第4話 赤衣の怪客
それは赤い巨躯の男だった。
身長2メートルを超える真紅のトレンチコートに赤い広縁の帽子。
邪悪と典雅が見事に融合していた。
帽檐の影に隠れた顔は頬骨が鋭く、力強い輪郭線を浮かび上がらせている。
彼はドアの前に棒立ちになり、片手で帽子を押さえる姿は、遥か昔から孤独と傲岸に抱かれて立っていたかのようだった。
「熱血、信念、機転、劣勢、反撃、殲滅」
詩を詠むように呟いた。
「いい戦いだった」
私はむしゃくしゃした。
こいつが最初から観戦していたことがどうにも不快だった。
「ふざけてんのか?」
悪犬の死骸まで後退りし、消防斧を引き抜く。
男は喉に乾いた土を詰まったような笑い声を漏らした。
体内の狂気を必死に抑えているように聞こえた。
「とんでもない。君は試験に合格した。おめでとう、ここで初の合格者だ」
そう言われても納得できない。
化け物の犬より危険な匂いがした。
男の全身からは血の香りが漂い、その赤色は血で染めたのではないかと思える。
血の香りと狂気が荒れ狂う波のように押し寄せ、正気を保つのが困難な重圧を感じる。
外見に関わらず、彼は人間ではない。
直感でそう確信した。
「緊張するな。本題に入ろう」
男は砂時計を取り出し、ひらりと反転させた。
「制限時間だ」
砂が水のように落下し始める。
敵ではない様子だが、警戒は解かない。
砂の落下が異常に速く、息遣いが荒くなる。
「ここはどこだ?」
「終末幻境」
「なぜ連れてきた?」
「世界を救うためさ」
不気味な声色で答える。
「……」
冗談か?
「もちろん――本気だよ」
こちらの心を見透かしたように言った。
「お前は何者だ?」
帽子の影で弧を描く口元。
笑っている。
影から浮かび上がる瞳は人間離れしており、暗闇に溶けた濃霧のようだ。
一瞬、全身に不吉な糸が絡みつく幻覚を見たが、瞬きすると消えていた。
「私は終末の代理人。カルメンと呼んでよい」
そう言うと指を一本立てた。
「最後の質問だ」
砂時計を見ると、不思議な力で一粒の砂が上部に浮かんでいる。
残り時間を操作しているのか。
「次はどうすればいい?」
最後の質問を投げる。
カルメンと名乗る赤衣の男は興味深げに鼻を鳴らした。
「面白い少年だ」
手を翻すと砂時計が魔法のように消え、背後から湧き上がる闇に飲まれていく。
「左腕を見るがいい」
闇が潮のように引くと、廊下の扉は開いたままだった。
部屋には陽光が差し込み、木製の机と椅子が整然と並んでいる。
清められたかのような透明感があった。
魔法みたいだ。
奇妙な気分で部屋に入るが、すでに誰もいない。
コーヒーカップから湯気が立ち上っており、あの男は随分ぜいたくを楽しんでいるらしい。
だが私はこのクソみたいな世界で足掻き続けなければならない。
終末幻境という言葉が気にかかる。
外の光景があまりに現実的だ。
陽光の温もりも、血と火の臭いも、傷の疼きも本物に感じる。
ここで死んだら現実でも死ぬのか?
考えるだけで背筋が凍る。
手に入れた情報を整理する。
学校の旧校舎トイレの「神隠し」の正体は、この世界への転移だったようだ。
だが他の転移者はまだ見かけない。
同じ都市にいるのだろうか?
代理人という男は「世界を救うため」と言った。
現実世界がやがてこの光景になるとでも言うつもりか。
嘘か真実かは別として、彼の存在自体が謎に包まれている。
明らかに人間ではない。
目の前の終末風景――這い回る屍、跋扈する怪物、崩れゆくビル。
大切な人も憎い相手も、虫けらのように死んで怪物の餌食になる。
こんな世界は嫌だ。
いったいどれだけの人間を選んだんだ?
俺たちは勇者の候補生みたいなものか。
テレビドラマの勇者役は好きだった。
世界を救う責任を背負う勇気――それは俺にないものだ。
でも「勇者」という響きに胸が高鳴る年齢じゃなくなった。
いったいどんな人間に世界など救えるというんだ?
考え始めると、心臓に冷たい雨粒が刺さる。
窓の外は陽炎が揺らめいているのに、冷凍庫に閉じ込められたような錯覚に襲われる。
机に向かって深呼吸する。
コーヒーカップはまだ満杯だ。
赤い男が飲む間もなかったらしい。
捨てるのは勿体ないので、袖で縁を拭きながらそのまま口をつけた。
左腕の内側に、いつの間にか翼のような黒い菱形の刻印が浮かんでいた。
「勇者の証」とやらか?
興味本位で触れた瞬間、脳裏を蜂の大群が襲ったような衝撃が走る。
無数の映像と文字が洪水のように押し寄せ、歯を食いしばって耐えた。
痛みは瞬時に引いた。
戦慄で左手を離す。
二度と触りたくない。
こんなのただの呪いじゃないか!?
散々痛い目に遭った挙句、何も理解できていない。
それでいて全てを知ったような錯覚に囚われる。
どうすればいい?
どうやって帰る?
世界を救うことは置いておいて、もし私がこの世界に長くいたら、現実はきっと私を行方不明者の人口にして、個人の履歴書に不名誉な一筆を書くだろう。
努力して築いた優等生のイメージが壊れ、履歴書には「失踪」の汚点が刻まれている。
こんなの絶対に認めない!
「帰せよ!」
返事はない。
「くそっ!」
椅子を蹴り飛ばす。
「ステータス確認」
菱形の刻印が脳裏に浮かび上がる。
ゲームの説明書のようだが、必要な時にだけ情報が現れるらしい。
名前:高川
年齢:17
職業:学生
武器:消防斧
評価:E+
Eランクは最下層らしい。
ため息が出る。
地下室へ行く前に部屋を探索しよう。
コーヒーを一気に飲み干し、消防斧を握り直して荒らし回る。
日用品は少なく、武器や薬品は見当たらない。
日記やパソコンもない。
ベッドの下からハロウィン風の不気味なフィギュアが入った段ボールと、最新型ゲーム機を発見。
充電切れだが、高価な機種だ。
貯金がなくて買えなかったやつだ。
現実に持って帰れたらいいが。
ゲーム機をズボンのポケットに押し込み、消防斧を提げて廊下へ戻る。
大量出血した幽霊犬の死骸はほぼ実体化していた。
スコティッシュ・シープドッグのような長毛だが、頭部は猟犬のように凶悪だ。
名称:幽霊犬
種族:死体
評価:D
状態:瀕死
まだ息の根が止まってないのか。
厄介な野郎だ。
深く息を吸い込み、震える手で斧を握り直す。
ズブッと鈍い音が響き、頭蓋が割れる。
腹を切り裂くと、内臓の間で心臓が力強く脈打っていた。
筋肉の収縮が生々しく、このまま放っておけば恐ろしい形相の頭部が再生しそうな勢いだ。
心臓をメッタ刺しにする。
すると、生命の鼓動が泡のように消えていく。
巨体は灰へと変わり、シューッと空気を飲み込む音と共に崩れ落ちた。
その瞬間、左腕の刻印が火傷しそうな熱を放つ。
ジューッと電子音のような響きと共に、灰が無形の力で攪拌され始めた。
半メートルほどの渦が形成され、やがて灰色の石へと収縮していく――その不可思議な生成過程を、私は呆然と見守るしかなかった。
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