魔女の医学は誰がために

ボイス 堀有無

第1話 魔女風邪(前編)

「お前、どういうつもりだ! 私は医者を呼べと言ったんだぞ!」

 外まで聞こえるほどの怒声が、屋敷の廊下に響いた。

 鼻の下に髭を生やした派手な服装の男が、焦りと不安の混じった声で、もう一人の男に詰め寄る。

 黒色のスーツを着た使用人の中年が、真っ青な顔で答える。

「た、確かに、学術教団に魔力が原因の病気を治せる医者を呼んだんです! その時に凄腕の医者を派遣するとも聞いております!」

 話を聞いても納得がいかないのか、動揺した表情のまま、髭の男は廊下から部屋をのぞき込む。

 金色の幾何学模様きかがくもようが施された白色の壁と紅色べにいろのカーテン。壁の模様に合わせた細工のイスと、壁際に蚊帳かやが開かれたベッドが一つ。そこには十歳ほどの見た目の少年が横たわっていた。

 眉間にしわを寄せ、浅く早い呼吸を繰り返し、ウェーブがかった短い茶髪と白色の肌は、水をかぶったように汗で濡れている。

 そして少年のかたわら、大人びた雰囲気で、暗いブロンドの髪を肩に下ろした女がイスに腰かけてた。

 足元まで伸びた黒いスカートに、ポーチと回転式の拳銃がげられたベルト、真っ白なローブ、そして、彼女の頭上に浮かぶ、黒くゆらゆらと揺らめきながら燃え盛る、つばの大きな帽子にも似たに、男の表情はより険しくなる。

「あの女の頭にあるのは紛れもなく、魔女の証である"スルトのほのお"ではないか! 魔女が屋敷に来ただけでなく我が子に触れるなど……。 田舎の農村に別荘を作ったがばかりに、こんな不幸な目にあってしまうなんて」


 遠くから聞こえる隠す気のないうらぶしをよそに、ローブの女は机に広げた薬品や医療機器をカバンに片付けていた。

 片付けが終わっても悪態をつき続けている男を見て、女はカバンをわざと机に勢いよく置いて、大きな音に驚き静かになった二人に近寄る。

「左手の甲にある切り傷からの感染症と、植物由来の魔力症状を併発へいはつしている。後者は治療したが、感染症の方は薬を投与し続けろ。喉が痙攣けいれんして呼吸ができなくるかもしれないが、その時はこの植物で口と鼻を包め。」

 そう言いながら、使用人に呼吸補助の道具と薬の入った紙袋を手渡す。

 隣で不機嫌な顔をした男に気づいて、女は顔だけを横に向け視線を合わせた。

 不愛想な女の態度が気に食わないのか、髭の男はより険しい顔で睨み返す。

「なんだ貴様その目は! ささっと出ていけ!」

「なら報酬をくれないか。 慈善じぜん活動で依頼を受けたわけじゃないんだ」

 男は怒りで喉奥からうなり声をあげる。

 うろたえた様子の使用人から巾着きんちゃくを手渡され、女は中身を確認し始めた。

いやしい魔女め」

 言葉に反応して、女の手が止まる。

 空気が変わったのを感じたのか、髭の男は少したじろぎながらも咳払いをして身構えるように腕を組む。

「……文句なら学術教団に言ってくれ」

 そう言うと女は巾着をカバンに仕舞い、二人を一瞥いちべつもせず屋敷を後にした。


 去っていく女を廊下の窓からを見降ろしていた髭の男は、怒りが収まらず、荒々しい口調で使用人に問いかける。

「あの魔女が渡してきた委任状は、本当に学術教団からなのか?」

 使用人は一枚の紙を手に、震えた声で答える。

「間違いありません……。 この書類のインクと封蝋ふうろうは、教団発足以来一度も偽造されたことがない特殊な物と聞きます。 本物で、間違いはないかと」

「なぜだ、なぜ魔女なんかを……クソッ! 何にせよ、学術教団相手ではコチラは何も言えんではないか」

 男が絨毯じゅうたんの上からでも分かるほど大きな足音を立てて少年の部屋へ入ったその時、近くの机に置かれた紙袋に気が付いた。

 それが先ほど渡された薬と察すると、部屋の窓から外へ投げ捨てた。

「魔女から渡された薬など使えるか! 今すぐに医者を呼べ! 魔女ではなく人間の医者をな!」



 まだ溶けきっていない雪が残る道を歩きながら、女は再び巾着の中身を確認する。

 少ない。相場の半分程度だろう。

 小さなため息が、不自然なほど静まり帰った村に響いた。

 まばらに並んだ小屋から覗く人影に気づいたが、女にとっては珍しいことではない。屋敷から少し離れた場所に待たせていた馬にまたがり、足早に、畑と小屋の間を駆け抜けていった。



