『過去』(3)
誰が広めたのか、結都の父が失踪したという噂は、一週間も経たずに学年中に広まった。
父はもういない。自分を偽る意味はもう無いはずだが、彼が人前で笑顔を崩すことは無かった。
母と父を失って独りになってなお、以前と変わらない笑顔を浮かべている少年を見て、周りの者達はどう思ったのだろう。
強がっていると思い哀れんだ者、気持ち悪い、奇妙だと感じた者、中には『こいつは本当に悲しいと思っているのか』『本心では両親にいなくなって欲しいと思っていたのではないか』と疑念を抱いた者すらいただろう。
それほどまでに結都の作り笑いは"本物"だったのだ。
距離感を測りかねて、仲が良かった友人は次々と離れていった。寂しいとか、虚しいとか、そんな感情は抱かなかった。
父がいなくなってから、彼の感情は少しずつ希薄になっていった。
――それから一年後。
結都は、
「結都くんってさ、いつもにこにこしてるけど本心から笑えてる?私には無理して笑ってるようにしか見えないんだけど......」
「そんなことないよ」
「いや、嘘だ。目元が少しピクついてるもん」
「うるさいなぁ、そんなことないって」
「ほら、台詞と表情が合ってないよ」
「だから、そんなことないって......しつこいな、黙っててくれよ」
「ほら、口悪くなってきた」
「うるさい。そんなこと言うために話しかけてきたのかよ」
「あ、開き直った。いや、違うよ。あなたと仲良くなりたくて話しかけたの。だからさ」
――もっと本当のあなたを教えて欲しいな。
結都がどれだけ綴李を拒絶しても、彼女は変わらず話しかけてきた。自然と話すことが増え、彼は徐々に綴李に心を許すようになった。
彼女は彼の仮面を優しく外し、結都の心を覆う硬い氷を優しく溶かしてくれた。彼は綴李の前では本心から笑うことができた。
次第に、結都は彼女に特別な感情を抱き始める。けれども、それが恋だと結都が気づくのは、二人が出会ってから更に一年後のこと。
綴李に恋をしている。それを知ったところで、今の関係を変える気は全くなかった。
自分の素を見せられる知友。気の許せる友人の少ない彼にとって、それだけでも十分に特別な関係と言えた。
それゆえ関係を一段階進めることよりも、今の関係であり続けることを選んだ。
中学生としての最後の春。
卒業式を終えて、結都と綴李は共に帰路についていた。
頭上には、辺り一面柔らかな桜色が広がっていて、春らしい優しい日が瑞枝の間から差し込んでいる。
どこまでも続く淡い桃色の桜陰と、傍の川に映る鮮やかな桜影。桜吹雪と、心地良い川のせせらぎ。
大きく伸びをして、深く深く息を吸って、ゆっくりと吐く。胸いっぱいに広がる春が、何とも心地よい。
「ねぇ、結都くん」
後ろから背中をつつかれた。
振り向くと、綴李が伏し目がちに立っていた。彼女のふわふわとした髪が、桜色の光を反射しながら春風にきらきらと靡く。
――嗚呼。
思わず息を漏らした。
綺麗だ。本当に、綺麗だ。この瞬間を切り取っていつまでも眺めていたいと思うほど。
思わず見惚れていると、やがて彼女が顔を上げて、恐る恐るといった感じで口を開いた。
「......卒業したら言おうって思ってたことがあるの」
ややあって、彼女は微妙に目を逸らしながら再び言葉を紡ぎ始めた。
「実は、ずっと、結都くんのことが好き、で。......付き合って、欲しい、です」
辿たどしく発せられた言葉の意味を、結都はすぐに理解できなかった。
――好き......?綴李が、俺を?
呆然と立ち尽くしていると、彼女は沈黙に耐え切れなくなったのか、「返事はすぐでなくていいので......!」と言い残して走り去ってしまった。
「あっ......」
右手を伸ばしたが既に遅く、ゆっくりと下ろした。
まだ動揺が消えない。
――好きって、一体いつから......?今までそんな素振りあったか?俺が気づいてなかっただけ......?
うわの空で昼過ぎの明るい道を歩く。家に帰りつき、心が落ち着いてくるにつれて、本当に現実で起きたことなのか疑問に思えてきた。自分は眠っていて夢を見ているのではないか。
「とりあえず寝よう......」
とりあえず、明日起きてから。それから考えよう。
翌日。
結都は綴李の家に向かっていた。昨日の告白の返事をする為だ。
結都は彼女に告白をする必要は無いと考えていた。けれども、それは決して綴李と恋人関係になりたくない訳では無くて、ただ
だから、断る理由なんてない。だけど怖い。綴李が、自分のことをそこまで好いてくれていたなんて微塵も思っていなかったから、どうしても疑心暗鬼になってしまう。
呼び鈴を鳴らし、深呼吸をする。
返事がなかったので、もう一度鳴らす。
まだ寝ているのかもしれない。スマートフォンを取り出し彼女に電話をかける。
すると、すぐ近くから着信音が聞こえた。
「ん......?」
それは結都のすぐ足元からだった。
桜色の手帳型のケースに猫の肉球を模したアクセサリーが付いたスマートフォン。間違いなく綴李のものだ。
困惑しながらもそれを拾い上げる。
今は朝の十一時。今日は土曜日だからまだ寝ていたとしても何も不思議はない。
呼び鈴を鳴らしても返事がない理由はそれで納得できる。けれども、玄関先にスマートフォンを落としたままにしているのは訳が分からない。
まあ、何かしら事情があるのだろうと、当時の結都はそれ程深く考えずに、拾った携帯端末をポストに入れて帰路についた。
だが、明くる日も、そのまた明くる日も、綴李からの連絡はなく、また、家を訪ねても反応はなかった。
さすがにおかしいと思った結都は、綴李の母にメッセージを送ることにした。
彼女が綴李の家の合鍵を持っていることは知っていたので、『綴李が家の中で倒れているかもしれないから、鍵を開けて欲しい』という旨のメッセージを送信した。
それから暫くしてやってきた綴李の母とともに彼女の家に入った。隈なく探したが家のどこにも綴李はおらず、また行方が分かるようなものも何も見つからなかった。
綴李の母がその場で110番をして、警察署に行ってくると言った。
自分もついて行くと言ったが、大丈夫だからと遠回しに拒絶されてしまい、それ以上食い下がることは出来なかった。
当時はそれ程重いことと捉えていなかった。きっとすぐに見つかるだろうと思っていた。しかし、四年が経った今でも綴李の行方は分かっていない。彼女が生きているのかさえ分からない。
彼女のために何もできないことが辛くて苦しくてしょうがなかった。
――絶対に諦めない。もう会えないかもしれないなんて、ほんの少しでも思ったら駄目だ。ずっと、信じてる。絶対に見つかる。絶対に会える。それまで、好きでいる。
貴方と出会えたおかげで、貴方が俺を肯定してくれたおかげで、俺は今もこうして生きている。
......まだ、何も返せてない。貴方に貰ったもの、何も。だから、早く帰ってきて欲しい。いつまでも、いつまでも待ってるから。
『貴方に「好き」と言えるまで。』
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