第5話 寝台・提案
自室へと戻った私は、そのまま寝入ってしまったようで、翌日は生理痛とともに目覚めた。すぐに枕元の水で痛み止めの薬を服用し、そのまま寝台で毛布に包まり体を丸めた。これほど症状がひどいのは久々だ。
「昨日までに済ませておいてよかったな」
渋谷での探索を思い返す。とりあえずのノルマを達成した今、しばらく安静にしていても困ることはなさそうだ。私はとりあえずただ無為に時間を過ごすのも気が引けたので、適当な暇つぶしをすることにした。
寝台の近くにあった携帯端末を掴み、その中のキュレーション(情報収集・提供)アプリを起動させる。インターネット上の情報を集めるクラウド型のAIは当然ながら全滅しているが、このアプリは端末上の情報のみでもある程度のキュレーションが可能なエッジAIであるため、現状の生活にある程度のうるおいを与えてくれていた。
「おすすめの映画を教えて」
私はまず思いついた適当な質問を投げかけた。アプリはいつもの調子で返答を吐き出す。しばらくやりとりを繰り返すと、画面にはアプリが推奨する映画がいくつか提示された。
「ああ、これか……」
その中の題名の一つに見覚えがあった。新しい性別適合手術により、元の肉体が男性であっても妊娠が可能になるという報道があった時、メディアで話題になった古い映画だ。
「見てみようか、綾のコレクションにあったはず」
私は痛み止めが効いたタイミングで起き上がり、倉庫に向かうことにした。拠点への避難者の一人が、今時珍しく映画のソフトをコレクションしており、よく物資とともに持ちこんでいたのである。
「――いやあ、今時珍しいってよく言われていたけど、やっぱり集めていて良かったでしょ? もう世界中のサーバーがダウンして、配信サービスとか全部だめになっちゃったし」
記憶の中にだけに遺る、彼女の声を回想する。女性の精神に女性の肉体、さらには美しい長髪、私は、彼女の全てを好ましく感じていた。癖や言葉遣い、考え方に至るまで、凡そ彼女には一切の不快がなかった。
彼女は古い映画が好きで、特に1980年~2000年代初頭にかけて活躍したとあるハリウッド俳優に熱中していた。生前彼女は、この主演俳優の作品は全て集めたと語っていた。
「祖父が生きていれば、綾と話しが合っただろうに」
彼女があまりに熱をこめて1990年代の古い映画を語るので、私はその時代の映画を愛した祖父の話をすることもあった。
「あ、そうかおじいさん1980年代生まれだっけ、いいなあ、映画館で見られたのかなあ――」
滅びた世界にあって、決して最後まで希望を失わなかった憧れの女性、その笑みを思い浮かべながら私は映画のソフトを探した。
目的のものはすぐに見つかったので、私は共同の部屋に書置きを残して自室へと戻った。映像ソフトとともに食料を持ち込み、今日は静かに過ごすことにした。後藤もまた自室に籠っているようだった。
「へえ、まあカッコイイかも、でもごついな……」
画面に映った主演男優は、確かに綾から伝え聞いた通りの容貌だった。あまりにも彼女が誉めるため、祖父よりも遥かに年上の俳優に嫉妬したこともあったが、いざ自分の目で見てみると、筋骨隆々の肉体に男らしい精悍な顔で、彼女の言い分も理解できた。
特にスーツの下に隠れたその肉体には、妬心よりも憧れが勝った。仮に私が望み通りに男の体に生まれたとしても、ここまで鍛え上げられはしないだろう。直観的に、この俳優であれば破滅したこの世界でも逞しく生きるのではあるまいかと感じたほどだ。
映画の内容は示唆に富んでいた。キュレーションアプリで調べると、この映画は主人公を演じる屈強な俳優が、妊娠という真逆の現象に戸惑うコメディであると説明された。俳優のイメージを逆手にとった作品であるらしい。しかし、崩壊前の社会状況、そして、私の現状に照らし合わせると、目が離せない内容だった。
映画を見終わったあと、私の中に様々な思念が満ちた。
