つられてアナザーワールド

くさなぎきりん

第1話 私の名を言ってみろ

 私は、自分の名前が嫌いだ。


「元気で賑やかそうな名前だね」

 なんて言われてた幼年時代はまだマシだった。


 中学時代、私を「三平」と冷やかした男子のせいで3年間あだ名が三平になった。私、女なんだけど?


 高校に上がって陸上部に入部届を提出したときのことも一生忘れない。

 名前に目を通した顧問が、


「ご両親は、君が飛んだり跳ねたりするよりも、竿を担いで海や川へ繰り出すことを望んでるんじゃないか?」


 と言ったのだ。

 さすがに殴ってやろうかと思った。


 そんなわけで私は、自分の名前が嫌いだ。


   ◇


 その日は朝から雨だった。


 私は路肩の紫陽花になど見向きもせず、片手で通学鞄と傘、片手でスマホの小説のページを繰りながらいつもの帰り道を歩いていた。


「ジ・エーフ・キース 神霊の血と盟約と祭壇を背に 我精霊に命ず 雷よ落ちろ!!」


 ページを繰る、その瞬間——


 ——閃光。



 世界が白く弾け、一瞬にして五感が失われた。


 痛いとか苦しいとか轟雷テスラとか思う間もなく、ただ「あぁ、こりゃだめだ」と思った。

 そして意識が途切れた。


   ◇


 気がつくと、私は草原に寝ていた。


 近くには透き通る水が流れる沢。

 空は澄み、向こうの森から鳥のさえずりと葉擦れの音が響く。


 ——どこ? ここ。


 沢の水をすくって飲んでみた。

 うまっ。

 冷蔵庫に入ってるおいしい水より美味かった。


「……で、私はどうしたらいいんだろ……?」


 ファミコン世代は、操作法も目的も分からないままゲームが始まっても遊べると言う。

 あれはすごい能力だったんだと今更実感しながら、私は途方に暮れていた。



 どのくらいか、空虚な時間が過ぎた頃。

 

 森を抜けて誰かが歩いてくることに私は気づいた。

 旅装の、髭を蓄えた壮年の男だ。長い枝のようなものを背負っている。


 「やあ。お嬢さんも伝説の鰻を釣りにきたのか?」


 見た目は外国人ぽいのに、なぜか流暢な日本語だった。

 言ってる意味は分からないけど。


 聞けば、ここの沢は非常に珍しいうなぎが釣れる隠れスポットらしい。


 男性はそう説明しながら、背負っていた長い木の枝に鈎針のついた糸を結ぶと、針をえいっと沢に向かって投げ込んた。

 なんか私の知ってる釣りのスタイルと違う。でも私も詳しいわけじゃないから差し出口などは挟まない。


 数時間が経過し、穏やかな陽射しが西に傾き始めた。


 私は釣りの邪魔にならないように沢から少し離れた場所に座ってぼんやりしている。釣り人もぼんやりしている。


 時折釣り竿の様子を観察したが、鰻どころか流木すら釣れる気配がない。


 更に数時間が経過し、太陽ははるか遠くの山の稜線に近づいていた。


 釣り人が立ち上がって竿を引き上げる。そのまま帰るのかと思いきや、こちらに近づきながら声をかけてきた。


「やっぱり今日も釣れなかったよ。釣りってのは簡単そうで、存外難しいものだ」

 苦笑する彼に、私は「そうかもですね」と適当に相槌を打つ。


「ところで、お嬢さんはなぜ釣りをしないんだ? それは釣り竿のように見えるが」


 いや釣らんし。

 ていうか竿なんてどこに……ゲェーーッ!!


 いつの間にか手元に釣り竿が召喚されていた。


「あーえーっとこれはー、釣り竿ですね」

 おもむろに漆黒の竿を手に取る。

 ……何これ軽っ! 2メートル以上あるのに不自然なくらい軽い。


 竿にはリールもついてて糸もセットされている。浮きや重り、釣り針の先には白身魚の新鮮な切り身までついてる親切ぶりだ。なぜこんなものが。


「ああ、これから始めるところだったのか……ということはまさか……鰻って夜行性なのか?」


「そう、かもしれないですねー、私も鰻に聞いたわけじゃないんで実際のところは分かりませんが」


 鰻の生態なんて知らんわ。だいたい、Z世代の知識はスマホありきなんだから……と思いながらスマホを取り出す。


「あれ? まだ調べてないのにもう結果が……」

 待機ロックを解除した私のスマホの画面には、鰻の生態から主な生息場所、釣り方のコツや食いつきやすい餌まで十全な情報が記載されていた。


 いつの間にこんな高性能なAI積んだんだろ? と思っていると、

「それは餌箱か何かかね?」

 と釣り人に話しかけられた。おっと、会話の途中だった。


「ええ、まあ似たようなものです」

 私は適当すぎる返答をしながら、表示された情報をざっと流し見る。どうやら本当に夜行性のようだ。


「そろそろ活動を始めるはずなので、釣りたいならもう少し遅い時間まで粘った方がいいかもしれないですよ?」

 裏付けが取れたので、私はさっきより断定的な言い方で釣り人に教える。


「そうか、寝てたんじゃ釣れるわけがないな。お嬢さん、有益な情報をありがとう」

 釣り人は微笑んで礼を述べると、「さあ、釣りましょう!」と促される。


 ……仕方ない。

 ここまでお膳立てされて釣らない流れはないんだろうし。

 なぜかお腹は空いてないけど、何か釣れればラッキーくらいの気持ちで。


 私は”HARDなんちゃら”とロゴの入った竿を手に取り沢の近くへ移動すると、軽く手首のグリップを効かせて竿を振った。

 先端がしなり、風を切る。高弾性カーボンの持つ強いしなりが解放されるとリールが滑らかに回転し、糸が滑るように飛び出した。


 針のついた糸は弧を描きながら空を舞い、静かに水面へと降り立つ。


「おおっ」

 釣り人は私の一連の所作がえらく気に入ったらしく、持参した枝で真似を始めた。


 それを微笑ましく見てたら、竿先にググッと反応。

 ……待って、秒でヒットしたんですけど。


 間もなく竿が大きくしなり、強く引っぱられる。

 心臓が跳ねるような興奮。

 足を踏ん張り、素早くリールを巻いては引っ張る。


 そして1分後——。


 水面から飛び出したのは、黄金色に輝く見事な鰻だった!

 夕陽を照り返して、ぬらりと輝く。


「うわあ何だこれ!?」

 普通の鰻を想像してたせいで、思わず乙女らしさ0%の叫び声をあげてしまった。


 男性は口をあんぐりと開け、私を見た。


「す、すごい! こんなあっさりと伝説の鰻を釣り上げるなんて……それに見たこともない形の釣り竿といい卓越した技術といい……君は一体何者なんだ?」


 私は軽く上がった息を整えながら、そういえばと名乗った。



「私の名前は真釣。朝比奈真釣(あさひなまつり)。ただの迷子よ」

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