烏と太陽 3
「は? お前今なんつった」
「だから、締木って奴とすぐそこの喫茶店で話したんだよ。俺が元いたグループの元締めの人間。そうだろ」
「……そうだ。お前、何かされたのか」
矢至は須川の問いに首を横に振った。
管理局のオフィスの端、パーテンションで区切られた一角。この研修室で矢至が須川と話をするのも久しぶりだった。だが懐かしさに浸っているわけにもいかない。
須川の他に声を掛けた鹿倉と本郷も、矢至の話に興味を示したようだった。本郷は矢至の傍に寄った。
「矢至、締木とはどんな話を」
「勧誘だよ。指導役が足りてないからやらないかって。雑用しかしてなかった俺にできるわけないのにな」
「情報不足だな。もしくは遺骸をばらまく商売に関しては本当に大鱗達に任せきりだったのか……?」
「どっちにしたって、矢至に声掛けるこたねえだろ」
須川は舌打ちをした。貧乏揺すりでも始めそうな勢いだ。
「奴らが使っていた顧客リストも管理局で回収したし、主力の資金回収源を失って焦ってるんだろ」
本郷はそう言うと締木の電話番号が書かれたメモ用紙を見つめた。
「締木は姑息で慎重な男だ。取り締まり課の方で素性までは掴めていたらしいが、逮捕できそうな証拠がまるで揃ってない。だから堂々と接触してきたんだろ。今回矢至に話した内容も証拠にはなり得ないようなのばっかりだ」
「……締木のこと、俺は何も知らなかったし聞いてなかった」
「矢至、捜査で得た情報は例え当事者であっても話せるわけじゃねえんだ」
机の上には倉庫で置かれていたファイルとは厚みがまた違った、大鱗達に関する資料と思わしきファイルが積まれていた。
何枚も張られた付箋に何度も捲られ擦れた表紙や、厳つい太字で『調査資料』と書かれている物々しい雰囲気から、矢至が気軽に見られるものでないのはなんとなくわかる。
須川の言葉に補足説明をするように、鹿倉は言葉を付け足した。
「それに矢至君、君が大鱗達に切り捨てられたとわかっていても、あそこに属していた以上、完全に関係が切れているかどうかは判断できてなかったんです」
「疑ってたのか?」
「最初は僅かに。でも次第に信用してもいいとは思ってました。それでも、調査の情報漏洩の危険が少しでもあるなら、話すわけにはいかないんです。ご理解を」
「……わかった」
矢至は声を詰まらせつつ頷いた。
「締木のことを詳しく話して貰えたってことは、奴とは関係ないって判断されたってことでいいんだよな」
「ああ。さっき喫茶店に確認しに行った部下から連絡があった。お前が会っていたのは締木で間違いない」
「そこまで確認するのか。まあそのおかげで疑いが晴れたなら良かったよ」
矢至はつまはじきにされていたような孤独感を振り払おうとして無理に笑った。横にいる須川はそれに気付いているのか、申し訳なさそうに矢至の方を見ている。
「……なあ、もし証拠が集まれば締木も逮捕できるんだよな」
「当たり前だろ。だがそれができねえから奴は野放しになってる」
「なら俺が締木のところに行って証拠を集めてくればいんじゃないのか」
「あ? 駄目に決まってんだろ、危険だ。お前に声を掛けた内容だって本当のことかもわかんねえだろ」
須川は眉間の皺を濃くし矢至を睨んだ。矢至にとっては見慣れた顔だ。怯むことはなかった。
「だけどナルのことも追ってるこの状況で、人手が足りてないのは俺でもわかる」
「だからって、たかが雑用係にさせられる仕事じゃない。矢至、お前は何もするな」
「けど何もしなきゃ、あんたらが無理するだろ」
矢至の言葉に須川達は目を見開いた。しかし、頑なな雰囲気は少しも変わらない。
「……締木がお前のことを信用してるかもわからないだろ」
須川の言葉に、矢至は唇を噛みしめた。
====
クーラーボックスに肩下げのカバン。両方大した重みはないはずだが、やけに息が上がる。緊張してるせいだろう。矢至は決して楽ではない登山道を歩きながら、指定された場所を目指していた。アスファルトで舗装はされていないが、幸い車が通れるように道は整えられている。轍が残る道を踏みしめ、確かな足取りで歩いて行く。野次馬根性で木からこちらを見下ろしている烏が、馬鹿にするように鳴き声をあげていた。