 しばらくして、女は鬱蒼うっそうとした林道を進んでいた。まだ日は落ちていないが、背の高い木に光がさえぎられ、見通しが悪くなっている。

 馬の歩みを緩め、辺りを見渡す。

 このまま進むのは危険だが、野宿の準備はしていない。

 女は途方に暮れて、木立こだちの間から少しだけあらわになった空を見上げ、肩を落とした。

「……やはり依頼は断るべきだったか」

 春寒はるさむの中、思わず独り言が漏れる。

 瞬間、重なってかすかに聞こえた声に姿勢を低くして身構える。

 馬を止める。ベルトにげた拳銃に右手をかざし、息を殺して辺りをうかがう。

 見える範囲には何も居ない。物音も今は聞こえず、辺りは再び静寂せいじゃくに包まれた。

 動物か、猟師か、それとも先ほどの富豪が傭兵ようへいでも寄越よこしたか。

 二度目の声は聞こえない。ポーチから銃弾を二発取り出し、ゆっくりと装填そうてんする。

 風が抜け、草木のざわめきと馬の鼻息が重なる。それが止んだ時、再び聞こえた声に女は馬を走らせた。

 視界の悪さをかえりみず、全速で声の方へ向かう。

 子供の声。子供が叫ぶ声が聞こえた。

 進んだ先、かすかだった声が鮮明になり、その位置を把握する。路肩を外れ茂みに目をやると、大きな塊を捉えた。

 赤みがかった黒色の体毛に、大柄な体躯たいく。薄暗くてもソレがくまだとすぐに気づいた女は、シリンダーを回して迷いなく拳銃を構える。

 熊は気づいていないのか、一瞥いちべつすることもなく一心不乱に木の上にいる子供を狙っていた。飛び掛かれば、今にもその爪は足を捉えんとするほどの距離。

 躊躇ちゅうちょなく放たれた銃弾は、熊の背中に命中した。

 一瞬たじろいだが、それでもえさを求める執念が勝つか、女には目もくれず子供の足へ剛腕ごうわんを振り下ろす。

「――っ!」

 子供は声を殺し全身をこわばらせた。……しかし、何も起きない。

 ゆっくりと目を開ける。まさに今、自分に襲い掛かっていたその猛獣は、突っ伏してピクリとも動かなくなっていた。

「おい、大丈夫か」

 女は拳銃を仕舞い、馬から降りて駆け寄る。

 助かったことに安堵しながらも、今しがた起きた出来事に整理がつかない様子の子供は、呆然ぼうぜんとした表情でゆっくりと木を降りてその場にへたりこんだ。

 近づくと、曖昧あいまいだった姿が徐々に鮮明になる。身長にやや違和感を覚えるほど幼い顔の少年。明るいブロンドの髪は短く切られ、おでこがさらけ出されている。浅春せんしゅんの森に入るにはお粗末なほど薄い長そでのせいか、それとも先程までの恐怖のせいか、少し肩が震えている。

