状況になったら、神崎先輩を絶対助けると思います」


 心の底から、本当にそう思っている。俺は優しい人間ではない。神崎先輩だったからこそ、とっさに体が動いてくれたのだと思う。

 ……下心を抱いている訳では無い。人間として尊敬したい。今日出会ったばかりなのに、既にそう思わせている先輩の人間性の賜物だ。


「いや、優しすぎるよ、榊くんは」


 それでも神崎先輩は続けた。


「嬉しかった。今まで、誰にも褒められたことなんて無かったから。難しい譜面が弾けるようになっても。じゃあ次って、もっと難しい譜面を渡される人生だったんだ」

「っ……それは……」


 何も言えなかった。俺は思ったことを全て口に出していただけだけ。それに、周りの人も挑戦する度褒めてくれる人達ばかりだった。

 ……同じ待遇じゃない以上、俺は何の慰めの言葉も出せない。


「だからね」


 神崎先輩が言葉を紡ぎかけたが、音楽室の中に沈黙が流れた。


「ごめんね、変な話しちゃった。明日から楽しみにしてる。だから、遅刻せずちゃんと来てね」

 神崎先輩はいつも通り、明るく優しく。温かみのある声でそう言った。


 あの言葉の後が気になったが、追求はしなかった。


 そのまま神崎先輩と別れ、那由多と母さん達が待っている玄関口へ向かう。

 ……母さん、その単語だけで、つい前世のことを思い出してしまいそうになる。


 今は違う。血が繋がっている気が全然しないだけで母さんは母さんだ。なんとかそう思うも、どうしても違和感は生じる。この考えにも、いつかは慣れるのだろうか。少し寂しさも抱いた。


 しんみりしてしまいそうになった為、朔夜から来ていたLIMEをちらっと見る。


「歩きスマホ」

 朔夜からの雑談に返事をしていたら、突然話しかけられた。

 ジト目でこちらを見つめる那由多がそこには居た。


「お母さん待ってるから、はやく」

「ちょ、引っ張るのやめ」

 袖を引っ張られて、あっという間に玄関に着いた。

 既に下校時間から1時間を過ぎていて、誰ともすれ違わなかった。

 1時間か。体感はもっと長かった。

 つまらなかった訳では無く、濃密すぎたのだ。神崎先輩との時間は。


 母さん達と合流して、『入学式』の立て看板の前で那由多と写真を撮った。

 別に要らなくないか、とも思ったが那由多に押され何も言えなかった。意外とこういう、気持ちが優先される非合理的な行為が好きなのだ。


 そのまま那由多達の家に行って、約束通り飴を作った。

 ココアパウダーを入れた変わり種が1番好みだったが、那由多には不評だった。


 那由多に新しいことを教えて貰うのはやっぱり楽しい。昔から、ずっと。


 家に帰って、明日の用意をしたり、朔夜や神崎先輩の話をしたら尊にダル絡みされたり。そんなことをしているとあっという間に晩御飯の時間になる。


 濃い一日だった。といっても、死んでから1日目なのだから当然だ。

 そうだ、パソコンについて教えてもらおうと思っていたのに、母さん達が居たのもあって聞くのを忘れていた。


 今からまた家に行くのも迷惑だし、電話を掛けてみようかな。そう思ってメッセージを開いた。

『いまから電話してもいい?』

『いい』

 2秒で返信が来た。どんなに熱中していても、すぐに返信をしてくれる。


「……もしもーし、今大丈夫だった?」

「ん、ちょーど終わったとこだった」

「良かった、聞きたいことあるんだけど」

「まって」

 早速本題に入ろうとすると、那由多が遮った。


「先に聞かせて、LIMEに登録したの誰」

 そういえばさっき話していなかったな。……というか、なんでバレてるんだろう。

「興のスマホのセキュリティ、緩すぎるから。監視してるの。で、誰」

 監視されていることに一切気が付かなかった。……だから緩いって言われるんだろうな。


「はは、知らなかった……。『朔夜』は同じクラスの、隣の席で。話しかけてくれて仲良くなった感じ」

「『神崎先輩』は?」

「那由多待ってる間に、音楽室で会って。ピアノ教えてもらうことにしたんだ。やりたかったことだし」

 そう言った後、那由多からの返信が聞こえなくて焦った。


「ん、ふふ」

 俺が何か言おうかと思った所で那由多の小さい笑い声が聞こえた。

「……笑ってる?」

「うん。……興らしいね」

「……どういうこと?」

「気にしなくていい。で、聞きたいことは」


 那由多まで教えてくれない。女子ってみんなこうなのか……?

 モヤモヤしながらも、朔夜に聞いたゲームの話を那由多にする。


「あー、興の家にあるやつは無理。出来ないことは無いけど、動作悪い」

 バッサリ切られる。俺もやってみたかったのに……。


 母さんにパソコンかゲーム機を買って! とは簡単に言えない。諦めるか……そう思っていたが、那由多が「うちのPCならよゆーでいける。2人でも、3人でも」と言った。


「……!」

「来てくれるなら」

「行く!」

 絶望からの逆転。3人まで一緒にプレイ出来たりもするみたいで、いつか那由多と朔夜と出来るのかな。など考え、ワクワクが一層高まる。


「ん、ダウンロードとか、しとくから。一緒にやろ」

 考えていたことが口に出ていたのかと思った。那由多も楽しみみたいで、声が少し高くなっている。


 その後も、ずっと話をした。2人きりで話したかったことを。

 那由多の隣の席の男子がずっと寝てた話とか、朔夜や神崎先輩に教えて貰ったこと。担任の話とか。


 気がつけば0時を過ぎていて、慌てて布団に入った。楽しみな事がどんどん増えていく。

 女神を信用してよかったのか、は分からない。


 多分今後、ずっと分からないだろう。それでも今日は女神に感謝しながら目を瞑る。

 この先もずっと、感謝できますように。


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