実家と川上之嘆 5

「無茶をしたな」

 桐一は書斎に入ってきたボロボロの矢至達の姿を一瞥してそう言った。眼鏡越しに窺える沼のような目は相変わらずで、感情の揺らぎはあまり見受けられない。騒ぎの詳しい内容は鹿倉から聞いているはずでも、だった。

「親父、俺の判断は間違ってたかもしれねえが、親父の判断も正解じゃなかった。奴は、俺達が思ってるよりもずっと危険な存在だ。囮を作るのは二度としないほうが良い」

「……わけを話してみろ」


 須川は山であったこと全てを話した。ナルという人間の神使の存在、その異常さと本人が死体遺棄や殺人だけでな、く祟化の誘発を行なっていたのも認めたこと。そして姉の診和のことも全て。

 鹿倉は神使という部分に目を見開き、桐一は須川の全ての話を受け止めるように静かに聞き入っていた。話が終わった後、書斎の中には長い間沈黙が訪れる。桐一は静かに、憂鬱を含んだため息をついた。

「分かった。管理局への報告はお前がやるだろ」

「ああ」

「さっき監視役の人間を回収できたと報告も入った。気を失っていたが、全員無事だ」

「……姉貴のことに関しては何も言わないのかよ」

「私が言うべきことは何もないだろ」


 桐一はごくごく平坦な声でそういった。これが須川の言葉だったら短い期間の中でも培った交流の経験があるから内心を推し量れるのに、全く意図が分からない。

 ナルと相対した時の須川の様子を思い出しながら、矢至は前に出た。

「なあ、部外者だから黙ってたけどそんな言い方ないだろ……」

「矢至、良いんだ」

 桐一の前に出かけたところを須川に制され、矢至は後ろに下がる。少しだけ須川の顔を横目で窺い見た。この家に来た初日の時と違って、どこかしおらしい顔をしていた。

「親父、俺はもうあの山に何年も行ってなかったから、荒れ放題になってると思ってたよ。だが最低限の手入れがされてて、そのお陰で俺と矢至は無事だった。覚えてんだろ、俺と姉貴があの山の斜面で度胸試ししてたの。そこがまだ整えられてたんだ」

 桐一は呆れたように須川を見返す。

「山菜採りの爺さん婆さん達が手入れしてたんじゃないのか」

「さあな。山の方はどうだか知らねえけど、姉貴の部屋も綺麗にされてたな。俺の部屋は物置状態だったてのに」


 須川は書斎に来る直前、ある部屋を覗いていた。昨晩泊まったわけでもない部屋の様子を気にするわけが分からなかったが、あれは父親の内心を推し測るためだったのか。

「思い出してみれば姉貴がああなって見つかる直前、様子が少しおかしかった。何か知らないか」

 桐一は目を瞑り、長いこと考え込んでいた。しばらくしてからゆっくりと立ち上がると、本棚の方に歩み寄る。一つのファイルを抜き取ると、須川に渡した。背表紙には『安楽処置報告書纏め』と書かれていた。

「これ、姉貴が死んだ年の報告書か」

「あの時、お前はまだ学生だったな。……事件のあった二ヶ月前のことだ。診和は祟化した人間の安楽処置の対応に当たったが御しきれず、実弾の込められていた猟銃を使った。頭部から逸れた弾は首や胸に当たったらしい」

 須川は目を見開き桐一の話を聞くと、報告書を目で追っていった。


「……ここに書かれてあるのを見るに、その後の安楽処置でも使ってるよな」

「推察でしかないが、対象を苦しめるかもしれないと分かっていても、祟化した人間に間近まで対応する恐怖に勝てなくなったんだろう緊急時の猟銃の使用許可は認められているが、あいつは仕事に対して生真面目だったから、思い詰めてしまったのも想像できる」

 桐一は窓の外を眺めた。書斎の窓からはあの裏山が見える。

「話なら、いくらでも聞いてやれたんだがな」

 虚しさが込められた桐一の呟きに、答えられる人間はいなかった。

 視線は変わらず、かつて自分の娘と過ごしたであろう裏山に向けられている。光のない桐一の目が、微かに揺れ動いたようにも見えた。


「じゃあ、気を付けて戻りなね」

「ああ、騒がしくして悪かった」

「いいわよ別に。それよりも、気が向いたらで偶には顔見せに帰ってきなさいね」

 書斎での報告が終わり、管理局に戻るため玄関に出た矢至達を楓が見送ってくれた。急にボロボロになって帰ってきた矢至達の応急処置や着替えの用意などを手際良く行なってくれたのも楓だった。

 須川はまだ詳しい話を楓にしていなかったが、物々しいことが起こっているのは薄々察しているだろう。にも関わらず、気丈に振る舞い須川を見送りにきた楓は母親の表情をしている。矢至と鹿倉は先に車に乗り込み、その様子を見ていた。

 居心地悪そうに、須川は額を掻く。


「暇が出来たら顔見せに来る」

「……少し顔色悪くなったねえ」

「そうでもねえよ」

「頼むから、あんま無茶はしなようにね」

 表情を暗くした楓と立ちすくむ須川が見えて、盗み聞きは良くなかったと思いつつ矢至は車を降りた。

「あの、俺は須川さんの、ただの同僚……?なんです、けど」

 たどたどしい敬語で話すと、須川と楓は目を見開いた。矢至は羞恥心を感じつつ、ヤケクソ気味に言葉を続けた。

「多分この人は、ほっとくと相当無茶します。短い付き合いの中でも十分それが分かるくらい、です」

「おい、お前何言おうとして」

「俺は、この人に恩があります。須川さんは誰も見舞いに来なかった俺の病室にしつこいぐらい何度も来たし、今回だって須川さんのお陰で助かった。だから、この人の命が脅かされることが無いように、無事でいられるように全力で働きます……宿と飯と諸々、ありがとうございました」


 言い切ってから、矢至は逃げるように車に戻った。助手席に座ると、後ろの方からからかうような拍手が送られる。

「止めてくれよ」

「良いじゃないですか。立派でしたよ」

 間もなく運転席のドアも開いた。よくわからない表情をした須川が乗り込んでくると、矢至は頭を叩かれた。

「痛ってえ! 何でだよ」

「遺骸を食った人間の保護は上手くいったとしても、まだやるべきことが残ってるからな。その気合い入れだよ」

「手段が荒すぎるだろ……」


 矢至はハンドルを握る須川の表情を窺い見た。須川の目には、様々な感情が渦巻いているように見えた。

 分かっていないこと、やるべきことがまだ沢山残っている。向き合うべき問題は山積みだ。

『目を逸らすなよ』

 以前須川に言われた言葉を思い出す。世話になった人を守るためなら、恐怖と向き合う覚悟はできている。上手く立ち回れるかは分からない。だが少なくとも、目を背け逃げ出すことはない。

 矢至は静かに目を瞑ると、車の揺れに身を任せた。瞼の裏で、白い烏が励ますように跳び跳ねる幻覚が見えた気がした。

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