「あ……ありがとう、ございます。……その……魔女様、ですよね? 頭のほのお……それ」

 女の顔が少しだけ歪んだ。

 立ち上がろうとした少年は、苦い表情を浮かべて尻もちをついた。

「痛っ――」

「……右手、見せてみろ」

 少年が右手の袖をまくると、手首に大きくり傷があった。

 その手をとって、女はポーチを取り出した小瓶の中身を傷口に少しらす。

「逃げる途中で擦りむいたか。 少し痛いが我慢しろ」

 小さく苦痛の声を漏らす少年をよそに、女は手当てを続ける。

 包帯を巻き終わったところで、立ち上がり辺りを見渡した。

「お前の保護者はどこだ? 子供が一人で出歩く時間でもないだろ」

 その質問に、少年はうつむいて口を開かない。

「まさか、一人なのか?」

「……はい」

 今日何度目かのため息をつく。

「子供一人でここまで来れるなら、家は近いだろう。 日が沈む前に帰れ」

 そういって女は倒れた熊のかたわらにしゃがんだ。

 肉は食料として、骨は道具として使える。毛皮は臭うが、一晩の野宿程度。我慢するしかない。

 取り出したナイフを毛皮へ突き立てようとしたその時、少年が立ち上がって歩き出した。

 その足は、女が来た道へ向かっている。

「どこに行こうとしている。 向こうに民家は無いはずだが」

「あの、ええと、魔女様。 僕……森の奥に。 用事があるので」

 女は目を丸くして体ごと少年に振り向く。思わぬ発言に、声を荒らげる。

「お前、何を考えている! 今、死んでもおかしくない状況だったのが分からなかったのか! それにこの気温の中をその薄い服で過ごすなんて危険だ。 今すぐ帰れ」

「でも、魔女様このままじゃ――」

 女が眉間にしわを寄せ、先ほどホルスターに戻した拳銃を構えて引き金を引いた。

 少年の胸に命中した銃弾は、体にめり込む寸前、くさりに形を変えて体を拘束こうそくした。

「さっきから何度も『魔女』と……私は魔女ではなく医者だ。 二度とその呼び方をするな」

 突然の拘束と女の言葉に、少年は唖然あぜんとする。

 そのことに気づいたのか、女は視線をそらし、深呼吸をしてナイフと拳銃を仕舞った。

 再び視線を少年に戻し、落ち着いた口調で話し始める。

「とにかく、お前をこのまま見過ごすわけにはいかない。 どうしても森の奥へ行くなら、悪いが私と一晩野宿してもらうからな。 明け方には解放してやる」

 まだ目を丸くしている少年は、何かに気づいてあわただしく声を上げる。

「医者……! ま、魔女――じゃなくてお医者様! お願いがあるんです。 僕の、僕のお姉ちゃんを助けてほしいんです! 僕、薬を探して……それで!」

 急な話、無表情に戻ったばかりの表情がまたしてもひきつる。

「私が言えた事じゃないが落ち着け。 ……病人、か。 周りに医者はいないのか」

「居るんですが……ずっと治らなくて。 あ、報酬の代わりに宿やどならあります! 食事も、僕の分でよければ出せますし、お金も、頼めば少しは、もしかしたら……」

 少年が再びうつむく。

 口元に手を当て、少しだけ考えた後、女は答える。

「……分かった。 案内してくれ」



「クリス! いたら返事してくれ、クリスー!」

 胸甲きょうこうを身に着け、左手に剣をたずさえた男は、孤児院から居なくなった少年を探していた。

 ずいぶんと森を歩き回ったが見つからない。気づいたのは夕方だったが、いったいいつ出て行ったのかも分からない。もっと遠くへ行ってしまったのだろうか。

 日が半分も地平に隠れている。明かりを持っていないため、これ以上の捜索そうさくは危険だろう。

 男は足早に深い森を後にした。

 村に戻ると、そのことに気づいたエプロンと頭巾を身に着けたままの壮年そうねんの女性が駆け寄ってきた。