矢至が足の筋肉の疲労自覚してきたころ、少し開けた場所に出た。日除けで目隠しされたワンボックスカーがエンジンを掛けたまま停まっている。傍には締木と、厳つくガタイの良い二人の男がいた。恐らく部下だろう。
矢至に気付いた締木は片手をあげた。
「連絡くれてありがとう。管理局のことは気が変わった? それとも偵察にでも来たのかな」
探りを入れることを忘れない締木に矢至は唇を堅く結び、肩に掛けいたクーラーボックスとカバンを突き出した。
「中身は」
「管理局からかっぱらってきた遺骸と捜査資料。両方大鱗に関するものだ。これで俺の意思はわかるだろ」
締木は片方の眉をあげ矢至から荷物を受け取る。カバンからファイルを取り出すと数枚捲り、そしてクーラボックスを開けた。
「矢至、これ食える?」
「え、は? いや、流石に食えねえよ」
「はは、流石に命は惜しいよな。だからお前はここに来た」
締木は部下に目線を送った。ワンボックスカーの扉が開き、中へ乗るよう促してくる。車の中に入ると同じような締木の部下と思わしき男が運転席にいた。矢至が乗車して間もなく、車は動き出した。
「これからどこに向かうんだ」
「お前に会いたいって言ってる奴がいてね」
「会いたい? 誰だよそいつ。そもそも俺は、指導役をするために声を掛けられたんだろ。誰か個人に会う必要なんてあるのかよ」
「ああ、神使の肉を売り捌くためのね。それなんだけど」
すぐ隣の座席に座っていた締木は、矢至の肩に手を回した。
「お前、大鱗のところで大したことやってなかったな?」
肩に回されていた腕が首を締めてくる。矢至は背筋が凍り付き、手に汗が滲んだ。締木の顔から人の良さそうな笑みは消え、見下すような目線だけが矢至に注がれる。
「精々運搬係がいいとこか。それも荷物のことも大して知らねえ使いパシリ。指導役は到底無理だろうな」
「……俺をどうするつもりだ」
「聞こえなかったのか? さっき言っただろ人に合わせるって。一度管理局に行ったお前に指導役頼むほど俺も馬鹿じゃない。お前を連れてくるよう言われてたから接触したまでだよ」
「だから誰だよそいつ」
締木は質問に答えることなく、回していた腕に力を込め始めた。矢至のジャンバーの下で小さな震えが起きる。気道が圧迫され切る前に、矢至は叫んだ。
「鹿倉さん!」
直後響き渡ったのは、発砲音。車が傾き、木に突っ込んだ。フロントガラスがバリバリと割れ、粉々になったガラスが車内に飛び散る。締木の腕が緩んだ隙をついて矢至は車から飛び出した。
「矢至君、大丈夫ですか!」
「死ぬかと思った……!」
「死んでないなら良かったです。……あの、運転手は生きてましたか」
「頭ぶつけて気失ってた。弾は当たって無かったよ」
「鹿倉、やり過ぎだお前……!」
車を降りた先には猟銃を持っていた鹿倉と須川がいた。間もなく黒塗りのワゴン車から覚束ない足取りで締木が出てきる。
「殺す気かよ……」
「あなたはどうなっても良いですけど後輩は返して貰いますからね」
「どうでもよくねえよ。大鱗達との関与の疑いで連行予定だろうが」
「関与疑い……?」
締木は苛ついた声で須川を睨んだ。
「自分で言っただろ神使の肉を売り捌くためのって。口を滑らせたな」
矢至はジャンバーを脱ぎ、内側に貼り付けていた小型通信機を締木に見せつけた。同様の物は鹿倉も持っている。鹿倉が待機している場所を車が通ったら、合図として通信機が震えることになっていたのだ。
舌打ちをした締木の傍に須川は近づいた。間もなく山道の後ろから数台の車がやってくる。管理局のものだ。締木はそれを見て、全てを諦めたように力を抜いた。
「今まで証拠を残してなかったわりには随分派手にやったな」
「余裕がなかったからな。どっかの団体のせいで稼ぎ頭がいなくなった。そうでもなければ顧客リストと指導役を条件にあんな奴の言うことなんざ聞かねえよ」
