アイドルが好きだ

 死んだと思ったら、推しに転生したってどんなオタクの与太話だよって思うでしょ。でも、鏡に映る私の姿が他の誰でもない、少し幼い吉良星南、その人だった。

「どういうこと?」

 驚きのあまり、つい声に出してしまった。試しにどこかを抓ってみようかと思ったが、もし本当に推しの体だったときに申し訳なさでどうにかなってしまうかもしない。でも、確かめるには……

 苦渋の決断であったが、妥協して後の残らなそうな肘のところをぎゅっと抓る。

「いたっ」

 やっぱり痛みがある。ということはこれは夢ではなく現実であることが確定してしまった。

 なんで?と思い周りを見るとそこにはナイフやらロープやらが散乱していた。これはもしやと思い、更に部屋を散策する。

 部屋には誰もおらず、家具も少ないことから一人暮らしであることがわかる。歩いていると、何かを蹴ってしまった。拾い上げると、それは星南ちゃんの日記だった。

 木原世奈きはら せな、それが彼女の本名だった。日記にはこれまでの日常や、その日あったことが書き綴られていた。アイドルになるために一人上京してきたらしい。最初はキラキラとした都会への憧れやアイドルを目指す自分の成長に日々一喜一憂している様子が見られる。しかし、読み進めていくにつれて、それはだんだんと色を変えていく。


 辛い、痛い、声が出ない、何回も注意される、私だけできない、足が動かない、陰口が煩わしい、お金がない、お腹すいた、もう無理、諦めたくない、頑張らなくちゃ、お母さんに会えない、イライラする、なんであの子が合格するの?、私も体を……、それだけはいや、でもどうしたら、お願いです神様私を救ってください、もうダメだ終わった、なんもやる気出ない、そうだ死


 そこで読むのをやめたが、もうほとんど続きはなかった。これを見れば、彼女が何をしようとしていたのかなんて、痛いほどわかってしまう。

 わたしもそうだったから。無力感に苛まれ、自分だけ世界に仲間外れにされたような、そんな惨めな思いに彼女は……

 ここに私がいたら、抱きしめてあげたかった。私はあなたに救われたんだと、教えてあげたかった。

 ここで彼女を、"吉良星南"を終わらせてはいけない。

 私が、"推し"を輝かせるんだ。


 それから私は、アイドルとしてのトレーニングを始めた。星南ちゃんの体が馴染むか心配だったが杞憂に終わった。むしろ、動きやすいまである。これまで何度も見て覚えていた彼女の振り付けは容易にこなせた。さすが、アイドルの卵の肉体だ。以前のヒキニートの体ではできないこともできる。これならと思い、さっそくアイドルのオーディションを受ける。もちろんそのアイドルグループの名前はファイブスターだ。


 結果は合格、ひとまずは安心した。このグループに所属できなきゃ何も始まらない。このまま上手くいくかと思いきや、そんなことはなかった。

 現役のアイドルのレッスンは一味も二味も違った。質、量、そしてスケジューリング、さまざまな課題が積み重なる。

 さらに、グループの雰囲気もあまり良くなかった。ファイブスターなんて名前で交代と脱退が起こってメンバーが6人、そりゃ裏事情が一つや二つある。星南ちゃんの地声は低くく、高音域の歌唱は難しいのだが、先輩たちに高音パートをあてがわれ、無理やり歌わされたことによって、声が枯れたこともあった。そんな人間関係によるストレスとの戦いも壮絶なものだった。

 正直に言うと、何度も挫けそうになった。気を抜けば、彼女の日記に書かれていたあの言葉を吐き出してしまいそうなほどに、追い込まれることもあった。


 だけど、そんなことは弓月芽衣が許さない。


 推しが、吉良星南の煌めきが燻ることなんてあってはいけない。私がやらなきゃ、私が星南ちゃんを未来永劫輝かせるんだと、そう自分に言い聞かせた。



 今日は初めてのステージ、普通なら緊張するかもしれないけど、弱々しい立ち振る舞いは吉良星南には似合わない。

 自己紹介はアドリブでと言われた。口上はもちろん決まってる。


「見つけてくれてありがとう!輝かせてよ幾星霜!その先を私は歩んでいくから!あなたが照らした一等星!届かせるよ一万光年!グループの末っ子、吉良星南です!」


 その言葉を聞いた観客は、皆笑顔へと変わっていく。オレンジ色のサイリウムがぽつぽつと灯っていき、燃える海のように唸りをみせる。

 あぁ、これが、彼女が、星南ちゃんが見ていた、アイドルの景色だったんだ。ここまできてよかった。星南ちゃんを、ここまで連れて来れて、本当に──


 あ


 そっか。

 そうなんだ。


 私は、アイドルが好きだ。大好きだ。




 初ライブは大成功を収め、意地悪だった先輩からの態度も掌を返すように変わっていた。打ち上げを断り、SNSであるアカウントについて検索する。


「やっぱり……」


 そこには生前の私のアカウント、弓月芽衣のアカウントが存在した。

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