「マム、やはりクリスは戻ってきていませんか」

「そうなんです。 そちらも見つからなかったんですね……」

 マムと呼ばれた女性はうつむき、両手を合わせて祈るようにつぶやく。

「あぁ、私が……私が目を離さなければ。 あの子がドーラを過度に気にかけていたことは分かっていたのに。 ガーディアさん……私どうしたら」

 「マムのせいではありません。 見張りである私の責任です。 自分自身を責めないでください」

 ガーディアは優しい口調でマムをさとす。

 「ランタンを持ってもう一度森へ向かいます。 何としても見つけ出しますので、マムは子供たちの所へ。 外は冷えます、さぁ」

 そう言うと、ガーディアは建物へ案内する。その時、何かに気づいた。マムを背に振り向き、剣を構える。

 馬の足音だ。こちらへ向かっている。

 野生とは考えにくい。族か、行商か、こんな時間にこの村を訪れる者は珍しい。

 警戒し目をらすと、姿ははっきりしないが、その影を捉えた。

「ガーディア様~、マ~ム。 遅くなりました~!」

 聞きなじみのある声。先ほどまで探していた少年クリスの声だ。

「クリス、無事だったのね! よかった――」

 近づいてくる影にマムが駆け寄ろうとするのを、ガーディアは片手で制止する。

「待ってください。 確かにクリスの声ですが一人ではないようです。 近づいてくるまで待ちましょう」

 その言葉にマムは息をのむ。ガーディアは構えた剣を再び力強く握る。

 少し離れて馬が止まる。小さな影と、衣服と手に持ったカバンのせいか大きく見える影は馬を降りて近づいてきた。

 小さな方の影が、先に速足はやあしで二人に歩み寄る。見慣れた少年の顔にマムの緊張がほどける。

 しかし、ガーディアは戦慄せんりつする。

 先ほどまでの冷静な態度とは一変し、額に汗が噴きだす。一瞬乱れた呼吸を、生唾を飲み込んで無理やり落ち着かせる。

 もう一人、カバンを持って歩いてきた女。その姿はまさしく。

「――魔女! なぜここに、それにクリスを……近づくな魔女! さもなくば貴様を」

 傭兵ようへいとして、この村の守護者として、数多の修羅場を経験した彼でも魔女と対峙するのは初めてだった。

 臨戦態勢のガーディアに、女は戸惑う様子を見せず、むしろ不機嫌な面持ちで立ち止まって静かに相手を見据える。

 一触即発。膠着こうちゃくした状況の中で少年、もといクリスが二人の間に割って入る。

「ま、待ってくださいガーディア様。 この人はお医者様です。 お姉ちゃんと皆を診てもらうために来てもらった、お医者様なんです。」

 突然の乱入に、ガーディアが少したじろぐ。

「医者? 違う、この女は魔女だ。 あの頭に浮かぶ”スルトの炎”が何よりの証拠。 お前は早く他の子を連れてマムと逃げろ」

 ガーディアは目の前の女から視線をそらさず、クリスに邪魔だと手で合図する。

「本当なんです! このお医者様に今さっき熊に襲われていたところを助けてもらって、少し擦りむいたところも治療してもらったんです!」

 そういうとクリスは長袖をまくって、包帯が巻かれた右手の内側を見せた。

 ガーディアは再度背筋が凍った。治療ではなく、もう半分のクリスの言葉に。

 あの華奢な体で熊を、たった一人で?魔法……か、やはり化け物か。

「しかし、魔女だ。 お前を利用して他の子供も狙ったのかもしれん。 何にせよ、そんな化け物を通すわけにはいかない」

 ……どうすればいい。マムと子供たちを逃がすには、自分が助かるには、この魔女を倒すには、この状況を村の者たちに知らせるには。

「――待ってください!」

 ガーディアの後ろからの声だった。その声にガーディアが振り向く。緊張した面持ちのマムと目を見合わせた。

 すこし間をおいて、マムは視線を女へ移した。

「……本当に、医者なのですか」