この身に宿る感情と記憶は、後藤の協力がなければ誰にも引き継がれず、廃墟の中で霧消する運命と考えると、今肉体を苛む痛みさえ、取るに足らないものに思えた。
私はしばらくの間休み、ある程度痛みが治まってから、再び共用スペースに戻った。これならば冷静に言葉が交わせるだろう。後藤は私のことを一応は案じていたようで、心配の声をかけてきた。
「すまない、体調が優れなくて」
一応謝罪をし、私は後藤の対面の席に座った。後藤は情報端末で何かデータ分析をしていたようだったが、その視線が私に注がれたのが解った。いかに気に入らない人間であっても、唯一の他者は気になるのだろう。
「もう大丈夫なの? 時間があったから、医療品の管理システム作っておいたけど」
後藤は、彼女なりの気遣いを見せた。確かにこの状況下において有用なものではあるが、彼女も私も、資材に関しては把握している。やはり私には、彼女のそれが、現在最も必要な思考から目を背けた思考であるように思えた。
「さすがだね、絵理沙」
私は、彼女が構築したシステムの試運転を眺めながら、率直な感想を口にした。
「あなたが生み出してきたものがなければ、私はとっくに死んでいたと思う」
思うがまま、私は言葉を続けた。彼女の眼は私を見つめたままだ。
「今までの人生、私、いや私たち人類は、誰かと助け合ってきたからこそ生きてこられたと思う」
「そうね……わたしも、幸人の知識がなかったらどうなっていたか」
後藤が冷静に返答した。彼女の角張った輪郭と大きな喉ぼとけが、静かな部屋のなかで動いた。
たしかに後藤が言うように、私の歴史の知識や情報の整理が生存に役立った場面も多かった。私の警告で洪水を回避したこともあったし、社会崩壊前の情報を把握し食料やの獲得を効率的に行ったこともあった。後藤はそのたび私の知識を賞賛してくれていた。私は、そこに突破口を見出した。
「崩壊前、私たちは社会に生かされながら、自分の知識や力を身に着けていった。今度は、その知識を用いてまた、社会を作りあげられないだろうか?」
私は、我々の過去を冷徹に捉えなおし、あらためて後藤に対し提案した。彼女は私の言葉の意味をしばらく考えていたようだが、返答がなかったので、私はそのまま続けた。
「体調が悪い時ずっと考えていたんだが、私は、歴史や文化を学んでいる時、この人間社会を、営みの記録を、ずっと受け継いでいきたいと思った。絵理沙も、絵理沙自身の経験や、信じる学問を、ここで絶やすのはあまりに惜しいと思っているはずだ。となれば、人類の叡智を存続させるためにも主義を曲げてほしい」
あの時は中断してしまったが、内なる思いに突き動かされ、再びの説得の台詞を紡いでいく。
こちらの熱意が伝わったのか、後藤の表情は変化していた。少なくとも、前回と違って私の声が彼女の中で留まっているのがわかった。
「――私たちが、本来生まれるべき肉体の性に生まれたのであれば、抵抗がなかったのかもしれない、人間の歴史をふたたび始めるのに、無理をせずとも済んだのかもしれない。少なくとも、私が男の肉体を生まれながらに有していれば、女性としての君にアプローチするのに、これほど回りくどくはなかっただろう」
偽らざる思いとまでは言えないが、なるべく思っていることを、正確に言葉にできたと思う。後藤は、明らかに今までと違う反応を示し、しばらく私のことを見つめていた。思いこみの強い彼女のことだ、一度琴線に触れる言葉を投げかければ、状況を変えられることはわかっていた。
「そう……、そうだね」
静かに、低い声で彼女は呟いた。
「私たちが諦めたら、本当にみんなが生きてきた全部がなくなっちゃう」
当たり前の事実に、彼女はまるで今気づいたかのように振舞った。正直、その様子はあまり愉快ではなかったものの、私は確かな手ごたえを感じることができた。
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