「あんな奴? 矢至を連れてくるよう言ったのと同一人物か」
「そうだ」
「いい加減教えろよ。誰だそいつ」
締木は口を開いた。
その口が言葉を発する直前、締木の体は消えた。矢至の目は、何者かが締木を茂みに連れ込んだのを確かに捉えた。
「須川さん、そっちだ!」
すぐ近くの茂みから、細かい枝が折れる音とくぐもった声が聞こえてくる。矢至達が向かうと、締木は馬乗りになってのし掛かられていた。
締木の口を押え手を突っ込んでいた人物が振り返る。
「お久しぶり。会いたかったよ、矢至貴琉」
三日月のように目を細め、男は笑った。白く長い三つ編みが、風と一緒に動く藤の花のように揺れた。
「ナル……!?」
「てめえなんでここに」
須川はナルに向けて唸るような声を上げた。
「診鶴、元気だった? その手の怪我どうしたんだよ」
「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ。なんの目的があってここにきた」
「貴琉を連れて来いっていったのは俺だからだよ、診鶴。ちゃんと連れてこられるか心配だったから様子見に来たけどやっぱり駄目そうだね」
ナルのすぐ下には締木が転がっている。苦しげに息をしているがあまりにもナルと近いせいで、鹿倉は猟銃を構えていてもナルを撃てないようだ。
「俺になんの用があんだよ」
「それはね」
締木の呻き声が短く上がる。見てみると、腹にはナイフが突き刺さっていた。ナルは微笑むと指を二本掲げる。
「てめえ何してやがんだ……!」
飛び出した須川は拳を握りナルを殴った。抵抗もしないナルは地面に倒れ込む。地面についた腕の動きがぎこちないように見えた。ナルは鼻から血を流しながら薄ら笑いを浮かべた。
「俺に構ってる余裕あるのか?」
「須川さん、矢至君、引いて下さい!」
鹿倉の怒声が後方から聞こえてくる。
「締木が祟化してます!」
矢至は締木に視線を向ける。腕に太い白色の体毛がびっしりと生えそろい始め、背中の筋肉は盛り上がり膨れ上がっていく。口の中から唇を突き破るようにして牙がせり上がった。
「遺骸を食わせたのか……!」
歪な猪の姿になった締木は、血走った目で須川を捉えるなり突っ込んだ。躱しきれず脇腹を突かれた須川が地面に転がり呻く。ジャケットの隙間から血がしみ出したシャツが見える。
「須川さん!」
木に突撃していた締木は頭を振りかぶると後方にいた管理局の車に向かって突進を始める。局員の悲鳴が聞こえてきた。
「じゃあお前らは俺とゆっくり話そうか」
ナルは矢至の元に駆け寄ると、顎の下から突き上げるように殴った。
脳が揺れ視界がぶれる。浮遊感は脳震盪によるものではなく、ナルが俺を抱えているからなんだとかろうじてわかった。
「待ちなさい!」
鹿倉がナルの後を追おうとしていたが、背後で締木の怒声が聞こえてくる。それに付け足されるように、もう一つ叫び声が上がった。
ぼやけた視界は山道の脇から現われた、毛で覆われた二足歩行の何かを捉える。気のせいでなかれば、体の一部がまるで毛が抜け落ちたように肌が露出している。青白い肌の色だった。
「二体もいれば、追いかけるどころじゃないだろ、な?」
そう言って俺を抱える手と反対の腕で須川を抱えたナルは、木に突っ込んだ車に駆け込むと運転席を後ろから蹴った。座席の下に隠れていた締木の部下が悲鳴を上げる。
「捕まるか、もしくは死にたくなきゃ車だしな。まだ動くだろ」
矢至の視界のぼやけはどんどん強くなり、車の外から聞こえてくる叫び声と怒声もどこか遠ざかっていく。
混濁した意識で矢至はナルの腕に視線を向けた。右手の親指の根元の肉が傷跡のように盛り上がり、親指は赤子の指のように縮んでいる。
「大変だったんだぜ、冬眠開けのクマに指食わすのは。人に遺骸食わせるよりも数倍骨が折れた」
その言葉と車の発車音を最後に、矢至は意識が途切れた。
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