 ガーディアと同じように、女もマムと視線を合わせる。

「そうだ。 そこの少年に、宿と食事を提供する代わりに患者を診てほしいと言われて来た。 ……医者の証明になるか分からんが、これを」

 女はカバンからあさ袋を取り出して投げ渡した。

 受け取ったガーディアは中身を確認し、危険なものではないと判断してから構えを崩さずにマムへ手渡した。

 数種類の薬草と使い込まれた乳鉢。診察した患者に調合した薬の内容を書き記した紙が入っていた。

 ――今日の日付。紙の内容と同じ薬が入った瓶は、記録用だろうか。中身は、まだ腐敗せずに青々としたままだ。

 長考の末、マムが口を開く。

「ガーディアさん、通してあげてください。 案内します、どうぞこちらへ」

 ガーディアは一瞬、驚愕きょうがくの声を上げる。

 しかし、肩を震わせるマムを見て感じるものがあったのか、小さく息を入れ剣をさやへ納めた。

 ガーディアは険しい表情をして正面の女の方を向く。

「私も同行する。 怪しい動きをすれば即座に切り伏せるからな。 人でもモノでも、貴様が何かに触れるときは私に許可を取るように」

 女に向かってそう言うと、ガーディアは半身はんみの姿勢で中に入るよう手招てまねいた。

 その反応にクリスはぎこちない笑顔で振り返り、女に声を掛ける。

「信じてもらえてよかったです。 行きましょう……ええと、あの」

 何か言いたげな様子に、女は口を開く。

「ホタルだ」

「え?」

「私の名前だ。 ホタルと呼べ、クリス」

 クリスは元気よく返事をして、マムに駆け寄って手をつないで歩き出した。それに続いてホタル、ガーディアと並んで一行は孤児院の中に入っていった。



 マムが手を叩きながら声を上げる。

 建物の中に入ってすぐの大広間には、長い机とイスが数個並べられており、クリスを除いて椅子に座る子供が四人。

 マムの声に全員が振り返り姿勢を正した。

「皆さん、クリスが無事に戻ってきました。 心配を掛けましたね」

 子供たちは顔を見合わせて安堵あんどの声を漏らす。その反応に、クリスは紅潮して照れくさそうに苦笑いでうつむいていた。

「クリスには後で厳しく言っておくので、皆さんは真似をして遅くまで勝手に出歩かないように」

 クリスの顔色が一気に青くなった。

 相当恐ろしいのか、同情か、子供たちも顔をひきつらせる。

「それと、今から大事な用事があるので、静かにここで待っているように。 何かあった時以外、二階へ上がってはいけませんよ」

 元気に帰ってきた返事に、マムは優しい笑顔でうなずく。

 振り返ったマムは真剣な表情に変わり、三人と供に二階へ向かった。

「患者は、重篤じゅうとくなのか」

 廊下を歩く最中さなか、ホタルはガーディアの方に顔を半分向けて問いかける。

「なぜそう思う」

 帰ってきた言葉に、ホタルは先ほど返されたあさ袋を手に取って話始める。

「さっき渡したこの袋に入っていたのは、別件で処方した薬と、その調剤記録だ。 こんなもの偽造しようと思えば簡単にできる。 医者である証明になんてならない。 瓶の中身と記録内容が同じだと分かるほど医療の知識がある彼女が、それを分かっていても私を招き入れた。 それほど特別な理由がなければそんなことはしないだろう」

 ホタルの発言にガーディアは静かに頷く。

 真剣な眼差しに同調するように、神妙な面持ちで答える。

「マムは、あの御方は、少し前まで都市ウートの大きな病院で看護師をされていた。 その前には若くして戦場の兵士の救護に従事し、都市部では引き受けるのが難しい孤児のために、今はこの孤児院を作って子供の面倒を見ている。 誰かのために行動する、そんな御方だ。 だからこそ、貴様から逃げることなく治療を頼んだということは、つまり……そういうことなんだろう」

「……誰かのためか。 なら、そこのクリスも同じだ。 あまり叱ってやるなよ」

 前を向き、ホタルはわざとマムに聞こえるように話をしめた。

 反応はない。ただ、少しだけうつむいたようにも見えた。

 二階の廊下、他よりも少し大きな扉の前で一行は足を止めた。

 マムがドアノブに手を掛けようとした寸前、クリスの方を向いた。

「クリス、あなたも一階で待っていなさい」

 クリスが驚いて顔を上げる。何か言いたげなクリスに、マムはしゃがんで目線をわせる。

「あなたが居ては診察の邪魔になるかもしれません。 それに、もしドーラが危険かどうか知らされた時、あなたは黙っていられることができますか?」

 クリスは言葉を詰まらせる。その様子を見て、ホタルが口を開く。

「私は構わない。 元々そのクリスからの依頼だ。 できるだけ患者のことをは知らせるべきだと思うが」

 ホタルの発言にマムも言葉を詰まらせる。悩んだ末、静かにすることを条件に入室の許可が出た。

 改めてマムがドアノブに手を掛ける。開いた扉の先には、ベッドが六つ。そのうち五つには子供が寝かされていた。

 男児が一名に、女児が四名。うち一人は周りより体が大きく十代半ば程、女児というよりは女性の年齢か。

 クリスの姉だけではないのか……確かに先ほど「お姉ちゃんと皆を診てもらう」と言っていたか。

 特に気にすることなく、ホタルは一番近くの小さな女の子に近づく。

「全員が同じ症状で合っているか?」

「はい、発症した日にちも同じです」

 マムが答える。ホタルは振り向き、ガーディアと目を合わせる。

「この子供を診る。 問題ないな」

 ガーディアがうなずく。右手は、剣のつかに掛けられていた。

 ホタルは患者の体を調べ始めた。

 発熱あり、手足に膿瘍のうようや傷痕は無く、見える範囲に発疹ほっしんも無し。胸部と腹部の温度が異常に高く、それにともない発汗が多い。

「下痢や嘔吐おうとの症状は」

「全員ではありませんが、あります。 その子には嘔吐の症状が」

 慣れたようにマムが答える。元医療従事者、脱水症状や食事については対策しているだろう。

 ホタルがポーチから機器を取り出す。風船から管を二本伸ばし、その先には吸盤と吹き口のようなものが付いた植物。

 吸盤を自身の首に付け、もう片方の吹き口を患者の口へくわえさせる。すると、風船が小刻みに膨張と収縮を繰り返した。

 魔力症状の反応。その中でも体内で起こる魔力障害の反応だ。

 魔力障害に体幹部の異常、発汗、嘔吐。

 一通り調べ終わったホタルは、機器を片付けて後ろの三人に向き直る。

「魔女風邪、と言いたいところだが」

 その言葉に、マムの表情は暗い。その反応を予見していたかのようにホタルは話を続ける。

「元医療従事者なら、すぐに分かるはずだ。 つまり、他の病気を発症していると、そう言うのか」

 マムは静かに頷く。

「私も、魔女風邪と判断しました。 魔力症状を確認しなくても、この年齢の子が発症する病気として、魔女風邪は一般的ですから。 でも……」

 ――魔女風邪は一般的な病気だ。おたふく風邪や水痘みずぼうそうのような小児しょうに感染症、発疹同様に、魔女風邪もまた小児期に発症する。

 それらの症状との違いは、魔力が関係しているかどうか。

 魔力は生物であれば必ず体内に存在する。ヒト、鳥、植物、魚そのすべてが魔力を有し、すべての生物に共通して魔力は毒だ。

 魔女風邪は、体の成長に伴い増加した魔力に対して、臓器がその負荷に耐えるための成長過程で発症する病気である。そのため、発症時期は成長が著しい3歳から15歳程度。

 小児感染症を一生のうちに発症しない人間はいるが、対して魔女風邪の発症は絶対。ヒトはもちろん、犬や牛、大型の猛禽類など体を大きく成長させる生物は必ず発症する。

 しかし、生物の有する魔力は魔女を除いてごくわずか。そのため、魔女風邪が重症化することはあり得ない。長いもので三日、最短でも一日で完治し、発汗や嘔吐による脱水症状、栄養失調の対策さえ行えば、死亡することはない病気である――。

「体内の魔力、つまり、内含魔力ないがんまりょくを原因とする病気を魔力障害と呼称するわけだが、この病気は二種類しか存在しない。 魔女風邪と、細胞の変異に影響することで発症する魔力変炎症の二つだ。この子供たちに、がんの可能性があると?」

 ホタルがマムに問う。

「いえ、それはないと思います。 魔力変炎症は腫瘍しゅようにのみ炎症が起こる病気ですから。 この子たちは、どこか一か所というよりは体全体に熱があるように見られますし」

 ――その通り。魔力を原因とする病気の特徴として、患部への焼けるような痛みが挙げられる。

 魔女風邪の場合は臓器全体が熱を帯びるような感覚により、体温上昇と異常な発汗が顕著けんちょである――。

 それに当てはめれば、子供たちの症状は明らかに魔女風邪と断定できる。

「ではなぜ魔女風邪ではないと?」

「……この子たちは、この病気を十日前に発症したんです。」

 ホタルは動揺して答える。

「十日前!?」

 ベッドに横たわる子供たちを見る。

「この症状が……十日」

 魔女風邪が十日どころか、五日以上持続したという報告は存在しない。目の前の光景は、明らかな異常事態だった。

「……クリス、私の馬にげているカバンを取ってきてくれ。 徹底的に調べる」

 大きく返事を返し、クリスは廊下を走り去っていった。

「こんな状況だ、いちいち許可は取ってる暇は無い。 邪魔にならないように勝手に監視しておけ」

 ガーディアに向かってそう話すと、ホタルは患者の方を向いて準備を始めた。

 未知のやまい、ホタルは医者として最悪の事態を想定していた。



 診察を開始してから、かなりの時間が経過していた。

 空いているベッドに腰掛けていたホタルは、原因がつかめず、内容をまとめた文書を確認していた。

 ――発症は十日前、全員が夕方以降に発熱の症状を訴え、下痢と嘔吐も見られた。一日置いて三日目、熱が引かないことで前日呼んだ医師が到着。全員を診察し、魔力障害を確認した。魔女風邪と診断され、一日分の解熱薬を処方。五日目には訪問してきた別の医者が再び魔女風邪と診断。前回とは別の薬と栄養剤を処方し、現在十日目に至る――。

「最初に診た医者は良い医者だな。 子供が飲みやすいように、苦みの少ない薬を調剤している」

 現実逃避の一言が漏れる。ホタルは自重して再び文書を読み返す。

 ――発症から十日、再び魔力障害を確認。依然として魔女風邪と定義する。

 症状緩和のために、魔力を吸引する効果のある注射器を使用。五名中二名が若干の症状緩和を報告し、食前に保護者による問診を開始。やはり胸部から腹部にかけて熱を帯びているむねの報告があった。

 注射の効果がなかった三名のうち一名に触診を実施。小児癌の症状が出やすい首回り、わきの下等のリンパ腺を確認したが、しこりは確認できなかった。やはり癌と併発した魔力変炎症の可能性はないと言える。現在経過観察中――。

 ホタルは片手で頭を抱え、先ほど使用した注射器を手に取る。

 開いた赤い花弁の根元に細い針が二つ付いた、独特の形状をした注射器。ホタルが独自に改良した、魔力を吸い取る医療機器であるそれは、枯れた状態で体に突き刺せば少量の魔力を吸い上げる効果がある。

 全員の症状を一時的に緩和できると考えたホタルだったが、実際に効果があったのは二名。解決の糸口を掴めない現状に、ホタルはため息をつく。

 そんな中、クリスは女性の患者を、その傍らで心配そうに見つめていた。

 それに気づき、ホタルは近づいてその患者に目をやる。

 クリスと同じ髪色と、幼い顔立ちの少女。名前はドーラ。長く伸ばした髪は乱れ、衰弱しきっている。先ほどの注射では回復せず、寝たきりの状態が続いていた。

 ドーラは過去に魔女風邪を発症した事があるとマムは言っていた。

 魔女風邪は、体の成長に伴って発病する。魔力を体に宿している以上、二回目の発症は当然あり得るが、それは極めてまれなことである。

「お姉ちゃん、治らないんでしょうか」

 力のない声でクリスが呟く。

「未知のやまいだ。 お前の姉も、他の子供も、どうなるかは分からん」

「……病気になってすぐに、僕に言ってくれたんです、大丈夫って。 でも、お姉ちゃんは治らなくて、それで」

 クリスの声が徐々に震える。

 ホタルは、何も言わなかった。

 クリスの様子にマムが近寄って声を掛けようとしたその時、クリスの頬に手が触れる。

「大丈夫、クリス。 お姉ちゃん元気いっぱいだよ」

 ドーラがクリスに笑顔を向ける。苦しさを抑えた精一杯の笑顔、口内が乾燥して、声がかすれている。

 頬に触れた手を、クリスは両手で包んで泣き出した。

「でも……この手、熱いよ……いつもの温かい手のお姉ちゃんに戻ってよ」

「熱いってことは、マムのお手伝いをしている時と同じで、お姉ちゃんが元気に頑張ってるってことだから」

 ホタルはベッドから少し離れ、どこか寂しげにも見える表情を浮かべた。

 ドーラは指でクリスの涙をぬぐい、頭を撫でた。

「クリス、泣かないで。 また学術教団の方が来た時に診てもらえば、きっとすぐ治るから」

 その言葉にホタルが反応し、マムを見た。

 目線を合わせようとしないマムとガーディア。

 その様子に、ホタルは舌打ちをして二人を睨みつけた。

「クリス、少し廊下に出る。 患者に異変があればすぐに呼べ」

 クリスの返事を待たず、ホタルは足早に扉へ向かう。マムとすれ違う寸前に目線で合図し、着いてくるよううながした。

 廊下にホタルとマム、ガーディアが向かい合わせで並び、動揺しているマムに対して、ホタルは低い声で問いかける。

「あの少女、ドーラが言っていた通り、学術教団が来ていたのは本当か」

「……本当だ」

 マムの代わりにガーディアが答える。驚いた表情のマムが顔を上げる。ガーディアの顔はこわばっていた。

「いつだ」

「五日前、二度目に来た医者が学術教団員だった。 その前は二十日ほど前だったと思う……どちらも同じ人物だ」

「何か妙なことはしていなかったか」

 答えていたガーディアだったが、ここにきて答えに詰まる。

 こわばった表情のまま、ガーディアはマムと視線を合わせた。

「何をされたかは、マムと子供たちしか知らないか」

 マムの呼吸が早まる。俯いた彼女を、二人が見つめる。

 狼狽うろたえたガーディアが再び答える。

「マムはこの数日、あの子たちの看病を付きっきりでやっていた。 それに毎日、教団に症状の報告して、何度も治療の依頼を出していたんだ。 決して、子供たちを見捨てようとしたわけじゃない。」

「なら教団のことを何故私に話さなかった」

 マムが顔を上げ、ホタルと目が合う。

「教団が関わっていると分かれば、奴らを出し抜くために、お前たちを利用するとでも思ったか」

 マムは答えず、動かず、ただホタルを見つめている。

「教団と魔女の軋轢あつれきは知っている。 だが私は魔女ではなく医者だ、教団のことなど知ったことではない」

「先ほどガーディアが言っていた、お前は誰かのために行動する奴だと。 今、お前は誰のために何をするべきなのか考えろ」

 曇った表情のまま、マムは荒い呼吸で口を開く。

「私は……あの子たちを……」

 今にも崩れて倒れそうなマムを、ガーディアが支える。汗が頬を伝って床へ落ちる。

「二十日前、教団の方が……地方住民の健康調査として、村に来ました」

 力の抜けた弱弱しい声でマムは話始めた。

「その時に一部の子供たちの背中に、予防接種として注射を……していました。 この部屋の子供たちだけで、下の階の子供たち何もされていません」

「その後は」

 ホタルは態度を変えずに質問を続ける

「五日前は、先ほど話した通りです。 薬を置いて……あなたと同じ診察をして……それっきりです」

 マムの話から、ホタルは即座に病気の原因を考察する。

「教団からの注射、まず人体実験と考えていい。 それから数日で魔力障害の発症……投与されたものが細胞に影響して魔力への耐性を弱らせたのか……いや、魔女風邪の病歴があるドーラが重症化するほどだ、病歴のない小児なら魔女風邪で済むはずがない。 魔力を投与……あり得ない。 そもそも魔女風邪は内含魔力を原因とする。 体外の魔力である非内魔力を投与したところで意味は――」

 考えを口にしていたホタルが目を見開いて黙った。

 何かに気づいたその表情は、明らかに動揺している。


 ――魔女風邪は、体の成長に伴い増加した魔力に耐えるため引き起こされる。


「まさか……」

 ホタルが勢いよく扉を開けた。

 ドーラが再び眠ってしまったため、呆然ぼうぜんとしていたクリスは扉の音に驚いて声を上げる。

 ホタルは先ほど使用した花弁の付いた注射器を手にとり、近くで横たわっていた男児の元にかがむと、上腕にその注射器を刺しこんだ。

 その緊迫した雰囲気に、遅れて入室してきたマムとガーディア、そしてクリスの三人は、固唾かたずを呑んでその様子を見ていた。

 開いた花弁が少しずつ大きくなっていく。

「止まれ……頼む、間違いであってくれ」

 呟いたホタルの願いとは裏腹に開ききった花弁は、ついには一枚、また一枚と落ちていく。落ちたものは次第には散り散りになってしまい、跡形もなく消えてしまった。

 注射器についていた花弁がすべて落ち、それを見たホタルは握りこぶしを震わせ、静かに怒りをあらわにした。他の者は何が起こったのか分からず、そのまま沈黙が続いた。

 少し間をおいて、ホタルはゆっくりと患者から注射を抜き取り、注射痕にポーチから取り出したガーゼを巻いて立ち上がった。

「……何の病気か分かった」

 ホタルが目の前の患者を見下ろしながら答えた。

 その言葉に三人は身構える。

 焦燥しょうそうした表情を浮かべ、ホタルは答える。

「魔女風邪だ。 それは間違いない」

 最初と同じ答え。マムは困惑して反論する。

「そんな……でも、それではなぜ……」

「治らないのは違う病気だからじゃない。 この子供たちは――」

 顔を上げたホタルとマムの視線が合う。ホタルは再び怒りをにじませて拳を強く握った。

「この子供たちは今、常に魔力が増え続けている状態にある」

 それは、想定していた以上の最悪だった。

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